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2023年11月19日

落合佑介が挑んだアメリカ横断レースRAAM/ 4,880kmの軌跡と想定外の結末(後編)

前編はこちら

レースDAY6

溜まっていく疲労をよそにクルーの個性が光る

DAY5の天気とは打って変わって晴天なのだが、私の調子はどうも上がらない。30分の仮眠を取ってリフレッシュを図る。さらに30分、足の筋肉をほぐすために休憩をした。足の筋肉がバッキバキになっていると言われた。少しでも触れられると悲鳴を上げるほど硬直していて痛かった。止まらずに動き続けた代償だ。距離は行程の半分を超えた程度なので、この先が心配でしっかりとマッサージを受ける必要があった。
何となく下っている真っすぐな道路を東に進んでいたが、サポートカーが来ない。リープフロッグ(昼間のサポートの方法で、サポートカーはライダーを追い抜き、ある程度先行した先で路肩に停車し、ライダーが追い抜くの待って、再び追い抜くのを繰り返す)の時間になっていたのでしばらく会わないこともあったが、どうもおかしいと思っていたら、スタックしたとの連絡が入る。サンダーストームの影響はかなり広い範囲に及んでいて、ぬかるんだ道に車輪を取られていた。クルーも疲労していて、集中力が切れてくるので心配していた通りになった。集中力が落ちているのはライダーもクルーも同じで、それを自分で実感していないと危険なのだ。みんなで声をかけて励まし合う必要があったが、自分からは発信できていなかった。

徹夜明けの夜勤組は、スタックした車を脱出させるという労働時間を増やされた。ストレスフルな状態になっているかと思っていたのだが、そうではなかったようだ。夜勤組は昼組と比べると個性的なクルーが多いので、非常時にはテンションが上がり活躍してくれる。前日の夜もライダーを放置し、タブレットで映画『風の谷のナウシカ』に夢中になり、その音声をサポートカーの屋根に付けたスピーカーからライダーに聞かせるという愚行を働いていたのだ(クルー註:夜間、前方に風力発電のタワーに灯る赤いライトが地平の先まで無数に並ぶ様子が、映画に出てくる王蟲(オーム)の目に見えたため、盛り上げようとした)。

日が暮れるまで気温は30℃あったので、暑くてあまりペースも上がらない。少しずつ暑さが和らいでくるとペースも上がってきた。心配されていた食事も積極的にオーダーした。カットフルーツはどこのスーパーにも売っており手に入りやすく、暑い日には食事としても有効だった。日本縦断は各地のパン、アメリカ横断は各地のフルーツが食べられていると喜んでいた。
この日からクルーが1名加わった。ホノルルのカメラマン、コリンクルーだ。スタックの影響で合流が遅れたが、早速撮影がスタートした。素晴らしい写真を撮ってくれたのだが6日目からの表情なので心配だったが、私も撮影されるとなれば身構えるので安定した走りを取り戻すことができた。

レースDAY7

坦々とやるべきことをしてフィニッシュを目指す

夜間は一睡もしなかった。アップダウンに苦しめられ、速度は遅いながらも乗り越えることができた。昨日の教訓を受けて、今日も筋肉をほぐした。マッサージをしっかり取り入れて進まなければ、ゴールはできないのではないかと思えてきたのだ。夜寝なかった分は日中に1時間ほど仮眠をしたことと、交通状況もあり、睡魔には襲われなかった。
交通状況とは日本でいうバイパスのような車線が多くて広く、日本より側道が広い道路を走る。車は時速100㎞くらいで走っていて、私はインターチェンジを出ないように、高速で走る車の切れ目を狙って車線変更をしながら進むのだ。サポートカーにはダイレクトフォローと言って、ライダーの後ろに車でついてもらい、その後ろから来る車を止めつつ進まないと車にひかれてしまう。そんな区間を、アップダウンを繰り返しながら進んだ。そのため補給がままならない状態が続いた。ハンガーノックになりそうになることもあったが、17時頃にTS33ジェファーソンシティを抜けると、バイパスのような道路が終わり、休憩しながら走れる道路へと変わった。
その疲れが出て、21時にはハーマンの街で仮眠を2時間取ることにした。しかし、クルーが機転を利かせたのか、止まった時間は3時間になっていたため、日付が変わってからスタートすることとなった。

レースDAY8

蓄積していくダメージ

3時間の睡眠後も慢性的に眠くなり、15分、10分と短時間睡眠を繰り返す。この日は3回の仮眠でようやくスッキリと目が覚めた。予定よりも仮眠時間が増えたが、安全に行きたい。しかしレースである以上、他のライダーのことを気にしなければならない。後半戦に入り、特に順位は気にしなければならない。3時間止まったので、順位を落として5~7位を彷徨っていたのだが、2〜4位も1回の睡眠時間で入れ替わりそうな距離にいた。
だが、私の調子は上がらない。その理由は膝の痛みだ。中盤から左ひざが痛くなり出していた。痛い程度ではペダルを漕いでも走れるのだが、ダンシングができなくなった。右足に力を入れればダンシングできるが、ダンシングしても左ひざは痛いので、座る時間が増えていった。徒歩で歩くと痛くなく、レースを止めるほどの痛みではないが、炎症が残るので、慎重にペースを上げないように走っていた。
ペースが上がらないと必然的についてくるのは眠気、さらに腰が上げられないので股ずれの心配だ。どちらも対策はしているものの、眠気についてはクルーに力を借りて盛り上げてもらう。さらに自分でもガムを噛んで脳を活性化させた。それも手伝って、日中は眠気に襲われることは少なかった。問題は股ずれで、違和感が出始めたことだ。プロテクトJ1は保護膜を作ってくれているので効果は十分ある。しかし、使用方法をしっかり考えていないとダメージが出てくるのだ。今回は過酷な環境を考えて4時間おきとしていたが、止まりたくないという気持ちがあり、だんだんと6、7時間おきになっていた。そのダメージが徐々に出始めていたのだ。

