2022年06月03日
才田直人の“自転車ワーケーション放浪旅”第六回 / 東北沿岸を走る 東日本大震災から11年
2011年3月11日 フランスノルマンディー
良く知っている海岸線が巨大な波に飲み込まれる様子がテレビで繰り返される。現実とは思えない映像が、フランス語とともに流れることで、まるで映画のような錯覚を覚えた。
仙台で大学時代を過ごし、自転車にのめり込んだ私は、卒業後すぐに自転車選手になりたくてフランスに渡っていた。その冬に帰国すると仙台に向かった。瓦礫の積まれた海岸線が続き、学生だった当時に走っていた道がどこなのか判断もつかなかった。
そこにあるはずの海が見えない
東北地方が大好きで今年は早くも5月のゴールデンウィークに訪れた。今回の舞台は三陸海岸の南部である。
震災から11年。もちろん瓦礫はすっかり片付けられているし、一見するとものすごく綺麗に整備された地域に見える。
ただ、自転車で走るとすぐに気がつく事がある。津波被害を受けた地域とそれより内陸との間にラインが見えるように、震災前の風景と新しい建物が並ぶ街並みに分かれる。
そして、さらに海沿いに行くとまだまだ更地のままのエリアが目立つ。「奇跡の一本松」で有名になった陸前高田には広大な平地が広がっていた。
そして標高の低い海岸線を走っている限り、震災以前はすぐ目の前にあったであろう海を見ることはできない。高い高い防波堤が聳えているからである。海と生きてきた三陸の人たちが海との間に壁を作り、高台に移った。大きな恐怖が残した傷跡だろう。
後世に伝える工夫
昔から繰り返し津波の被害を受ける日本の海岸線。後世にその危険を伝えようとしても徐々に風化していく。そして、東日本大震災のように「過去最大級」は先人の経験を超えてしまうこともある。
三陸を走っていると震災遺構を良く目にする。被災した建物をそのまま残しているのだ。自然の脅威をダイレクトに感じることができる。
気仙沼の東日本大震災伝承館は向洋高校旧校舎を被災当時のまま保存している。ゴールデンウィーク中の企画だろうか、現役の高校生ボランティアの語り部と一緒に館内を回ることができた。三階まで浸水したという校舎は天井が剥がれ、物が散乱し、どこから流れてきたかわからない車が突き刺さったりしている。
それを当時幼稚園児や小学生だった語り部が実体験と共に語ってくれた。辛い記憶を淡々と、しっかりと伝えてくれる。幼少期に信じられないような経験をした彼女たちは大きく、立派に見えた。
彼女たちよりもっと若い世代になると震災当時の直接の記憶はないという。この震災を「風化させてはならない」と強い気持ちで話していた。一方で、「旧校舎が被災したので新校舎が内陸に引っ越して、設備が新しくて綺麗で良いんですよね」と高校生らしくポジティブに未来への一歩を確実に踏み出している。
震災遺構という後世に記憶を伝える新しい形。機会があれば是非、現地を訪れてみてほしい。
復興ってなんだろう
釜石の海岸線で高い防波堤が気になり国道を外れて旧道に入ったところで、偶然出会った地元の方と話しをする機会があった。
アサリ漁をする小舟を眺めて「漁師以外は船を出せないから、俺は海水に腰まで浸かって採りに行かないといけない。もう少し暖かくなるまで残しておいてくれよ。」と言ったおじさん。
その後にひと言。「俺の先輩はあの日、津波の様子を見に行ったっきりまだ帰ってきていないんだよ」。
一歩一歩、確実に進んでいるけれど、私には到底想像のつかない、まだ整理のついていない事はたくさんある。
変化に富んだルートとグルメを自転車で
津波被害が大きくなった要因のひとつにリアス式海岸がある。三陸の海岸線に押し寄せた津波は入り組んだ海岸線に到達すると、狭い方へと海水が集中して流れ込みより内陸へと押し寄せた。
アップダウンの厳しいこの地形は自転車には走りごたえのあるルートになる。海岸線を走っていても大きな丘が連続し、ピークに達するたびに絶景が訪れる。内陸に踏み込めば標高差500m以上のダイナミックな上りも多い。
当然、海の幸は豊富で美味しいものが多い。極細麺が特徴的な釜石ラーメンがあったり、内陸にはジンギスカンが有名な遠野があったり、三陸を代表する銘菓「かもめの玉子」は大船渡のお菓子である。
世界遺産の橋野鉄鉱山や、浄土ヶ浜を始めとした景勝地をもつこの地域。再び訪れて、まだまだ力強く進んでいく「復興」を現場で感じていきたいなと思う。
写真と文:才田直人
才田直人の“自転車ワーケーション放浪旅” 連載中
第一回 プロローグ
第二回 旅の流儀
第三回 フェリーで広がる可能性 ~奄美群島~
第四回 自転車で訪れる八重山諸島
第五回 / 出発の地、目的の地、それは『レース』
著者プロフィール
才田直人さいた なおと
1985年生まれ。日本中、世界中を自転車で旅しながら、その様子を発信する旅人/ライター。日本の上るべき100のヒルクライムルートを選定する『ヒルクライム日本百名登』プロジェクトを立ち上げて、精力的に旅を続ける傍ら、ヒルクライムレースやイベントにも参加している。