2023年02月20日
サイクリスト あの日の夢~これからの夢 EF エデュケーション-NIPPO デヴェロップメントチーム 監督 大門 宏さん(前編)「出会いが生み出したストーリー」
かつて選手として活躍し、引退後のセカンドキャリアでも様々な分野で精力的に活動を続ける人々の足跡をたどり、当時の思いや今後の展望を聞く連載。第3回はTeam NIPPO監督の大門宏さん。
現役時代はヨーロッパでも活動し、バルセロナ五輪にも出場。引退後はTeam NIPPO監督として、長年に渡り日本人選手の海外挑戦をサポートしている。
INDEX
▷ 廃部寸前の自転車競技部、元東京五輪代表のOBとの衝撃的な出会い
▷シマノレーシングへ 恩師との出会いと別れ
▷ヨーロッパ挑戦、世界選手権入賞でバルセロナ五輪出場
廃部寸前の自転車競技部、元東京五輪代表のOBとの衝撃的な出会い
元警察官で柔道整復師だった父の影響で、小学校から柔道を習っていた大門さん。地元・石川県の金沢高校に進学したときも、父の紹介で柔道部に入ることになっていた。しかし、大門さんの本心では、柔道を続けたくなかった。
「柔道は無理やりやらされていたって感じで、あまり向いてなかったと思うんです。親父は柔道部の監督に息子が行くからと話をしていたけど、僕はもうやりたくなかった。でも柔道を続けない真っ当な理由、言い訳が必要だったんです。それで特に関心があったわけではないんですけど、当時としては珍しかった自転車競技部に飛び込みました」
金沢高校の自転車競技部は、かつては全国優勝を争う強豪だったが、この時は上級生1人に大門さんら新入部員3人、合わせて部員4人とまさに廃部寸前の危機。初めて出た大会は陸上グラウンドが会場で、初心者だった大門さんはもちろん成績を残すどころではなかった。
その大会の様子を部のOBたちが見に来ていたという。
「伝統ある部が低迷していると聞いて、OBも立て直したいっていう気持ちがあったみたいですね。その怖いおじさんたちに『強くなりたいか』って聞かれて、もちろん否定する勇気なんてあるはずもなく『強くなりたいです』って答えました」
著者プロフィール
光石 達哉みついし たつや
スポーツライターとしてモータースポーツ、プロ野球、自転車などを取材してきた。ロードバイク歴は約9年。たまにヒルクライムも走るけど、実力は並以下。最近は、いくら走っても体重が減らないのが悩み。佐賀県出身のミッドフォー(40代半ば)。
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