2024年03月20日
サイクリングサイエンス コラム第三十四回/ 中高年へのトレーニング指南
自転車競技は膝・腰への負担が少なく、年齢が上がっても取り組みやすいスポーツです。そのため、大人になってから自転車競技を始めたという方も多いでしょう。とはいっても、運動経験の少ない中高年が若年者と同じトレーニングをいきなり始めると、思いもよらぬアクシデントを身体に引き起こす可能性があります。
今回は、中高年が本格的なトレーニングを開始するにあたり気を付けてほしいことをお伝えします。
トレーニングは何歳になってもやって良い
まず最初に強調しておきたいのが、何歳になってもトレーニングはやって良いということです。ここでいうトレーニングというのは、体力や筋力を維持する低強度~中強度だけでなく、それらの向上を目的とした負荷の高い高強度トレーニングも含みます。
高強度トレーニングは身体への負担が大きいのですが、一方でリターンも大きい健康法と知られています。近年では、高齢者でも強度の高いトレーニングを行うことで、何歳になっても筋量・筋力の向上が見込めることがわかってきました。年齢を重ねても筋肉は貴方を裏切りません。筋肉の増大に伴い内科疾患が改善する、寿命が実際に伸びるといった様々な恩恵をもたらすことが多くの研究で明らかにされてきました。
例えば2022年に発表された研究では、平均78歳、最高89歳の高齢者グループに「きつい」と感じる強度の運動を10分間、週5回行うというトレーニングを実施してもらいました。1年後2年後のフォローアップでは、高強度のトレーニングを行った群で心肺機能の向上、筋量の増加だけでなく、腎機能低下の予防が認められました。
図:運動習慣と腎機能の関係。運動を行うほど腎疾患リスクがさがる。特に高強度ほど効果的。引用より筆者作成。
また、休息を挟みながら高強度トレーニングを間欠的に行うインターバルは、心臓機能の回復に有効であると示されおり、現在アメリカでは心疾患を患った患者のリハビリテーションとして採用されています。
若い時と同じようにトレーニングすればいいわけではない
このように我々に大きな恩恵をもたらすトレーニングは、何歳になっても続けて欲しい習慣です。一方、闇雲なトレーニングは思わぬ怪我や病気の原因となってしまいます。特に中高年の場合、10代20代の時とは身体が根本的に異なります。若かりし頃と同じイメージでトレーニングするとオーバーワークの原因となるため、注意が必要です。
さて、「トレーニングに気を付けましょう」といっても、具体的に何に気を付ければいいのでしょうか。実は、中高年の方へのアドバイスは、運動強度によって微妙に異なります。運動強度については前回のコラムで解説していますのでご確認ください。
前回のおさらい
- 強度が異なると身体に現れる効果が変わる
- 10回程度しかできない強い負荷は筋肉に効く
- 1-3分耐えられる強度では心肺機能が向上する
- 数時間単位で続けられる運動は全身の臓器に良い影響をもたらす
鍛えている場所に怪我やトラブルが起きやすい
さて、運動による怪我・トラブルを考える際の大原則があります。それは「鍛えている場所に怪我が起きやすい」ということです。
考えてみれば当たり前ですが、トレーニングで鍛えているということは、その部分に負荷を掛けていることを意味します。この負担は適切な量であればその部位の再生と強化を促しますが、一定のラインを超えてしまった負担は組織の破壊となり、怪我や故障、病気につながってしまうのです。
中高年の場合、若い頃よりもベースラインの運動能力が低下していることに加え、再生能力も低下しています。結果として、若い人よりも運動による怪我や病気のリスクが上がってしまうのです。
しかし、裏を返せば適切な負担に留めている限り、何歳になってもトラブルなく運動をすることができるのです。
それでは、どのようなことに気を付けるべきか、具体的に見ていきましょう。
筋力トレーニングは筋肉、関節、靭帯に注意
筋力トレーニングはその名の通り筋肉をターゲットとしたトレーニングです。トレーニングによって筋肉とそれに付随する靭帯、関節に過剰な負荷が生じると怪我が発生するリスクがあります。
無論、これは中高年だけでなく若年者でも起こりうる怪我です。しかし中高年の場合、全体の筋肉が若年者と比較して低下しており、特に下肢の大きな筋肉群で顕著です。また、加齢により筋肉の分解が加速するため、筋肉がつきにくくなっています。
中高年の筋トレで重要なことは、足腰が弱い上に筋肉がつきにくいことを念頭に置き、焦らず長期スパンでじっくりと取り組む意識を持つことです。
図:若年者と中高年の筋トレ効果の違い。中高年はどうしても筋トレの効果が出にくい。筆者作成
筋トレによる怪我を予防するためには、最適なフォームを習得することが不可欠です。初心者の方はトレーナーによるフォームチェックを受けることをおすすめします。「自分は学生時代トレーニングしていたからフォームは完璧だ」というそこの貴方も、久しぶりにトレーニングをするならば今一度確認をしてもらったほうがよいでしょう。
というのも、過去に部活動や体育の授業で実施されていたトレーニングも、研究が進みフォームの改良が進められています。また、先述の通り加齢による筋力の低下は侮れません。正しいフォームで行うための筋肉すら足りていない、ということもしばしば見受けられます。
診療の一貫で患者さんのスクワットフォームを見る機会があるのですが、多くの方は間違ったフォームで行っているか、または筋力不足で正しいフォームで実施できていません。
自分の身体を自分で思った通りに動かす、というのは実は難しいことです。頭の中では正しくやっているつもりでも、実際には体がついてきていないのもよく見られる現象です。自己流のフォームは筋肉が付かないどころか、靭帯、関節へ無駄な負担が増えてしまい、怪我のリスクが高まります。客観的な視点からフォームを監視してもらい、美しく正しいフォームを身に付けましょう。
