2023年09月05日
サイクリングサイエンス コラム第二十九回/運動に適量はある?
朝晩は幾分か気温が下がり、走りやすい気温になってきました。ガチ勢の皆様はレースシーズン、ゆるぽた勢の皆様にはグルメライドシーズンの到来です。
さて皆様。
普段どれくらいの運動量をこなしていますか? 運動は健康に良い。これは言うまでも無い周知の事実です。
しかし、どのくらいの強度、量をこなせば健康に良い影響がでるのでしょうか。反対に運動のやりすぎは健康に良くない、という噂も耳にします。運動の量に正解はあるのでしょうか。今回は運動の量に着目して、この疑問を深堀していきましょう。
INDEX
▷1週間に150分以上が最適量
▷週末にまとめて運動しても毎日運動と同じ効果がある
▷運動をやりすぎな量はある?
▷高強度と有酸素を組み合わせると最高になる
▷強度と量は慎重に増やすべき
▷何歳まで全力トレしていいの?
1週間に150分以上が最適量
現在推奨されている最適な運動量は数多くの研究から裏付けされています。それらの研究によると、軽い有酸素運動であれば週150分から300分程度、少し強度の高いトレーニングやエクササイズでは週75分から150分程度が健康に良いとされています。
週末にまとめて運動しても毎日運動と同じ効果がある
週末ライダーの皆さんに朗報です。この推奨運動量ですが、こまめに分割して運動しても週末にまとめて運動しても、同様の健康効果が得られるということが2022年の研究で明らかにされました。例えば、通勤で毎日30分自転車に乗る方も週末にロングライドに行く方も、健康への良い影響は同じように現れます。
すなわち、週に1回5時間ほどのロングライドに行くだけで、推奨される運動量を十分に賄えるということです。さらに、そのルート中にヒルクライムやスプリントを足すと運動強度をプラスすることができ、より高い健康効果が期待できます。
運動をやりすぎな量はある?
さて、適切な運動量の次に気になるのは「この運動量を超えて運動を続けた場合、健康や寿命にはどのような影響があるか」ではないでしょうか。
結論を先に言ってしまうと、運動にもやりすぎの量があります。とはいっても、やりすぎるとデメリットが出てくるということではなく、メリットに上限があるようなイメージです。
2015年に発表された研究では、アメリカのNIH(日本で言う厚生労働省)が推奨する運動時間より多く運動した場合に、死亡率にどのように影響が出るのか調べています。
この研究で明らかになった事は下記3点です。
(1)ロードバイクへ週に1時間乗れば死亡率が3割下がる
週に1時間自転車に乗るグループでは死亡率が0.69となりました。これは運動しないグループの死亡率を1.00とした場合に比べ、死亡率が3割減少していることを表します。すなわち、週末に1時間以上のロングライドを楽しまれてる方であれば、健康維持の運動量としては十分、ということになります。
(2)運動量をさらに増やすと死亡率も下がるが、下がり方は緩やか
運動量が増えていくと、死亡率はさらに下がっていきます。推奨量である週に3〜5時間ロードバイクに乗るグループでは、死亡率が0.61、およそ4割減となり最も死亡率の低いグループとなりました。これ以上運動量を増やしても死亡率は大きな変化はありません。
(3)運動量を大幅に増やすと若干死亡率は上がるが、運動しないよりはずっといい
週に10時間以上、中-高強度で乗った場合、それ以下のグループと比較すると死亡率が若干上昇しました。ただし、それでも運動しないグループと比較すると、運動やり過ぎグループでも死亡率は3割ほど改善されていたことがわかりました。
推奨量を大幅に超過した運動を長期間行うと寿命は若干縮むものの、運動しない群よりかなり良いということになります。
事実、過酷な練習を長期間行うプロスポーツ選手は、寿命が平均よりも長くなる傾向にあることがわかっています。例えばツール・ド・フランスに出場したプロ選手たちの追跡調査では、選手たちは一般人と比較するとより長く生き、疾患発症率も低いことが明らかにされています。
ただし、長期にわたる過酷な練習は不整脈の一種である心房細動や心筋症、突然死などと関連があります。健康を考えると、運動量は推奨範囲内に留めておいた方が良いというのは、変わらぬ事実です。
高強度と有酸素を組み合わせると最高になる
さて、今までご紹介した運動量はあくまで中程度強度の有酸素運動に限った話です。では、巷で流行しているインターバルトレーニングや筋トレといった、強度の高い運動で推奨される運動量はあるのでしょうか。
これに関しては、現在のところ推奨される運動量はわかっていません。現在わかっている事としては、筋トレなどの高強度トレーニングは有酸素運動とは違った健康へのメリットがあること、有酸素運動と組み合わせることで身体に対して非常に良い影響を及ぼすということです。
例えば、運動の種類と疾患別死亡率との関連を調べた研究では、筋トレと有酸素運動を組み合わせたグループが最も死亡率が低く、特に心疾患による死亡のリスクを大幅に減らせるということがわかりました。
