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2023年03月09日

サイクリスト あの日の夢~これからの夢 沖美穂さん(前編)「自転車の本場ヨーロッパ 日本人の考え方を捨てて戦う」

「こんなに長いレース初めてで、パレード走行も約1時間と長かった。しかも、そのころは言葉がまったくわからなかったんです。後々聞いたんですけど、私の他に何人かの選手がそのチームに応募していたらしいけど、チームメイトの話し合いで『アジア人なら初日で帰るだろうから、そいつを呼ぼうよ』ということで私が選ばれたようです。監督やチームの会長さんは優しかったけど、チームメイトは冷たい感じ。ただ言葉がわからないから、結果的によかった」

チームの人数合わせで出場し、それほど期待されていなかった沖さんだが、最終的に総合40位で完走。チームの中でも2番目に上位の成績だった。続いて出場したステージレース「トロフェー・ドール」でも総合8位と好成績を収め、区間2位に入ったステージもあった。

翌年も同じチームで走り、5月のフランスのワンデーレース「トロフェ・デ・グランパール」が大きな転機となる。レースの2日前まで38度の高熱が出ていて。体調が万全でない中でスタートした。

「監督のオーダーは、とにかく最初からガンガン行って、集団をバラけさせてくれ、だった、それで走っていたら、先頭は自分と3人ぐらいになった。最後、小高い丘でゴール勝負になって優勝しました」

「レース後、浅田(顕)さんから電話がかかってきて、『フランスでは伝統ある大きな大会だから、優勝したって言った方がいいよ』と聞いた途端、他チームからオファーが来ました。言葉がまったくわからないから、何言ってるんだろう? という感じだったんですけど(笑)」

この活躍で、翌年2003年はオランダ籍の当時のトップチームに移籍する。

自転車の本場ヨーロッパ 日本人の考え方を捨てて戦う

イタリアのチームに在籍していたころの沖さん。右は当時のイタリアチャンピオンのファビアーナ・ルペリーニ(写真:沖さん提供)

フランス時代は、徐々にチームメイトから声をかけられるようになったものの「孤独でした」と振り返る。

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