負荷を上げるのは正しいフォームを身につけた後です。
高強度の有酸素トレーニングは心・血管系に負担がかかる
有酸素運動では筋肉よりも心臓、血管、呼吸器などに負荷がかかります。特に、最近何かと注目を浴びている高強度インターバルトレーニング、通称HIIT(high intensity interval training)は、この心肺機能にダイレクトに負荷を掛け有酸素能力を大幅に向上させると知られています。HIIT の効果は凄まじく、80代でVO2Maxの向上が見られたという報告もあるほどです。ロードバイクに取り組む中高年にも是非取り入れてほしいトレーニングです。
高強度の有酸素トレーニングを初心者の中高年がいきなり始めると心疾患のリスク増
ただし、今までこういった高強度有酸素運動に取り組んだことがない方がいきなり自己流で行うと、心血管系に負荷が掛かりすぎることで不整脈、最悪の場合心停止に至ることもあります。これらはスポーツ関連 心臓突然死(SCD:Suden Cardiac Death in sports)と呼ばれております。
実例としては通常の心疾患よりも非常に少ないですが、若年層でも起き得る非常に恐ろしい病気です。SCDは年齢が上がるほど発症リスクが高まることが知られています。
この恐ろしい心臓突然死の多くの症例では、既に心臓に何らかの異常がある状態で負荷の高い運動を急激に行った結果発症したものと知られています。背景にある心疾患としては、心臓へ血液を供給する冠動脈の疾患(CAD)が80%を占めているという報告もあります。これらを裏付けるように、運動習慣が増えるほど冠動脈疾患の罹患率は減少します。また、普段から運動する習慣がある群ほど、SCDの発生率も低くなるという報告もあります。逆に、激しい運動のせいで心臓が病気になることは極めて稀であり、基本的には運動は心臓と血管に良い影響をもたらします。
運動開始前に基礎疾患の確認を
中高年が強度の高い有酸素トレーニングを始める際は、必ず自分に基礎疾患がないか確認しましょう。だからといっていきなり病院に駆け込まなくても大丈夫。社会人であれば年に1回受けている健康診断を振り返りましょう。特に注目してほしいのは心電図、血圧、そして血液の項目です。
心電図の異常、血圧、コレステロール、血糖値が高いという指摘を無視していませんか?これらの項目に引っかかった場合、まずは医療機関を受診しましょう。既に受診済みの方は、かかりつけ医に自分は激しいトレーニングをしても良いか確認してください。息切れ、動機、胸痛などを普段から自覚している方も、これを機に受診してみましょう。
健康診断で異常がなく、かかりつけ医からOKが出た方は、存分に高強度トレーニングを楽しみましょう。
低強度トレーニングは、長時間の運動に伴うマイナートラブルに注意
上記二つの強度と比較してゆるい強度でおこなう低強度有酸素トレーニングは、身体への負担が少ないため怪我や故障のリスクが少なくなります。そのため医療現場でも真っ先に勧めるのがこの強度域での運動で、初心者でも中高年でも安心して運動ができます。しかしこの強度のネックは、強度が低い故長い時間やりすぎることがあることです。
ゆるぽたのロングライドでは丸一日運動することもできます。しかし、運動の種類によっては長時間行うことで弊害が出てきます。例えばサドルとの股ずれ、ランニングシューズによる靴擦れ、長時間露光による日焼け(やけど)といった皮膚トラブルは、この強度域で起きやすくなります。
さらに、たとえ低い強度であったとしても、長時間運動を行えば内臓への負担が掛かり、体調不良として現れます。ロングライドの翌日、「別にどこの筋肉も痛くないんだけど、なんとなく疲れて体調がよくない」という経験はどなたでもあるでしょう。これは筋肉でも心臓でもなく、全身の内臓に負担が掛かっているサインです。しっかりと休息をとりましょう。
過去の自分ではなく今の自分を基準に負荷を決める
繰り返しになりますが、トレーニングは何歳になっても続けてほしい素晴らしい習慣です。ただしここで念頭に置いていただきたいのは、中高年になって行うべきは若い時のようなとにかく頑張る根性論のようなトレーニングではなく、大人には大人のトレーニング方法があるのです。
特に、若い頃にトレーニングをやっていた方にアドバイスしたいのが「今の自分を基準にトレーニングプランを立てる」ことです。昔やっていたトレーニングを今でも同じようにできる保証はどこにもありません。トレーニングのポイントは適切な負荷で行うことです。過去の記録は全て忘れ、初心で今の自分と向きあい、強くなっていきましょう。
参考文献
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第1回 「サイクリストと情報リテラシー」
第2回 FTPを信じていいのか?
第3回 FTPとどう付き合っていくか
第4回 TSS700の呪い
第5回 HRV 心拍数でわかるコンディション
第6回 ゆるポタで強くなる? 注目のPolarized Trainingとは
第7回 時間がなくても強くなれるインターバルトレーニングの極意
第8回 「キツイがこうかはばつぐんだ」インターバルトレーニングの組み立て方
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著者プロフィール
ラン先生らんせんせい
医師兼研究者。工学系大学院で再生医学を研究する傍ら、”できるだけ短時間で強くなる”を目標に自転車トレーニングに関する論文を日々読み漁っている。休日はGPSで日本地図を描く”伊能忠敬プロジェクト”を個人的に進行中。個人ブログでも自転車に関連する論文紹介をしている。 https://charidoc.bike/