2016年10月09日
バラ❤︎サイ VOL.6 今井みち子さん「自転車に乗っていると意外と大きな道が拓けるんだなって」
バラ❤︎サイ第6回はFUNRiDE presents 2016年 富士チャレンジ200(以下、富士チャレ)、女性100kmカテゴリーで2連覇を果たした、なるしまフレンド所属、今井みち子さんです。
自転車歴15年のみち子さんですが、まったく運動の習慣がなかったところに「何か運動しなさい」とパートナーから勧められたのが自転車だったそう。
ちゅなどん:最初、自転車にはすぐに慣れましたか?
みち子さん:最初はあまり楽しくなくて、なんとなく乗ってるって感じだったんです。しかも自転車は1台。それを旦那さんと交代で乗ってたから、乗るときは1人のことが多かったんですね。それでもショップの走行会や練習には参加してました。ただ、私は運動をまったくしていないところから始めてるので、全然ついていけなくて……。みんなと一緒に走り始めても、置いていかれて話にならなくて、結局、走行会へ行くのもやめて、1人で走ってることが多かったですね。楽しくなかったけど。当時は北海道に住んでいたので、北海道のレースには何度か出たんです。女性サイクリストは3人くらいしかいなくて、彼女たちがまたすごく強くって、圧倒的に離されてるんですけど、3人しかいないからレースに出れば3位、って感じでした。
北海道から長野県へ。仲間ができて自転車が楽しくなってきた。
その後、北海道を離れて住まいを長野県松本市に移すことになったみち子さん。この転居をきっかけに、それまで楽しくないと思いつつ乗っていた自転車がすごく楽しくなったといいます。
ちゅなどん:長野では自転車楽しくなりましたか?どんな出会いがあったんでしょう?
みち子さん:ちょうど時を同じくして、松本市にマウンテンバイクの選手が多く移住してきてあの周辺でトレーニングを行っていた全盛期だったんです。例えば鈴木雷太さんとか、宇田川さんや、現在はやまめの学校をやってる堂城さんなどですね。その頃、当時は雑誌だったファンライドの後ろのほうに走行会のメンバー募集の欄があって、そこから連絡をとって参加させてもらい、いろんな人と一緒に走るようになりました。
ちゅなどん:きっかけはファンライド!だったんですね!
みち子さん:そうなんですよー。当時は雑誌くらいしか仲間を探す手段がなくて。そうやって見つけたのが信州大学で集まってやってる走行会だったんです。土曜日に開催してたんですが、そこに混ぜてもらうようになりました。お友達ができて楽しくなってきたんですね。
ちゅなどん:ちなみにその走行会はマウンテンバイク?
みち子さん:いいえ、それはロードバイクで。この集まりはチームっていうより、ご近所さんの寄り合い的な走行会だったんですが、その後レースをちゃんと走ってみたいと思って、チームに所属しようと改めて探しあてたのが松本で有名だった大石さんのエキップあずみのというチームだったんです。ここに加入して、ちゃんとレースをやるようになりました。そうしてあずみのの練習会に行くことになったんですが、これがまた速い人の集まりで、上りで切れるんです。でもあんまり待ってくれないチームだったんで、山の中で遅れてそのまま流れ解散、みたいなさみしい思いもしましたね。
ちゅなどん:わー。切り捨て御免、ってやつですね。それでもイヤにならなかったんですか?
みち子さん:うん、走れるのが楽しくて、嫌にはならなかったですね。みんなと走れるのが楽しくてやってました。で、上りのレース(ヒルクライム)にちょっと出てみたりしていました。
ちゅなどん:どうでしたか? その頃の成績は。
みち子さん:あの辺のレースはひと通り出たんですけど……。栂池のヒルクライムレースの一般女子で一度優勝したことがありますね。10年くらい前かな。
当時は美ヶ原の近くに住んでいたので、練習はいつもその辺りで。家からウォーミングアップがてら15分くらい走れば上れるところに行けたんです。この頃、ヒルクライムではぼちぼち優勝はしてたんですが、住んでいた松本からだとレースへ行くのにどこも遠くて、もっと近くでレースに出たいなと思って見つけたのがシクロクロスだったんです。
シクロクロスと出会い、その先には世界があった
長野での練習会の仲間が参加していて、面白そうだ、と思ったというシクロクロス。みち子さんもバイクを手に入れ、さっそくやってみることにしたそうです。
ちゅなどん:今やシクロクロスもすっかり人気が出てメジャーになってきましたが、当時はどんな感じでしたか?
