2023年03月09日
サイクリスト あの日の夢~これからの夢 沖美穂さん(前編)「自転車の本場ヨーロッパ 日本人の考え方を捨てて戦う」
かつて選手として活躍し、引退後のセカンドキャリアでも様々な分野で精力的に活動を続ける人々の足跡をたどり、当時の思いや今後の展望を聞く連載。第4回は女子ロードレーサーのパイオニア、沖美穂さん。全日本選手権11連覇、3度の五輪出場を果たし、ヨーロッパで日本人初の女子プロロード選手として活躍。引退後も日本競輪学校の教官、大学院進学など様々なことにチャレンジを続けている。
INDEX
スピードスケートから自転車の道へ
シドニー五輪出場 夢の舞台で駆け巡った思い
単身フランスへ 無我夢中でつかんだ勝利
自転車の本場ヨーロッパ 日本人の考え方を捨てて戦う
スピードスケートから自転車の道へ
沖さんが自転車競技に初めて触れたのは、21歳のとき。当時、スピードスケート選手として群馬県前橋市にある佐田建設の実業団チームに所属していた。
「橋本聖子さん(現参議院議員、スピードスケートと自転車競技で7度の五輪出場)が前橋競輪場での大きな大会のエキシビションに出られていて、先輩と一緒に応援に行きました。そのとき、初めて自転車競技を見たんですが、ディスクホイールの音やオイルを塗った脚が光っているのを見て、すごくかっこいいなと思いました。記者もたくさん来ていて、華やかな世界なんだなと憧れました」
北海道出身の沖さんは、子どものころに始めたスピードスケートでオリンピックに出場するのが夢だった。
「小学生のときサラエボ五輪(1984年)をテレビで見て、北沢(欣浩)さんが銀メダル(500m)を獲って、黒岩彰さん、聖子さんも出ていました。それを見て、自分もオリンピックに出たいなって思っていました」
高校2年のときにはインターハイの1000mで優勝し、よりオリンピックを意識するようになった。
「当時の日本のスケートは強い時代でした。同学年に清水宏保くん(1998年長野五輪500m金)、武田豊樹くん(2002年ソルトレイク五輪500m8位、現競輪選手)がいて、先輩には岡崎朋美さん(長野五輪500m銅)、堀井学さん(1994年リレハンメル五輪500m銅)。オリンピックに出ている方が身近にいたので、環境的にそんなに遠いものとは感じてなくて、頑張ってやれば行けるチャンスはあると思っていたんです」
しかし、実業団選手として約3年活動したが、次第に伸び悩みを感じるようになってきた。
著者プロフィール
光石 達哉みついし たつや
スポーツライターとしてモータースポーツ、プロ野球、自転車などを取材してきた。ロードバイク歴は約9年。たまにヒルクライムも走るけど、実力は並以下。最近は、いくら走っても体重が減らないのが悩み。佐賀県出身のミッドフォー(40代半ば)。