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2022年08月26日

サイクリングサイエンス コラム 第17回/君子の飲料は淡きこと水の如し

水分が空から地面へと移動する梅雨が今年はあったのか、なかったのかもわからぬまま、お天道さまの代わりに体内から大地へ水分をほとばしらせているみなさんこんにちは、ランです。

「夏」「ローディー」と聞くと熱中症対策が自動的にくっついてきますね。かく言う私も、我が口滝壺の如しと日々大量の水分を摂取しています。熱中症対策といえば水分補給ですが、我々にとって最適なドリンクはどのようなものでしょうか。


▷ライド中に飲みたいドリンクとは?


▷濃い飲み物は吸収しづらい


▷運動中は薄い飲み物が吸収しやすい


▷スポーツドリンクでなくてOK


▷冷たい飲み物は深部体温も下げてくれる


▷ライド中に飲みたいドリンクとは?

ローディーの方であれば標準装備であるドリンクボトル。それには何を入れていますか?

途中で立ち寄ったコンビニで、なんとなくいつものドリンクを選ぶけど、本当にこれでいいのか?とお悩みの方。今回はその疑問にお応えできる内容です。

運動中のドリンク、特に夏場の水分補給を目的としたドリンクを考える時、要となるのは飲み物の浸透圧です。

浸透圧=水分を周りから奪うパワー

では、浸透圧とは一体何者でしょうか。少し難しそうな概念ですがご心配なく。実はとても単純です。

浸透圧とは、その物質がもつ水を移動させる力のことです。浸透圧が強い物質は浸透圧が弱い物質から水を奪う力があり、この力は主に溶けている物質の”濃さ”に比例して強くなります。すなわち、濃い物質ほど浸透圧が強く、周りから水分を奪う力が強いということです。

この浸透圧ですが、料理の世界ではよく利用されている現象です。その最たる例が漬物をはじめとした保存食です。塩は浸透圧が強い物質なので、食品を塩につけると塩は食品から水分を奪います。食品から水分が奪われると腐敗の原因となる細菌は食品内で繁殖ができなくなるので、食品が長期保存できるようになります。魚の下拵えで砂糖や塩で余分な水分を抜く方法もこの浸透圧を利用しています。魚表面に塗布した浸透圧の強い物質が魚側から水分を奪い、余分な水分が抜けて身がひき締まるということです。

図1:浸透圧を利用した保存食の例。梅は塩に水分を奪われるので体積が縮む

▷濃い飲み物は吸収しづらい

さてこの浸透圧ですが、我々が飲んだ飲み物が体内に吸収されるとき、その吸収効率に一役買います。口から飲んだ飲み物は胃を通過した後、小腸で吸収されます。この際、飲み物が体内に吸収されるスピードはその浸透圧によって変わります。

何も含まれていない水を飲んだ場合を想像してください。この時、水の浸透圧はほぼゼロです。水よりも細胞側の浸透圧が大きくなるので、細胞側が水を奪うことになります。結果として水は消化管側から細胞側に引きこまれていきます。このような流れで水は消化管で吸収されているのです。

図2:飲み物の浸透圧の違いと水の移動

今度は濃度の高い、浸透圧の高い飲み物を飲んだケースを考えてみましょう。甘い清涼飲料水の場合多量の糖分と塩分が含まれているので、浸透圧は細胞より飲み物の方が高くなります。すると、消化管内のスポーツドリンクが細胞側から水を奪ってしまい、消化管側に水が貯留してしまいます。つまり、濃度の濃い飲み物を飲んだ場合、体内側に水が移動せず効率よく水分を吸収できないというわけです。

水分補給のつもりでたくさん飲んだとしても、浸透圧が高い飲み物を飲みすぎた場合、体内よりも便に水分が移動して下痢になってしまい、水分が奪われてしまう結果になるのです。

身近な例では乳製品による下痢が挙げられます。

牛乳や乳製品を多量にとっておなかが緩くなった経験はありませんか?この症状は浸透圧が高い飲み物を飲みすぎたことに起因します。乳製品はラクトースと呼ばれる糖の一種が多量に含まれた、浸透圧の高い飲料です。ラクトースが体内で分解されると浸透圧は下がりますが、分解を上回るスピードで飲んだ場合や、先天的に分解酵素を持たない方が飲んだ場合は、浸透圧が高いまま乳製品が小腸に流れ込んでしまいます。そうすると高い浸透圧のせいで小腸で水分が吸収できず、逆に消化管内にある便が水を多量に吸収してしまい、下痢状態になってしまうのです。(浸透圧性下痢と呼ばれる症状です)

▷運動中は薄い飲み物が吸収しやすい

以上のことから、運動中の飲み物としては体液よりも少し薄いくらいの飲み物がおすすめです。専門的にはハイポトニック飲料と呼ばれ、糖分と塩分がバランスよく配合されている、浸透圧が最適化された飲み物です。