みち子さん:女子はやっぱり少なくて、出れば優勝できるって感じでしたね。近所の人が集まってコース作って走ってるような雰囲気で、ガチでやってる人もそれほどいなかったような印象です。レース会場は近場だし、エントリー費は2,000円くらい。とても手軽で草レースを遊びに行く感覚で頻繁に参加するようになりました。当時は全日本選手権を長野でやってたことが多かったから、これにも出ていましたね。女性はやっぱり少なかったから、出れば入賞する、って感じでした。シクロクロスでは最終的には世界選手権に2回出ることになるんですけれど。
ちゅなどん:わーすごい!2度の世界選の開催地は?
みち子さん:ベルギーとチェコに行きましたね。世界選に出るためにはセレクションレースに出ることが必要で、そのレースが、あるとき北海道で開催だったんですね。故郷のレースだからがんばろう、って思って金曜日から会場入りして試走も念入りにしました。そのレースで、2位に入ったんです。豊岡さんが1位で、前にもう1人が先行してたんだけど、最後に平地で追いついて、ゴール前にスプリントで差したんですね。忘れられないレースでした。ここで2位に入ったのが評価されて世界選手権のメンバーに選ばれました。
ちゅなどん:熱いレース!勝ち取った感、ありますね。
みち子さん:世界選へ行くなんて考えたことはなかったんだけど、全日本で2位になったんだから、これはいけるんじゃないか、ってそんな気持ちになってしまって。自転車に乗っていると意外と大きな道が拓けるんだなって思いましたね。
ちゅなどん:どうでしたか?世界選手権は。
みち子さん:世界選は日本のコースと全然違うんです。日本はドライで比較的スピードが出るんですけど、向こうは雨がよく降って、田んぼみたいなドロドロのところを。ホイールが埋まっちゃって進まないんですよ。レースの後ろの方で日本人がちょろちょろ走ってると、すごく応援されるんですね。名前まで呼んでもらいました。ミチコガンバレ!って。
ちゅなどん:みち子さん、小柄だから余計にがんばっているように見えたんですねー。良い経験をされましたね。
レースやるなら自転車屋さん、それも“なるしまフレンド”でしょう!一念発起の 上・京・物・語
ロードレース、ヒルクライムにシクロクロス。一年中レース活動で追い込んでいると体も心も疲れてきて…。
その後、実家のある北海道へ戻り、レース活動から距離をおく時期があったというみち子さん。復活のきっかけは?
みち子さん:北海道でも楽しくは乗りたいなと思って、自転車は残してあったんです。地元でもサイクリングへ行ったりはしていました。あとは山歩きやランで身体を動かしていましたね。でも、やっぱりあれだけレースを続けてきたので、レースの現場に近い自転車の仕事をしたいなぁと思って…知り合いのつてを頼って、なるしまフレンドで働けないか、って打診したんです。すぐに採用、とはならなかったのですが、その後少し経って、採用の連絡をいただいて、北海道から東京へ戻ってきました。
ちゅなどん:他にも自転車屋さんはたくさんあるのに、そこはなるしまフレンド、だったんですね。
みち子さん:自転車屋さんで働くなら、なるしまフレンドだろうって思ってましたね。
ちゅなどん:いかがですか?職場としては。
みち子さん:面白いですね。自転車好きが集まるところは楽しいです。
ちゅなどん:私からするといくら自転車が、レースが好きだからと言ってもこれはかなり思い切った決断のように見えるんですが…… 。(次のページへ)
著者プロフィール
ちゅなどんちゅなどん
自転車好きが高じて一時期飽きるほど自転車に乗り、とうとう自転車に"乗る理由"がなくなってハンドメイドサイクルキャップを制作販売、自走納品する『自作自演型サイクリスト』 その傍ら、あるときはサイクリングイベント会社で、あるときは自ら企画するイベントでアテンドライドしています。持ち味はよく通る声と年の功からにじみ出る安定感。 ハマっ子歴19年。関西弁ネイティブ。