2023年07月31日
サイクリングサイエンス コラム第二十七回/No music, No sports.音楽がパフォーマンスに影響する!?
溶けるような暑さの日々が続いておりますが皆様ご無事でしょうか。
さて、私事ですが先日音楽フェスに参加してまいりました。お慕い申すアーティストがパフォーマンスするのを間近で見ることができ、傷は癒え肌艶も増し、寿命が伸びた心地でございます。
そんな音楽ですが、実は我々は想像以上に感情や精神活動に影響を受けており、アスリートも例外ではありません。そこで今回は知られざる音楽の力を解説していきます。
INDEX
▷モーツァルトを聴くと頭が良くなる?
▷身体はアップテンポな曲に反応する
▷好きな音楽は練習の辛さを緩和する
▷“いつもの音楽”が貴方の力を引き出す
▷睡眠に音楽は効果あり
▷外ライドでの音楽視聴は……
モーツァルトを聴くと頭が良くなる?
音楽は我々の生活には欠かせません。大好きなバンドを聞いて仕事前に自分を鼓舞したり、失恋ソングに共感して涙を流したり。音楽は常に我々の生活の側にいます。
「自分は音楽好きではないし関係ない」と思った貴方。残念ながら貴方も漏れなく音楽の掌の上にいるのです。そんな音楽と我々の感情に関わる興味深い研究をご紹介しましょう。
「モーツァルトを聴くと頭がよくなる」という話を聞いたことはありませんか?モーツァルト教育法などと銘打ち日本でも沢山の書籍が出版されましたが、元ネタはnatureに掲載され話題となった論文です。
この論文で紹介されているのは次のような内容です。
まず、大学生を以下の3つのグループに分けます。
▶️モーツァルトのソナタを10分間聴く群
▶️10分間のリラクゼーションレッスンを受ける群
▶️10分間静かな場所で待機する群
その後、IQテストの一種である空間推理課題を行うと、モーツァルトを聴いた群では他の群と比較して得点が高かったのです。
この衝撃は大きく広がり、一時はモーツァルトブームが沸き起こったほどです。その後の追加研究で、実際のところモーツァルトに不思議な力があるわけではなく、音楽を聴くという行為そのものに効果があることが判明しました。被験者の気分が良くなる心地よい音楽を聞くことでリラックスができ、タスクにより集中して取り組めたというわけです。
この他にも、音楽は我々の感情や判断に無意識下で影響を与えています。
例えばスーパーやディスカウントストアでアップテンポな曲を聴くと、購買意欲が刺激され購入金額が増すことが示されました。またワインの試飲会でBGMにクラシック音楽が掛かっていると、飲んでいるワインを高級に感じ、ワインの値段を高く見積もるという研究結果もあります。普段お店で掛かっているBGMにつられて、顧客の購入判断や品質判断がつられてしまうのです。
身体はアップテンポな曲に反応する
興味深いことに、我々は感情面だけでなく、身体が生理学的にも音楽に反応していると数々の研究から示されています。
例えばミラー(2008) は、アップテンポの音楽を聴いた後は血流効率が 26% 増加し、不安を誘発する音楽を聴いた後は 6% 低下したことを示しました。また、スライト (2013)の報告では、この生理学的機能に対する音楽の効果は主に音楽の特徴に基づいており、視聴者の好みとは無関係に生じるようであると報告しました。
この音楽効果の要は音楽のリズムにあると考えられています。テンポの速い曲(120bpm以上)は遅い曲と比べて運動能力の改善効果が高いと言われていることから、テンポが速い曲の方が運動時には望ましいでしょう。
さらに、スポーツの種類によっても音楽の効果は異なって現れます。野球やサッカーなど状況が刻一刻と変化するスポーツよりも、同じ動作をリズミカルに繰り返すスポーツの方が音楽の効果は更に大きくなります。
スポーツにおける音楽の効果をまとめると
▶️アップテンポな曲は運動のパフォーマンスを高める
▶️特に繰り返し動作の多いスポーツで顕著
▶️逆に状況が常に変化するスポーツでは音楽は邪魔にもなり得る
です。
ご自身が行うスポーツの種類や状況に合わせ、音楽をセレクトしてみましょう。
好きな音楽は練習の辛さを緩和する
音楽は人間の忍耐力をも向上させます。1990年の研究では、被験者が冷水に手をつけ耐えられる時間が音楽聴取時で変わるかを調べています。結果は予想通り、音楽を聞いていたほうが耐えられる時間が長くなったのです。
同様に運動中においても、音楽聴取時は疲労感が軽減すると報告されています。さらに興味深いことに、この鎮痛効果は「音楽に忍耐力を上げる効果がある」と知らされていたグループでさらに大きくなりました。いわば一つの自己暗示とも言えるかもしれません。
練習が辛いと感じるときは、辛い練習用のお気に入りプレイリストを聞いてみましょう。より練習に耐えられるようになるかもしれません。ちなみに筆者のインターバルトレーニングメニュー時の定番はアニメ攻殻機動隊のオープニングソング「inner universe」です。この音楽を聴くと、主人公である草薙素子少佐の力強さが自分に降りてくるような気がして、普段出せない力が湧いてくる気がするのです。音楽だけでなくアニメも素晴らしいので、御覧になっていない方は是非観てください。
“いつもの音楽”が貴方の力を引き出す
音楽の力の一つに「条件付け」という作用があります。パブロフの犬と言えばピンとくる方もいるでしょうか。これは、同じ状況で同じ音楽を聴いていると、その音楽を聴いただけで脳が同じ状況を思い出し、身体もそのように反応するという効果です。
例えば練習前に聞いている曲を試合前に聴くと、自分を鼓舞して集中力が増すといったものです。所謂ルーティンのことですね。音楽は練習や試合のルーティンに組み込みやすいうえ、実際に精神にポジティブな影響を与える効果もあります。自分の定番テーマ曲を決めて練習や試合に取り組むのはとても有効です。
睡眠に音楽は効果あり
