2022年06月24日
サイクリングサイエンス コラム 第15回/ 筋肉の冷静と情熱の間
2022年6月、Mt.富士ヒルクライムが開催されました。今年の富士ヒルは雨予報だったものの、当日は雨も止み、時折晴れ間も見えるほど天気が好転しました。屋外で行うスポーツである限り、天気はどうしてもコントロール出来ない要因です。強い選手になるためには、どんな天候でもパフォーマンスを出し切れる全天候型ボディに仕上げる必要があります。
INDEX
▷人はなぜ温かい?
▷内臓の温度、深部体温
▷人が体温をあげるとき
▷深部体温は午後に上がる
▷深部体温測定デバイスに期待がよせられる
▷体温調節は鍛えることができる
今回はそんな全天候型ボディを目指すロードレーサー、トライアスリート、マラソンランナーの方々に向け、「猛暑でも記録を出せる」方法を2回に渡って解説していきます。今回は基本編、人の体温についてです。
▷人はなぜ温かい?
そもそも、我々の体温はなぜあるのでしょうか。
我々の生命維持には体内に存在する酵素の存在が欠かせません。この酵素には最適温度が存在し、多くは37℃付近で活性化します。ヒトは長い歴史の過程で、体温を37℃に自動保持するシステムを構築し、起きている時も寝ている時も酵素活性を止めずに生命活動を維持できるよう進化してきました。
体温を一定に保つ機構を備えた動物を総称して恒温動物、そうでないものを変温動物とかつては呼んでいましたが、昨今の研究で体温維持機構は動物種によって大きく異なることが分かり、この名称は現在では用いられなくなりました。我々人間の場合は体温を37℃前後に保ち、時と場合によって体温を上げる機能を備えた動物ということになります。
▷内臓の温度、深部体温
体温には2つの定義があります。ひとつは皮膚温と呼ばれ、皮膚表面の温度のことです。一般的な接触式/非接触式体温計で測定します。もう一方は深部体温と呼ばれ、脳を含む内臓器官の温度で生命維持のための機能と直結すると考えられています。通常の生活では皮膚温を計測しますが、医療や生物学の分野では深部体温の方が生命活動や生体反応と関係が強いため、こちらが重視されます。
体温を上げるには、主に筋肉を動かして熱を発生させます。筋肉内のエネルギーのうち、2割が実際に筋肉を動かすために使用され、残り8割は熱として周囲に放出されます。
反対に体温を下げる機構は、主に汗の蒸発と体表血液循環を利用して行っています。
図1.体温の上昇に関わる因子の模式図:人の身体は空冷式
体温が上昇すると、脳にある体温中枢から心臓と血管に指令がとび、体表近くに血流を流すようにします。体表近くの血液は外気に熱を放出してから心臓に戻っていくので、これにより深部体温が下げられます。バイクエンジン、エアコン、コンピューターでみられる”空冷式”冷却システムを人間も採用しているということです。心拍系をつけて走るローディーであればお気づきでしょうが、暑い時にライドをすると、普段よりも心拍数が上がりやすくなります。これは普段の運動による心拍上昇に加えて、冷却のためにも血流循環を促進する必要があるため、余計に心拍数が高くなるのです。
体温が上がると皮膚の色が赤みを帯びてくると思いますが、これは皮膚表面の血管が開き、流れる血液の赤色が皮膚にあらわれている現象のためです。しかし、この手法は外気が体温より低いときには有効ですが、外気温の方が高い場合は効果がありません。この場合、汗に頼ることになります。汗を含む水分が蒸発する際、外部から膨大な熱エネルギーを吸収して気化します。この汗の蒸発による降温効果は外気温に影響されないため非常に有効な手段となります。
▷人が体温をあげるとき
体温を上げるケースは主に2つあります。ひとつは感染したときです。細菌やウィルスに感染した場合、人の身体は自ら意図的に体温を上昇させます。これは、多くの細菌やウィルスが高温に弱いという性質があるため、わざと自分の体温を上げることで侵入者たちに不利な状況を作ろうとしているのです。
もうひとつのケースは運動時です。過去の様々な研究によると、多くの人にとって運動のパフォーマンスがもっとも良くなるのは深部体温が38℃以上になる時と知られています。詳しい機序は不明ですが、運動に関与する代謝回路や酵素の働きが、温度が高いほど活性があがるためではと考えられています。
我々が本番の前にウォーミングアップをするのはこれが理由です。本番前に軽く運動を行うことにより、深部体温をあげて本番に最適体温で挑むためです。「厚着すればウォーミングアップは短時間で済む」という誤解がありますが、厚着して上がるのは皮膚温です。深部体温の上昇にはある程度の時間がかかるため、厚着はこの時間短縮にはそれほど寄与しません。
図2.外気温と体温上昇の関係:気温25℃以上から急激に体温が上昇する
深部体温は38℃以上が運動に最適と言われていますが、高すぎると熱による障害が発生します。深部体温は外気温にも影響を受け、外気温が高くかつ湿度が高い環境では先述の汗の蒸発と体表血液循環による冷却が機能せず、深部体温が過剰に上昇してしまいます。
深部体温が41℃以上になると、生体維持に必要なタンパク質の変性やシグナル伝達の異常が発生しはじめ、これ以上は体温があがるほど命の危機にさらされます。夏場の熱中症もこの深部体温があがりすぎることが病気の原因です。過去の研究では外気温が25℃を超えると深部体温が急激に上昇することも報告されています。この25℃という気温は熱中症を考えるうえでひとつの指標になります。
▷深部体温は午後に上がる
また深部体温は時間帯でも変化します。人間の体温は睡眠時に大きく低下します。そして起床後に徐々に上昇し、午後にピークを迎えて夕方から徐々にまた下がっていきます。朝のほうがなんとなく身体がなまっているように感じるのは、この深部体温があがりきっていないことが原因です。早朝にレースがある場合、ウォーミングアップを入念に行い、深部体温をしっかりと上昇させておきましょう。