また、運動の種類と高血圧降圧作用の関係を関連を調べた研究では、すべての種類の運動が高血圧に対して治療効果があると分かりました。降圧作用が最も強いのはレジスタンス、アイソメトリック運動(プランクなど、同じポーズを保持するような運動)で、次に有酸素運動と高強度を組み合わせたものという結果でした。
このように、有酸素運動だけでなく少し強度の高い運動をポイントで足すことで、健康により良い影響をもたらすことが期待できます。
強度と量は慎重に増やすべき
しかし専門家の立場からは、高強度トレーニングの強度と量に関しては、慎重に増やすべきと考えます。高強度は健康へのメリットが大きい反面、少しでも量と強度を見誤ると、怪我やオーバートレーニング症候群の原因となるためです。
オーバートレーニング症候群とは、繰り返される高強度のトレーニングによって慢性的なストレスが肉体・精神にかかり、回復が追いつかなくなる状態のことです。ストレスに対応する脳下垂体系のホルモンが正常に分泌できなくなることで、様々な失調が身体に現れます。
特に、強度の高い運動を過度に行うと発症しやすいとわかっていますが、具体的にどのくらいの量で発症するかは個人差が大きく明らかにされていません。自転車のトレーニングを行う方であれば、TSSで疲労度をはかっている方もおられるでしょうが、TSSのコラム(第4回 / TSS700の呪い)でも触れたとおり、TSSは疲労度のあくまで参考値程度であり、TSS700を目標にトレーニングを行うとオーバートレーニング症候群を発症する危険性が非常に高まります。現状の研究結果では、高強度トレーニングの最適量は明らかにされていないこと、適切な強度設定は各個人で大きく異なることから、筋トレやインターバルトレーニングの経験がない方は、まずは週一回の頻度で始めてみることをおすすめします。
筋トレ初心者の方にご注意いただきたいことが、誤ったトレーニングフォームは思わぬ怪我に繋がるということです。最初はパーソナルトレーナーをつけてフォームのチェックをしてもらうことを推奨します。
何歳まで全力トレしていいの?
読者の皆さんの中には、中年、高齢になってから自転車を始めたという方も多いことでしょう。“全力でトレーニングしたいけど、もう自分は若く無い”いったい何歳まで全力でトレーニングをしていいのだろうか”と不安に思うかもしれません。
安心してください。答えは天寿を全うするまで大丈夫です。
人間の身体は加齢とともに筋肉の分解量が増えてしまいます。つまり、運動を何もしなければ年々筋肉量が減ってしまうのです。しかし、筋肉の成長に関しては何歳になっても衰えることはなく、トレーニングと正しい食事摂取をすることで、高齢でも若者に負けない成長率で筋肉量を増やすことができます。
筋肉量増加はあらゆる疾患のリスクを下げるため、健康でいつまでも長生きしたい方は、何歳になってからでもトレーニングを始めていただいて大丈夫です。ただし、始める時は頻度と強度を下げて行いましょう。例えば筋トレの場合、30分から1時間程度の運動を週1回が目安です。これだけでも、高齢者であれば筋肉量の増加が見込めます。慣れてきたら量を少しずつ増やしましょう。
過去に運動経験がある方はついつい昔の癖でしっかりトレーニングをしたくなりますが、年単位でトレーニングを休んだ身体はもう別人のものになっています。初心を忘れず、まずは低強度からじわじわと。
ただし、不整脈、心不全、動脈瘤などの特定の病気をお持ちの場合、高い強度の運動は突然死や疾患の悪化の原因になることもありますので、かかりつけ医に必ず相談してください。
どんな種類でも短時間でも運動は健康に良い影響がある
実際のところ、日常の僅かな時間でも、ぐっと力を使う動作で筋肉を刺激することができます。最近の研究では、1回3秒の筋トレでも、週3回以上行うと筋肉量の増加が認められるという報告がありました。
さらに、運動に限らず日常生活の中で行う身体活動だけでも、健康に良い影響があることがわかっています。専門的には、日常生活中の高強度の断続的な身体活動(Vigorous Intermittent Lifestyle Physical Activity)の頭文字をとってVILPAと呼ばれます。
オーストラリアで行われた研究では、VILPAを継続することでがん発症のリスクを大幅に低下させる可能性があると明らかにされました。
VILPAの例としては、
・重い買い物袋や子供を抱えて移動する
・掃除機で家中を掃除する
・階段を上り下りする
・早足で歩く
など、普段我々が行っている活動の中で強度の高いものです。この断続的なVILPAを1日に4〜5分行うだけでも、悪性腫瘍の発生を最大31%も減らすことがわかったのです。
「健康のために運動しなきゃ」と意気込むのはとても大切ですが、気負う必要はありません。日常生活の中に些細な運動を組み込むだけで小さな積み重ねとなり、長年継続すれば健康という大きなリターンとなって返ってきます。まずは自分の生活の中にいかに「自然に」運動を仕込めるか考えてみましょう。私のおススメはもちろん「自転車通勤」です。
参照文献
1.https://www.wellion.at/en/diabetes/exercise
