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2023年02月20日

サイクリスト あの日の夢~これからの夢  EF エデュケーション-NIPPO デヴェロップメントチーム 監督 大門 宏さん(前編)「出会いが生み出したストーリー」

そのOBこそが、1964年東京五輪代表の山尾裕(やまお・ひろし、ロードレース代表)さん、罐範男(ほとぎ・のりお、団体追い抜き代表)さんらだった。その後、山尾さんらが毎週末、練習を見てくれるようになり、夏休みには同じくOBで世界選手権の元ロードレース代表で当時競輪学校の生徒だった横長勇(よこちょう・いさお)さんも一緒に指導してくれた。

「OBが入れ代わり立ち代わり週末になったら、僕みたいに弱い選手を一生懸命親身になって面倒見てくれて、こういう立派な先輩方がいるんであれば頑張らなきゃいけないなって必然的に思いました。もし1年違っていたらそういう出会いはなかったかもしれないですし、僕にとってみればすごく衝撃的に恵まれた出会いでした」

次第に大門さんも実力をつけていき、国体に2度出場し、中部北信越大会では優勝も挙げた。

「小学校時代、遠泳の大会で優勝したことがあるので、心臓は強かったんだと思います。短距離はダメだったんですけど、長距離は不得意じゃなかった」

ちなみにその後、強豪に復活した金沢高校は昨年競輪で通算800勝を達成した小嶋敬二選手などを輩出している。

大門さんは先輩の紹介で中京大学に進み、ポイントレースではインカレ2連覇、ロードレースは都道府県大会で優勝を飾った。

「2年、3年、4年と徐々に成績が出だしたけど、どちらかというとポイントレースの選手でしたね。大学を卒業したらどうしようか、自転車に乗って食う手段なら競輪も選択肢の一つかと思って、当時の1kmのタイムの合格ラインには自信があったので願書を出したんです。富山競輪場で実技試験があったんですけど、何が理由か忘れてしまったけど結局行きませんでした」

大学は1年留年。4度参加したインカレは出場できなくなったので、かつて日大で主将を務めていた杉本氏に誘われて実業団チームのサラヤヤシノミクラブで走り、全日本実業団のポイントレースで優勝した。

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