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2019年05月06日

富士チャレンジ200へのイメージトレーニング②「アタックの美学」トマ・ヴォクレール

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 ツール・ド・フランスの表彰台を見ていると、勝者の傍で優しい笑みを浮かべているフランス人がいる。勝者と握手し、特別賞ジャージのジッパーを上げてあげる役目を担っている人物、それがかつて「逃げ屋」としてフランスを沸かせたトマ・ヴォクレールだ。
現在39歳の彼は、2017年にそのスペクタクルに満ちたキャリアに終止符を打ち、以降ツール主催者ASOのスタッフとして主催レースに帯同している。

 ヴォクレールといえば、厳しくなればなるほど舌を出し、時に感情を爆発させながら果敢に逃げる走りが信条だった。
「8回のアタックが無駄に終わっても、9回目のアタックが勝利に繋がるならばそれでいい。1回もアタックせずに勝つよりもずっといい。それが自分の性分」
と、語るヴォクレールは、2001年にボンジュールでプロ入りすると、ブリオシュ・ラブランジェール、ブイグテレコム、ユーロップカー、ディレクトエネルジーと名前を変えるフランスチームに所属し続けた。
もちろんヴォクレールには他チームからの多額のオファーもあったが、それらを一蹴してジャンルネ・ベルノドーGM率いるチームにこだわった。成功した選手がプロ入りから引退まで一貫してひとつのチームに所属するのは珍しいこと。
そんなところにもヴォクレールの男気のようなものを感じることができる。

 その名を広く知らしめたのは、25歳の時に挑んだ自身2回目となる2004年のツール・ド・フランスだった。第5ステージで大逃げに乗ったヴォクレールは総合首位に躍進。
マイヨジョーヌを失うことなくピレネー山脈を越えた。
連日の彼の熱い走りが、相次ぐスキャンダルで低迷していたフランス国内の自転車人気の復権につながったという。実際に現在の若手フランス人選手たちと話をすると、15年前のヴォクレールの10日間マイヨジョーヌ着用が印象的だったという声も聞かれる。
最終的に総合順位は18位に沈んだものの、熱い走りは人々の心を掴んだ。
ヴォクレールはフランスの英雄になった。

  揺るぎない名声を得てからも、ヴォクレールの走りは変わらなかった。
毎年のようにツールで逃げに乗ったヴォクレールは、2011年に再びマイヨジョーヌを獲得する。32歳になったベテランはピレネー山脈に続いてアルプス山脈も乗り越える走りを披露し、当時のフランス勢としては稀に見る総合4位という好成績でパリに凱旋した。
17年間プロとして駆け抜けたヴォクレールは、15回出場したツールでステージ通算4勝を飾り、2012年には山岳賞を獲得。
これらは疑うまでもなく逃げの賜物だ。
「自分の強みは、他の選手よりも弱点が少ないこと。そして自分の弱みは、他の選手に誇れるような強みがないこと。自分のエンジンの出力が大きくないことを自覚している。勝利への渇望と、攻めの姿勢が結果をもたらしてくれている」。
科学や計算、数値、理論に溢れる21世紀のロードレースにおいて、ヴォクレールの走りは驚きや勇敢さに溢れていた

◆富士チャレンジ200ホームページ

http://www.fujichallenge.jp/

写真と文:Kei TSUJI

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