2019年09月01日
執念 〜入部正太朗、2019年全日本選手権優勝への軌跡~(後編)
シマノレーシングの入部正太朗は、全日本選手権を前に父の死、チームメイトとの意見の衝突、そしてツアー・オブ・ジャパンでの失速と心にダメージを負い続けた。しかし、辛い経験を力に変え、仲間の思いを受け止め、勝利を目指して最強のライバルに立ち向かった。 前編はこちら
CONTENTS
1.父の死
2.チームメイトと意見をぶつけ合い、救われる
3.データ分析を活かし、逃げ切りに成功
4.全日本3週間前、5日間自転車から遠ざかる
5.プレッシャーを感じるのは、向き合っているから
6.残り7周、再びレースが活性化
7.勝負を決める動き
8.新城と入部
9.「勝ち」への執念
10.誇れる勝利
11.極める道、これからの道
父の死
2019年シーズン、入部は開幕前から順調に調整していた。1月には、沖縄での日本ナショナルチームとシマノレーシングの合宿に参加した。
「1月から沖縄に1カ月間ぐらい滞在し、練習ボリュームを上げたのでかなり強度高く4000km近く乗り込みました。自分の中では過去一番乗り込んだぐらい。2月にはかなりいい状態になっていて、でもちょっと疲れを感じた部分もありました」
シーズン序盤は、ナショナルチームの一員としてツール・ド・台湾(3月17~21日)、ツール・ド・ランカウィ(4月6~13日)に出場した。
「台湾は微妙な状態だったけど、ランカウィは調子よかったです。アジアHCとカテゴリーの高いレースですが連日のように逃げて、一番惜しかったステージではラスト1kmまで2人で逃げました。結果にはつながらなかったけど、コンディションのよさを確認して、“あらためて僕は逃げが好き、逃げでチャンスを見出した方がいい”というのが再確認できました」
好調さを実感しながらランカウィから帰国した入部だったが、しばらくして心配なニュースが飛び込んできた。
「ランカウィが終わってからしばらく休んだんですけど、練習を再開するときにちょうど親父が入院したんです」
看病のため練習量は減り、精神的にも滅入ってしまった。そして父・正紀さんは5月3日に帰らぬ人となった。
中学まで野球少年だった入部に、自転車競技の道を勧めたのが正紀さんだった。自身もトラック競技の日本代表になったこともある元自転車選手で、その後はフレームビルダーとして競輪やロードレーサーのフレームを手掛けていた。
そんな父は、息子のレースを暖かく見守っていたという。
「親父は優しいですね。ライブブログとか動画配信とかでレースを見てくれているんで、僕がいい走りをしたときは『今日よかったな』、『惜しかったな』とか声をかけてくれて、僕の話をよく聞いてくれました。逆に悪い時は何も言わないです。ずっと、気にはかけてくれていましたね」
著者プロフィール
光石 達哉みついし たつや
スポーツライターとしてモータースポーツ、プロ野球、自転車などを取材してきた。ロードバイク歴は約9年。たまにヒルクライムも走るけど、実力は並以下。最近は、いくら走っても体重が減らないのが悩み。佐賀県出身のミッドフォー(40代半ば)。