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2021年08月07日

サイクリング・サイエンスコラム/第四回 TSS700の呪い

午後のライドがよもや死の恐怖を感じる気温になりましたが皆さん如何お過ごしでしょうか。先日のライドでアイスを6本補給したRanです。

この記事を書き終わるタイミングでオリンピックが開幕されました。女子ロードレースで金メダルをとったオーストリアのアナ・キーゼンホファー選手は数学の研究が本職の方と聞き、大変衝撃を受けています。
トレーニングメニューも自身でたてられているそうです。彼女は正しい情報を選び、正しいトレーニングを行うことで世界の頂点にも立てることを先日のレースで証明してくれたと思います。
読者のみなさんも、ぜひ情報を判断する眼を育んでご自身の目標を達成していただければ、一研究者としてとても嬉しく思います。

前回、ローディーが触れる指標としてよく使われるFTPについて改めて見直すことで、「自分のスタイルに合うかどうか」という視点で指標やトレーニングと向き合うことを考えました。今回はトレーニング強度や疲労度の指標としておなじみのTSSについて深堀していきます。

前回の記事はこちらから

TSSとは

トレーニングストレススコア(以降TSSと表記)とは、トレーニングにより身体にかかった負荷量を数値化したものとして広く使われている指標です。
TSSはライド時の標準化パワー (NP)、強度係数 (IF)と走行時間によって計算されます。
例えばGarminでは、TSSの指標を下記のように紹介しています。

150以下 – 次の日には回復します(低い)
150から300 – 次の日まで疲れが残りますが、翌々日には回復します(中)
300から450 – 二日後も疲れが残る可能性があります (高い)
450以上 – 回復には数日かかります (非常に高い)

紹介しているサイトはいくつかありますが、どこも概ねこういった区分けになっています。
TSSの優れた点としては、疲労を数値化することができるため、休息のタイミングを見極めたり、練習量を評価したりすることが挙げられます。

このTSSという指標にたいして、今回も以下の手順にそって情報の吟味を行っていきましょう。

1.その情報は正しいものなのか
2.その情報は自分に当てはまるのか

TSSは本当に疲労度を測れるのか

まずは、このTSSの計算式そのものを検証してみます。
今回、 数学的な検証を行うにあたって、こちらの記事を参考にさせていたただきました。

時系列データ解析としてのTSS(うなむにさん
https://note.com/unamuni/n/ncee63d3000c9
時系列データ解析としてのTSS その2 (うなむにさん
https://note.com/unamuni/n/n8b94a17735a1

TSSについて数学的知見から深堀している素晴らしい記事です。
本当は全部詳しくお話したいのですが、文字数の関係上難しいため、内容をかいつまんでお話します。数学の基礎がある方は是非読んでみてください。

TSSは高強度&低強度で誤差が大きくなる

TSSはFTPとNP(標準化パワー)とIF(強度係数), そして走行時間Time(秒)を以下にあてはめて計算されます。

TSS = (Time x NP x IF)/(FTP x 3600) x 100

さてこの計算式を数学的に見ると、中央から外れる(ここでは高強度&低強度)ほど誤差が大きくなるクセがあります。
つまり、FTP付近のパワーであれば正確に、全力orゆるライド付近であれば誤差が大きめに出てしまう計算式なのです。
そのため、SST(sweet spot training)付近の練習であれば疲労度は安定して数値化できるものの、短時間のスプリントやLSD(Long Slow Distance)の強度では疲労を過小or過大評価してしまう可能性があります。

さらに、TSSは例えばインターバルトレーニングをはじめとした高強度トレーニング後の疲労を過小評価してしまうため、注意が必要です。

インターバルトレーニングといえば、短い休憩をはさみながら高強度を繰り返すトレーニング方法ですが、その体感疲労度は2時間のロングライドに劣らず強いものです。

例えば、私のお気に入り(?)の練習で30-30インターバルと呼んでいる、30秒ダッシュと30秒休憩を12セット繰り返すものがあるのですが、このトレーニングをした後はしばらく立ち上がれず、翌日もしんどいほどです。
しかし、この時にTSSを計算してみると、数値は50以下の場合がほとんどという、体感的にはひどく疲れているにもかかわらず、TSSの数値は低いということが起きます。
何故でしょうか。

