2023年03月09日
サイクリスト あの日の夢~これからの夢 沖美穂さん(前編)「自転車の本場ヨーロッパ 日本人の考え方を捨てて戦う」
シドニー五輪出場 夢の舞台で駆け巡った思い
その年の秋の実業団のロードレース(福島県・棚倉)が、初めての自転車の大会で、「最後のゴールスプリントで“ごぼう抜かれ”して、10位でした」。
翌年、チャレンジサイクルロードレース(静岡県・日本CSC)では、3位に入った。
「最初はギアチェンジの方法とか、どういう場面ですればいいとか、技術がゼロで力だけで走っていました。修善寺の5 km サーキットをずっとアウターギアで走って、心臓やぶりの坂も無理やり上って脚をつりました(笑)。当時はネットの情報もないし、雑誌にも女子のことほとんど書いていなくて、情報がなかったんです」
1年経って、トラックの練習も始めた。
「ロードワークが終わると、必ずトラックの周回練習をやっていました。でも当時は女子の大会が少なくて、出たのは2、3回ぐらい。スプリントの戦い方とかもよくわかってなかった。それよりもロードの方が楽しかった。人数も多く、人を利用して走れる。今までタイム競技のところにいたのに、ロードは集団の中でのゴールの着順で決まる。途中で駆け引きがあったりするのも楽しかったです」
その後はロードレースが主戦場になり、1998年以降は国内でほぼ負け知らず。全日本選手権を11連覇し、ジャパンカップの女子オープンでも通算10勝を挙げた。
「負けたのは、2006年ジャパンカップで6位になったときぐらい。このとき優勝したのが、萩原(麻由子)さん。それ以外は日本ではほとんど1位でした」
1997年アジア選手権(韓国)、1998年アジア大会(タイ・バンコク)では日本代表に選ばれ、1999年アジア選手権のロードレース(群馬県・嬬恋村)で優勝し、2000年シドニー五輪の代表枠を勝ち取った。スピードスケートで叶わなかった五輪出場の夢を、自転車でつかみとったのだ。
しかし、憧れの五輪の舞台はやや苦い経験となった。
著者プロフィール
光石 達哉みついし たつや
スポーツライターとしてモータースポーツ、プロ野球、自転車などを取材してきた。ロードバイク歴は約9年。たまにヒルクライムも走るけど、実力は並以下。最近は、いくら走っても体重が減らないのが悩み。佐賀県出身のミッドフォー(40代半ば)。