2019年09月01日
執念 〜入部正太朗、2019年全日本選手権優勝への軌跡~(後編)
極める道、これからの道
全日本選手権から数日後、入部の姿は奈良の実家にあった。
「チャンピオンジャージとメダル持って帰って仏壇の親父に見せましたけど、写真見て泣きましたね。生で見せたかったって気持ちはあります」
周囲には、入部がフレームビルダーとなって父の会社を継がないかと勧める声もあるという。
「僕が継ぐってことはないです。ずっと間近で見てたんでわかるんですけど、親父の技術は僕には無理です。祖父はNHK交響楽団のトランペット奏者で、3代にわたって手に職つけるというか、ひとつの道を極めるタイプの家系なんです。その中で親父は選手より自転車を作る道が向いていたと思うし、僕は作るより選手の道が向いていると思います」
「親父が亡くなったダメージとか、TOJ前にあったみんなとの関係性とか、ひとつひとつ重かったことがぜんぶ積み重なって、あそこまで勝利に執着できたかもしれないですね」
この8月に30歳になった入部。次の目標に置いているのは来年の東京オリンピック出場だ。
「正直、ヨーロッパ(への移籍)はずっと考えてました。でも、TOJやジャパンカップなど国内のUCIレースを全部勝つようなレベルの選手だったら、ポンとヨーロッパへジャンプすると思うんです。それができていないということは、実力がともなっていないというのが自分の認識です。目指してはいたんですけど、結局、力不足でチャレンジできなかったという意識が強いですね」
「ヨーロッパは若い選手の方がチャンスあるので、年を取るとチャンスは減ってくる。そうなると目標は変わってきて、全日本、オリンピックになります。今はUCIポイントを稼いだら可能性があるオリンピックを見ているところが大きいですね」
「近々の大きな目標はオリンピックですけど、ポイントもまだぜんぜん下ですし、まだまだ力をつけないとダメ。目標は高く持ってますけど、現状として全然厳しい場所にいるんで、さらに一段階、二段階がんばらないとダメだなと思います」
さらにその先のキャリアについて、入部はどう思うのか。
「30歳になって中堅からベテランの域に入ると思うんですけど、年齢とともに体力の低下はあると思うので、どこまでできるかは考えますよね。今の時点で、先のことは自分がどう思うかわからない。でも、パワーは上がっているんで、まだ強くはなっているんです。まだいけるかなという感じはあります」
チャンピオンジャージのお披露目となったのは、7月21日の東京五輪テストイベント
これから1年はチャンピオンジャージをまとってレースを戦う。
「着続けて苦しい瞬間あるだろうな、プレッシャーかかるだろうなとか、ネガティブなことも考えます。今までの人たちもすごいプレッシャー背負って1年間走ってたんだろうなと。だから一回脱ぐときはホッとする気持ちもあるのではないかとも思うし、逆にまた着たいという気持ちになるかもしれない。今の時点ではわからないけど、連続で着続けるのはすごいことなので、選手やっている限りは目指します」
その一方で来年の全日本は、違う形で勝利を味わいたいという思いも強くなっている。
「今度は僕が貢献できたらという気持ちは一層強くなっています。もちろん、まだチームもどうなるか決まってないけど、チームメイトも力をつけてきているし、木村キャプテンもうまくまとめている。みんなが今まで支えてくれた分、これからのレースでチームメイトの勝利に貢献して喜べるように頑張ってみたい気持ちが増しています。チームメイトが勝って、僕が『やったーっ!』て喜ぶのを想像するのもワクワクしますよ」
チームメイトに胴上げされる入部。来年は逆の立場で、チームメイトを祝福したいと意気込む
入部 正太朗(いりべ しょうたろう)
1989年8月1日生まれ。奈良県出身。早稲田大学から2012年にシマノレーシングに加入。学生時代にトラック競技でつちかったスピードを武器に、チームの主力としてUCIレースやJプロツアーで数多くの勝利を挙げる。2019年、悲願の全日本選手権ロードレースを制覇。平成元年生まれで、令和最初の全日本チャンピオンとなった。
協力:シマノレーシング(https://www.shimano.com/jp/company/shimano_racing/index.html)
著者プロフィール
光石 達哉みついし たつや
スポーツライターとしてモータースポーツ、プロ野球、自転車などを取材してきた。ロードバイク歴は約9年。たまにヒルクライムも走るけど、実力は並以下。最近は、いくら走っても体重が減らないのが悩み。佐賀県出身のミッドフォー(40代半ば)。