2021年06月29日
サイクリング・サイエンスコラム/第三回 FTPとどう付き合っていくか
ラン先生によるサイクリング・サイエンスコラム 連載3回目をお届けします。パワートレーニングの指標としてポピュラーなFTPについて、その実情と上手な向き合いかたをご提案します。
皆さんこんにちは。ランです。
ちょうどこの記事を書いている時にMt.富士ヒルクライムが開催されました。雨の中の開催でしたが、大きな事故もなく無事に終了したと伺っております。自己ベストが出た方、悔しい思いをした方、来年参加を検討している方にも、トレーニングを見直すきっかけとしてこの記事がお役にたてれば幸いです。
前回の復習
情報の吟味には2段階あり、“その情報は正しいものなのか”という視点を解説しました。
みなさんが最もよく接しているFTPも、この視点から見てみると
・著者がプロ選手のデータから作られた概念だが、根拠となったデータそのものは公開されていない
・昨今の研究では、20分間測定によるFTPはエリートライダーでは誤差が少ないが、アマチュアでは過少評価される可能性あり。誤差も大きい。
など、FTPは信じられていたほどライダーの能力を正しく反映していない可能性があることがわかりました。
前回の記事はこちら
今回も情報の吟味の段階に沿って、FTPについて考えていきます。
1.その情報は正しいものなのか(前回)
2.その情報は自分に当てはまるのか
さて、ここからはFTP計測やその数値について、“その情報は自分に当てはまるのか”という視点で見てみましょう。
一般ライダーのパワートレーニングデータは集められていなかった
まず、忘れてはならない大前提があります。パワーメーターが普及したのは最近であることです。
かつて、パワーメーターは1つ数十万円もする高級品でした。実際に練習で使えるのはプロに限られていたであろうと予想されます。
そのため、1990-2000年中頃にかけて出版されたパワートレーニングに関する文献は、ほぼすべてがプロのデータを参考に執筆されています。
このため、今世に出ている情報の多くはプロの、プロによる、プロのためのものであり、一般ライダーには適応されない可能性があります。これを念頭におかず、プロのためのトレーニング情報を鵜呑みにして自己流でやってしまうと、場合によってはオーバートレーニングになる危険性をはらんでいます。
ここ2〜3年で、パワーメーターが一般のライダーでも手が届く値段に下がり爆発的に普及しました。
今後、一般ライダーに適したトレーニング情報が出てくることは多いに期待されます。
同様の罠が簡易版FTP計測と名高いRamp Test(ランプテスト)にも潜んでいます。
ランプテストはFTPを直接測ってはいない
ランプテストは、「20分TTより短時間でFTPが測れる」と、特に初心者の間で人気になった測定方法です。最近zwiftにも導入され、試した人もいらっしゃると思います。
しかし厳密にいうと、ランプテストはFTP計測方法ではありません。これでわかるのは、MAPと呼ばれるVO2maxに達する時のパワーです(これは別の機会に詳しく解説します)。
ではなぜMAPを計測するランプテストでFTPがわかるのでしょうか?
FTPはMAP(VO2maxに達する時のパワー)の72~77%内に入るという前提の元、推測FTP = MAP × 75% という計算によって導かれています。
しかしこの72~77%という前提に、先ほどと同様の落とし穴が隠れているのです。
MAP(VO2max時パワー)に対するFTPの比率は熟練度と脚質で変わります。75%という値はプロライダーでの数値であり、初心者ではここまで高い値を出せません。
結果として、ランプテストから見積もられるFTPは実際のものより高くなってしまいます。
実際に試してみて、普段のFTPより上振れしたことはありませんか?