図3 体温の日内変動:深夜から早朝にかけて体温はもっとも下がる
一方で、この朝の深部体温の低さを活用して夏場の練習を乗り切る方法もあります。夏場の長時間練習を外気温が低くかつ体温が低い早朝に行うことで、深部体温の過上昇を防ぐことができると言われています。前回の記事では「睡眠リズムに応じた練習を」と述べましたが、夏場の長時間練習に限れば、早朝のほうが安全と言えます。
▷深部体温測定デバイスに期待がよせられる
さてこの深部体温ですが、昨今はアスリートの体調管理方法として注目され、続々と計測機器が発売されています。例えばスイス発の会社ではCOREと呼ばれる深部体温計測デバイスを開発しています。
これは胸部心拍ベルトに差し込むことで体幹部の皮膚温をモニターし、そこから深部体温を独自のアルゴリズムで推測するデバイスです。すでにWahooやGarminなどのスポーツウェアラブルデバイスと連携できるようになっています。しかし、皮膚温から深部体温を計測するデバイスは現状ではまだ誤差が大きいと指摘する声もあり、この技術はまだ成熟途中の段階といえるでしょう。とはいえ、今後技術革新がおきれば、現在お使いの腕時計や心拍ベルトに深部体温計測機能が搭載される日もそう遠くはないでしょう。
▷体温調節は鍛えることができる
この体温上昇ですが、鍛えることで高温に耐えられるようになることがよく知られています。UCIレースに出場した男女の選手において、深部体温をモニターする実験が行われました。このレースは最高気温37℃まで到達するほどの灼熱の環境でした。参加した半数以上の選手が、本来ならば危険な水準である41℃台まで深部体温が上昇していたという驚くべき結果が得られました。しかし、選手達は誰も熱中症の症状を訴えず、好記録も出していたというのです。
これらの選手に共通していたことは、適切な方法で暑さに慣れるトレーニング、暑さ順応を行っていたということです。このように、暑さを適度に身体に馴らすことで、灼熱のレースでも本来の力を発揮することができるようになると知られています。
さて、次回はこの暑さ順応にフォーカスをあて、夏のレースでもバテない身体を作る方法をご紹介します。
参考文献
堀 清記:高温環境下における運動時の生理的反応,体力科學,56(1),1-8,2007
新たな冷却戦略の実践 深部体温の上昇を抑える
Hashimoto S et al, Melatonin rhythm is not shifted by lights that suppress nocturnal melatonin in humans under entrainment
McGowan CJ, Pyne DB, Thompson KG, Rattray B. Warm-Up Strategies for Sport and Exercise: Mechanisms and Applications. Sports Med. 2015 Nov;45(11):1523-46
J. D. Périard et al. Adaptations and mechanisms of human heat acclimation: Applications for competitive athletes and sports
Racinais S, Moussay S, Nichols D, et alCore temperature up to 41.5ºC during the UCI Road Cycling World Championships in the heatBritish Journal of Sports Medicine 2019;53:426-429.
Nina Verdel et al. Reliability and Validity of the CORE Sensor to Assess Core Body Temperature during Cycling Exercise 19 July 2021 Sensors 2021, 21(17), 5932
これまでの記事はこちら
第1回 「サイクリストと情報リテラシー」
第2回 FTPを信じていいのか?
第3回 FTPとどう付き合っていくか
第4回 TSS700の呪い
第5回 HRV 心拍数でわかるコンディション
第6回 ゆるポタで強くなる? 注目のPolarized Trainingとは
第7回 時間がなくても強くなれるインターバルトレーニングの極意
第8回 「キツイがこうかはばつぐんだ」インターバルトレーニングの組み立て方
第9回 誤解されている乳酸
第10回 糖を制するものは補給を制する
第11回 タンパク質との濃厚な関係
第12回 サイクリングサイエンス コラム第十二回/結局は普通が一番な脂質
第13回 第十三回/強者必睡の理をあらはす
第14回 え? 私の起床時間早すぎ?
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著者プロフィール
ラン先生らんせんせい
医師兼研究者。工学系大学院で再生医学を研究する傍ら、”できるだけ短時間で強くなる”を目標に自転車トレーニングに関する論文を日々読み漁っている。休日はGPSで日本地図を描く”伊能忠敬プロジェクト”を個人的に進行中。個人ブログでも自転車に関連する論文紹介をしている。 https://charidoc.bike/
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