インターバルの疲れは練習後にやってくる

体感の疲労度と比較してTSSが低く出る理由は、高強度トレーニングの疲労はトレーニング後にもあらわれてくるから、というものがあります。強度の高い運動を行ったあと、人の身体のなかでは、通常よりも酸素消費量が多くなる時間が観測されます。
これはEPOC(Excess Post-exercise Oxygen Consumption)と呼ばれる現象で、強い運動後の回復期間を反映していると考えられています。
トレーニングによるダメージを回復するため、細胞への酸素補填、ホルモンバランスの調節、グリコーゲンの充填など様々な業務に身体は大忙しの状態です。
EPOCの期間中は身体はリカバリーに忙しくなるため、普段よりも疲れやすくなります。

さて、このEPOCはゆったりとしたロングライドではほぼ起きません。インターバルなどの高強度を行った後に発生します。
そしてTSSはこのEPOCによる疲労を計測していません。なぜならTSSはライド中の疲労度しか計測していないからです。

TSSはトレーニングの種類により、実態と数値に乖離が出ることがあることがわかります。

続いて、情報の吟味2段階目、その情報は私たちに当てはまるのかを検証します。

TSS700は必要練習量?

パワートレーニングを扱っている書籍では、”1weekでTSS700”が強くなるための必要練習量として示されています。果たしてこれは一般ライダーにも当てはまるのでしょうか。

結論をいうと、1週間でTSS700は多くの一般ローディーにとって「やりすぎレベル」であると考えられます。

TSSは以下のような特徴があります。

1. ライド以外の身体活動は加味されない
2. 練習の外部環境による影響は考慮されていない
3.TSS 700の基準値はそもそもプロ用

先述の通り、TSSはライド中のパワーデータからトレーニング強度を算出しています。
しかし、我々はライド以外でも活動をします。
仕事や学校もそうですし、 自転車以外の運動もしますよね。TSSはこういったライド以外の身体活動については計算に考慮されていません

さらには、疲労度は練習環境にも左右されます。15度の曇りの日と、35度灼熱の炎天下でのトレーニング、疲労具合が変化するのは実感していただけるでしょうが、TSSではこれらを考慮していません。

そしてこれは非常に大事な視点で、前回の記事でも触れましたが、TSS計算法の元になったパワーデータはフルタイムのプロライダーのものです。
プロライダーの情報をうのみにして、仕事や学業と並行してトレーニングをこなしながらTSS 700を目指すと、身体を壊してしまう原因になりかねません。

TSSは下を見ずに上をみよう

TSSは休息のタイミングやレース前の練習量調整には使いやすい指標です。TSSが高い場合は遠慮なく休息をはさみましょう。
一方で、TSSが低い場合に、TSSを上げるために必ずしも練習量を増やす必要はありません。この記事全体を通してお伝えした通り、TSSは疲労度を過大評価をすることはほぼなく、むしろ過小評価をしてしまいます。
ですので、練習の上限を見極めるときにTSSは有用ですが、トレーニング後まで含めたトレーニング全体の強度を測るには適しておらず、TSSの数値が低い=練習不足であるとは断定できません。
それでも、我々ローディーはつい自分を追い込みたくなります。それでは、練習量の過不足を検討するのに適した指標はあるのでしょうか。

新しい疲労の指標”HRV”

では、疲労度を測る別の指標はないのか。ご安心ください。有力な候補があります。
そこで次回は新しい疲労度の指標として注目されているHRV(Heart rate variability)と心拍数についての基本的な解説をご紹介していきます。

引用
Modeling Stress-Recovery Status Through Heart Rate Changes Along a Cycling Grand Tour
2020 Dec 2 Anna Barrero et al.
Monitoring Fatigue Status with HRV Measures in Elite Athletes: An Avenue Beyond RMSSD? Front. Physiol., 19 November 2015
パワートレーニングバイブル 第3版
Garmin Website ​​https://support.garmin.com/


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