コンビニで売られている飲み物ではどういったものがいいのかわからない….という方は、成分表を見てみましょう。100mlあたりの食塩相当量が0.1-0.2mg、炭水化物が4g以下のものがハイポトニック飲料の基準を満たします。

図3:飲料の成分比較。同一メーカーの違うスポーツドリンクを比較しても、炭水化物量が大きく異なる。この場合、炭水化物量が少ないほうがハイポトニック飲料に該当する。


▷スポーツドリンクでなくてOK

スポーツドリンクのメリットは、消化管での吸収を考慮された飲み物という点です。「ライド中飲み物を飲むのが苦手」「暑いと食欲がわかず補給できない」「今日のトレーニングはかなり高強度」といったケースの場合、スポーツドリンクは熱中症予防としてよい選択になるでしょう。

しかし、もしもあなたが元から消化管が強く、灼熱環境下でも水分と食事の補給がしっかりできるタイプであれば、スポーツドリンクではなく普通の水分やお茶と食事だけでも十分です。

塩飴や塩タブレットは控えめに

近年、熱中症対策のための塩分摂取と称して、塩飴やタブレットが販売されておりますが、医師としてあまりおすすめはできません。そもそも日本人の食事は塩分過多の傾向にあります。令和元年の調査では、日本人の塩分摂取量は成人男性は10.9g、成人女性は9.3gと、WHOが定める5g以下という目標を大きく上回っています。

図4:各国の一日当たり平均食塩摂取量。世界中で塩分過多の傾向だが日本はとりわけ多い。

汗で塩分の喪失は起きますが、この塩分過多と比較すれば微々たるものです。また前回の暑さ順応でお伝えしたとおり、暑さに慣れてくると塩分濃度の薄い、さらさらした汗をかけるように身体が変化するため塩分の喪失が低減されます。普段から運動していて暑さに慣れたアスリートは、汗からの塩分喪失はさらに少なくなります。

図5:暑さ順応前後での発汗量と汗の性状変化。暑さになれると薄い汗を大量にかけるようになる


つまり、一般的な食事を摂取できているアスリートは、わざわざ塩分をタブレットの形態で口に入れる必要はないと考えられます。

また、熱中症=塩分摂取という言葉が一人歩きしていますが、熱中症対策の大前提は水分補給です。塩分を摂取することよりも、水分をとることをより意識して生活しましょう。

食欲が落ちて塩飴やタブレット以外食べられない、シンプルに味が好き、という方であれば、一日の上限数を決めたうえで、水分を同時に摂取するのを忘れないようにしてください。普通の食事が食べられている限り、これらの塩分配合食品をわざわざ食べる必要はありません。

▷冷たい飲み物は深部体温も下げてくれる

前回(第15回)前々回(第16回)の連載で深部体温でご説明したように、冷たいドリンクは深部体温を下げて、夏場のパフォーマンスを向上する効果が期待できます。

氷を含む冷たい飲み物は、消化管に入って吸収される過程で、消化管周囲の血液を冷却して深部体温を下げてくれます。消化管で冷えた血液は筋肉にもまわるので、筋肉のオーバーヒートを防いでくれる効果があるのです。実際に”スラリーアイス”と呼ばれる粒状の氷と飲料を混ぜたドリンクが、夏場の試合や練習用ドリンクとしてプロアスリートにも活用されています。

ただし、氷点下にもなる飲み物を急に消化管に流し込むと、人によっては消化不良、胃の不快感を起こしパフォーマンスが落ちてしまうリスクもあります。このあたりはご自身の消化管と相談しながら適量を見極めてみましょう。

参考文献

uptodate:Oral rehydration therapy
運動時の体液変化とその循環および体温調節への影響  循環制御 第39巻 第2号(2018)
Nutrients. 2019 Jul 9;11(7):1550.Practical Hydration Solutions for Sports
Salt Reduction:WHO:https://www.who.int/data/gho/indicator-metadata-registry/imr-details/3082
Salt intake:https://theconversation.com/salt-chinas-deadly-food-habit-120201
厚生労働省の令和1年(2019) 国民健康・栄養調査
競技者のための暑熱対策ガイドブック【実践編】

これまでの記事はこちら
第1回 サイクリストと情報リテラシー」
第2回 FTPを信じていいのか?
第3回 FTPとどう付き合っていくか
第4回 TSS700の呪い
第5回 HRV 心拍数でわかるコンディション
第6回 ゆるポタで強くなる? 注目のPolarized Trainingとは
第7回 時間がなくても強くなれるインターバルトレーニングの極意
第8回 「キツイがこうかはばつぐんだ」インターバルトレーニングの組み立て方
第9回 誤解されている乳酸
第10回 糖を制するものは補給を制する
第11回 タンパク質との濃厚な関係

第12回 サイクリングサイエンス コラム第十二回/結局は普通が一番な脂質
第13回 第十三回/強者必睡の理をあらはす
第14回 え? 私の起床時間早すぎ?
第15回 筋肉の冷静と情熱の間
第16回 心身暑慣すれば夏もまた涼し


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