過去のコラムでも触れた通り、アスリートにとって睡眠は非常に重要です(詳しくはコラム13.14を参照)。睡眠においても、音楽は我々に良い影響を与えてくれます。
音楽と睡眠の関係を調べたメタアナリシス研究では、就寝前の音楽による介入が不眠症患者の睡眠の質(PSQIスコア)、入眠までの時間、総睡眠時間にプラスの効果を示しました。さらに別の研究でも、年齢、性別、睡眠障害の有無にかかわらず、就寝時に音楽を聞くことで入眠時間の短縮や夜間覚醒の減少などが認められています。
とはいっても、全ての音楽が睡眠に効果的というわけではありません。睡眠導入に向いているのはやはりリラックスする音楽です。具体的には、スローテンポで大きな音の出ない穏やかな音楽がおすすめです。人の歌声が入っていないものが好ましいでしょう。
なぜ人の声は睡眠時に良くないのか、それは我々の脳に理由があります。実は、我々の脳は全ての音を聴いているわけではありません。普段から人の声に特に反応するようにチューニングが合わされているのです。
睡眠時にも、人の声が聞こえてくると脳は覚醒してしまい深い睡眠がとれなくなってしまうのです。人の声が入った音楽や、オーディオブック、ポッドキャストなどは、日中の起きている時間に楽しみましょう。
外ライドでの音楽視聴は……
現在、自転車走行中にイヤホンやヘッドホンを装着し大音量での音楽視聴は法律で禁じられています(都道府県によってイヤホンに関する規定の詳細は異なります。公安委員会遵守事項をご確認ください)。
ここまで音楽のスポーツに対する効能をお話してきましたが、屋外でのライド時にイヤホンを介した音楽視聴は、仮に法的に認可されていたとしてもやはりオススメできません。音楽を聞いてしまうと、外音が遮断され外部の情報が入らなくなり思わぬ事故の原因となってしまうからです。
Zeuwtsの研究では、音楽を聴いているサイクリストは交通ルールに準拠しなくなり、危ない運転をしてしまうリスクが高まると報告しています。別の研究では、年代別に比較すると若年者のほうが音楽により集中力を奪われ、危険応答が遅くなるという報告もあります。
しかし、骨伝導などの外部を遮断しないタイプのイヤホンではこの限りではありません。車の運転を対象とした研究では、音楽は運転者の覚醒度を高め、集中力を増すことで危険察知がむしろ早くなるという報告があります。2022年の研究では、外部音が聞こえる環境では音楽視聴はサイクリストの危険察知を阻害しないという最新の研究も出てきました。
すなわち、最近の研究により音楽視聴は必ずしもサイクリストの集中力を欠くものではなく、むしろ集中力を増す存在である可能性が示唆されるようになりました。今後イヤホンの改良によってより安全にサイクリストの集中力を高めるイヤホンが開発されるやもしれません(骨伝導イヤホンの使用については各自治体によって条例が異なりますのでご自身でご確認ください)。
参考文献
Terry PC, Karageorghis CI, Curran ML, Martin OV, Parsons-Smith RL. Effects of music in exercise and sport: A meta-analytic review. Psychol Bull. 2020 Feb;146(2):91-117. doi: 10.1037/bul0000216. Epub 2019 Dec 5. PMID: 31804098.
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The Brain Selectively Tunes to Unfamiliar Voices during Sleep
Mohamed S. Ameen, Dominik P.J. Heib, Christine Blume and Manuel Schabus
Journal of Neuroscience 2 March 2022, 42 (9) 1791-1803;
これまでの記事はこちら
第1回 「サイクリストと情報リテラシー」
第2回 FTPを信じていいのか?
第3回 FTPとどう付き合っていくか
第4回 TSS700の呪い
第5回 HRV 心拍数でわかるコンディション
第6回 ゆるポタで強くなる? 注目のPolarized Trainingとは
第7回 時間がなくても強くなれるインターバルトレーニングの極意
第8回 「キツイがこうかはばつぐんだ」インターバルトレーニングの組み立て方
第9回 誤解されている乳酸
第10回 糖を制するものは補給を制する
第11回 タンパク質との濃厚な関係
第12回 サイクリングサイエンス コラム第十二回/結局は普通が一番な脂質
第13回 第十三回/強者必睡の理をあらはす
第14回 え? 私の起床時間早すぎ?
第15回 筋肉の冷静と情熱の間
第16回 心身暑慣すれば夏もまた涼し
第17回 君子の飲料は淡きこと水の如し
第18回 花は半開を看、水は適量を飲む
第19回 健全な精神は何処に宿る?
第20回 体動けば食指動かず
第21回 罪悪感なく飲むために
第22回 リバウンドの危機
第23回 サイクリストのスキンケア
第24回 ヘルメットの重要性
第25回 目の前で落車が起きた!その時あなたはどうする?【前編】
第26回 目の前で落車が起きた!その時あなたはどうする?【後編】
第27回 あしつり大解剖
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著者プロフィール
ラン先生らんせんせい
医師兼研究者。工学系大学院で再生医学を研究する傍ら、”できるだけ短時間で強くなる”を目標に自転車トレーニングに関する論文を日々読み漁っている。休日はGPSで日本地図を描く”伊能忠敬プロジェクト”を個人的に進行中。個人ブログでも自転車に関連する論文紹介をしている。 https://charidoc.bike/