私自身も挑戦してみましたが、実走FTPよりも20%ほど高く計測されました。
もし、この20%高いFTPを真の値として、練習メニューを組んでしまうと、オーバートレーニングにつながっていた可能性があります。
エリートライダーに適した指標
ランプテストの欠点を散々書きましたが、求められるMAPは高強度練習むけに非常に優れた指標です。
ただFTPを計測するのにランプテストを使う手法はあくまでエリートライダー向けであり、初心者が利用するのは無理があると思っています。
では、サイクリストはFTPをどう考えるべきでしょうか。
今までの情報を踏まえ、私個人の意見でレベル別に考察をまとめてみました。
初心者:FTPを正確に計測しづらいことを理解しておく
初心者の場合、そもそもFTPテストをする必要はありません。
少なくとも年単位で乗り込んでいない限りは、FTPの20分テストやrampテストではパワーを正確には計測できないからです。
まずは長い距離を乗り込んだり、時々坂に挑戦したりして自転車に乗る基礎体力をつけましょう。
中級者:信頼のおけるFTP計測は 実走60分TT > 20分TT > rampテスト
ある程度乗り慣れてきた中級者であれば、FTPを計測してトレーニングメニューを組んでみましょう。
ここで大切なのはFTPはあくまで推定値であることです。FTP数値を元にメニューが作成されますが、この数字は絶対ではありません。
実際にやってみて「あまりにもしんどすぎる」や「簡単かな」と感じたらご自身で微調整してみてください。特に体感での強度が高すぎるままトレーニングを続けると、思わぬ怪我や疲労の原因になってしまいます。
上級者:FTPを上げる必要があるのかを考える
自分が参加したいレースにFTPが必要かを考えます。FTPを最も有効に使えるのはヒルクライムやロードレースでしょう。
特に日本で開催されるヒルクライムレースの場合、1時間で終わるものが多いため、FTPが定める1時間最大パワーが役に立ちます。
またFTPを向上させるためのトレーニング(SST)も、淡々と登れる身体を作るために効果的です。
すなわち、FTPを向上させるための練習が、ヒルクライムレースで勝つために必要な能力を向上させることに直結するので、FTPに着目するのは理にかなっています。
一方で、落とし穴もあります。FTPを向上させることだけ注目していると、ただ60分TTが得意な選手が出来上がってしまいます。
ヒルクライムといっても斜度は一様でないことや、レース展開中のアタックに対応するなど、途中でペースが変動します。このペース変動に対応する身体を作るためには、インターバル等の高負荷練習を多少なりとも加える必要があります。
またMt.富士ヒルクライムなどの比較的斜度が緩い大会では空気抵抗なども無視できず、エアロフォームの練習も必要です。
FTP値が参考にならないレースも
FTPがあまり参考にならないレースは、クリテリウムなどのインターバルが多いレースやロングライド(ブルべ)です。前者の場合、FTPよりもMAPなどVO2Max領域でのパワー数値を参考に練習を行い、レース戦略やコーナリングを洗練させる方が成績に直結します。ロングライドではFTPよりもかなり下のパワー領域で走ることがほとんどです。
この場合、FTPを向上させると巡航スピードは確かに上がり、早く到着はするでしょうが、楽にはなりません。FTPに労力を注ぐよりも、長時間乗っても疲れないポジションや、空気抵抗を減らす工夫(ウェアや荷物など)に労力を使ったほうがロングライドは楽になるでしょう。
自分のライドスタイルを考えた上で情報の取捨選択を2回に渡ってFTPを特集してきました。
速さを競うロードバイクの世界では、猫も杓子もFTPというようにFTPはもてはやされがちです。ともすると「FTP至上主義」とでもいうような、FTPを上げさえすれば良いという思考に陥ることもあるかもしれません。
しかし、2回の連載でFTPの精度は信じられているほど高くないことや、そもそもすべてのライダーにFTPが必要ではないことをお伝えしました。
今回のFTPの話からみなさんに一番伝えたいことは
[目の前にある情報が自分のスタイルに合っているか一度立ち止まって吟味してほしいということです。]
どんな情報に出会った時にでも「自分のスタイルに合うかなあ?」と一歩引いて考える習慣が、この情報過多な社会とうまく付き合っていく上で役に立っていくと信じています。
次回は、疲労を考えるをテーマにCTLやTSSを扱っていきます。
参考文献:
ハンター・アレン ,アンドリュー・コーガン共著 パワートレーニングイブル 第2版
Hunter Allen, Andy Coggan. power and racing with a Power Meter 3rd edition
http://autobus.cyclingnews.com/fitness/?id=powerstern
zwift website https://zwiftinsider.com/step-test/
Front Physiol. 2020; 11 Relationship Between the Critical Power Test and a 20-min Functional Threshold Power Test in Cycling
Int J Sports Physiol Perform. 2019 Sep 1;14 Is the Functional Threshold Power Interchangeable With the Maximal Lactate Steady State in Trained Cyclists?
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著者プロフィール
ラン先生らんせんせい
医師兼研究者。工学系大学院で再生医学を研究する傍ら、”できるだけ短時間で強くなる”を目標に自転車トレーニングに関する論文を日々読み漁っている。休日はGPSで日本地図を描く”伊能忠敬プロジェクト”を個人的に進行中。個人ブログでも自転車に関連する論文紹介をしている。 https://charidoc.bike/