2.dos Santos M et al. Association of the “Weekend Warrior” and Other Leisure-time Physical Activity Patterns With All-Cause and Cause-Specific Mortality: A Nationwide Cohort Study. JAMA Intern Med. 2022;182(8):840–848.
3.Arem H, Moore SC, Patel A, et al. Leisure Time Physical Activity and Mortality: A Detailed Pooled Analysis of the Dose-Response Relationship. JAMA Intern Med. 2015;175(6):959–967
4.Marijon E, et al. Mortality of French participants in the Tour de France (1947-2012).Eur Heart J. 2013 Oct;34(40):3145-50.
5.Gorzelitz J,et al. Independent and joint associations of weightlifting and aerobic activity with all-cause, cardiovascular disease and cancer mortality in the Prostate, Lung, Colorectal and Ovarian Cancer Screening Trial. Br J Sports Med. 2022 Nov;56(22):1277-1283.
6.Edwards JJ,et al. Exercise training and resting blood pressure: a large-scale pairwise and network meta-analysis of randomised controlled trials. Br J Sports Med. 2023 Jul 25:
7.Yoshida R,et al. Weekly minimum frequency of one maximal eccentric contraction to increase muscle strength of the elbow flexors. Eur J Appl Physiol. 2023 Jul 28.
8.Stamatakis E, et al. Lifestyle Physical Activity and Cancer Incidence Among Nonexercising Adults: The UK Biobank Accelerometry Study. JAMA Oncol. 2023 Jul 27
これまでの記事はこちら
第1回 「サイクリストと情報リテラシー」
第2回 FTPを信じていいのか?
第3回 FTPとどう付き合っていくか
第4回 TSS700の呪い
第5回 HRV 心拍数でわかるコンディション
第6回 ゆるポタで強くなる? 注目のPolarized Trainingとは
第7回 時間がなくても強くなれるインターバルトレーニングの極意
第8回 「キツイがこうかはばつぐんだ」インターバルトレーニングの組み立て方
第9回 誤解されている乳酸
第10回 糖を制するものは補給を制する
第11回 タンパク質との濃厚な関係
第12回 サイクリングサイエンス コラム第十二回/結局は普通が一番な脂質
第13回 第十三回/強者必睡の理をあらはす
第14回 え? 私の起床時間早すぎ?
第15回 筋肉の冷静と情熱の間
第16回 心身暑慣すれば夏もまた涼し
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第18回 花は半開を看、水は適量を飲む
第19回 健全な精神は何処に宿る?
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第22回 リバウンドの危機
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第25回 目の前で落車が起きた!その時あなたはどうする?【前編】
第26回 目の前で落車が起きた!その時あなたはどうする?【後編】
第27回 あしつり大解剖
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著者プロフィール
ラン先生らんせんせい
医師兼研究者。工学系大学院で再生医学を研究する傍ら、”できるだけ短時間で強くなる”を目標に自転車トレーニングに関する論文を日々読み漁っている。休日はGPSで日本地図を描く”伊能忠敬プロジェクト”を個人的に進行中。個人ブログでも自転車に関連する論文紹介をしている。 https://charidoc.bike/