レースDAY9

想定外の出来事が起こった

身体へのダメージを気にしていたTS38サリバンだったが、それよりも大変なことが起こってしまった。いつものように朝のクルー交代が行われ、しばらくリープフロッグが続いた後だった。また、サポートカーが来ないなーと思っていたらやってきた。そこで告げられたのは、もう1台のサポートカーにトラックが追突したこと。幸いにも全員が無事だが、残り1,000㎞をサポートカー1台とクルー4人を失った状態で続けなければならないということだった。

RVは動くが、事故に付き添っているため復帰は夜以降になるし、RVのクルーも対応でその場に残る者もいるかしれないということだった。そのことを聞いたとき、気持ちは穏やかではなかった。クルーの身体状況について、“問題ない”と伝えられるばかり。私の後ろに残っているクルーはサポートカー1台と、それに乗る3人だけだ。疲れた状態でサポートを続けられるのかどうか。クルーの疲労度は私に伝わりにくいが、9日目に突入しており、間違いなく疲れている。それは私を中心としたサポート体制で、いつどこで休憩をするのか明確に伝えていないため、時間と場所を選ばずサポートする体制になっていたからだ。私が急にサポートを要求するものだから、クルーはいつも即座に対応しなければならない。
計画は重要だった。今後、間違いなくどこかで止まる必要が出るだろうし、RVからの食事提供も期待しすぎてはいけなくなるだろう。
オハイオ州に入り、一層アップダウンが激しくなる。サポートカーではドライバー以外のクルーが仮眠を取る時間も多くなり、サポートを温存させるしかない。それでも走り続けていると、18時15分ごろに森脇チーフから止まってほしいとの宣告をされた。言われたことはショックだったが、ある程度予想ができたことでもあり、チーム権限は森脇チーフに一任していたため、私なりにはすんなりと受け入れた。

だが、その後の行動についてはよく考える必要があった。これまでのコミュニケーションがほぼ取れていない私に、事故の様子やレースを続行できるのか、もし続行できるのならどのようなスケジュールで再スタートするかなど、詳しい経緯を説明してもらいながら、その後の調整が必要だった。
走らないとしても必要なのは回復だということで、サポートカーに収容されて夕食に行った。ただ、食事をするレストラン探しや宿探しにも時間がかかり、さらに夕食も時間がかかり、TS41オックスフォードにある宿に入ったのは22時のことだった。想定外のことが起こり過ぎて、時間がかかってしまった。シャワー、マッサージを受けて(マッサージ中にも寝落ちはしているが)仮眠を取り始めたのは、日付が変わった夜中2時くらいであった。

レースDAY10

状況を整理し、レースを続行

翌朝の目覚めは4時半。レース中と変わらない仮眠時間で回復もそれ相応しかなかった。ただ、それよりも今後の展開が気になるところだった。5時頃私の泊まっている宿泊先には、前日の事故に遭ったものの軽傷で済んだクルー、入院しているクルー、その付き添いのために病院近くで宿泊しているクルーもオンラインでつなぎ、全員で会議をした結果、上位を狙うレースとしては終了したが、ゴールを目指すという結論に達した。特に、クルーの意見は私の見る限りでは、全員が私をゴールに連れて行くということで一致していたように思う。ライダーとしてはかなり割り切らなくてはならない状況になったが、進んでいくにつれてその状況を理解できるだろうと思い、進むことを決断した。

ゴールすること自体に価値がある

印象的だったのはレースができなくて申し訳ないという言葉と、RAAMでアメリカ横断をソロでゴールすること自体が価値あるものだということを改めて認識したことだった。気持ちの切り替えは100%する必要はないと思い、そのままYouTube Liveに参加し、朝食を大量に食べ、前日、バイクを降りてサポートカーに収容された場所までサポートカーで移動した。主催者にリタイアを伝えているわけではなかったのでルール上、同じ場所から再出発できれば問題はない。約15時間ぶりの再出発となった。
リフレッシュしたクルーは元気そうに見える。昼組夜組に分かれていたメンバーがシャッフルされて、より新鮮で楽しそうにしてくれている。一方、私はレースから解放され、清々しく走れるかと思ったが、そうではなかった。あまり感じない様にしていたが、このレースにかける思いが想像していたよりも強かった。そんな思いの中、レースは待ってくれない。15時間ストップしたことはかなり大きく、10位まで順位を落としていた。止まっていた時間が長かったのでノンストップで駆け抜けたいのだが、身体がついていかない。特にコンタクトレンズが浮いてきて外れそうになる。その都度、目を閉じて正常な状態に戻そうとするも、サングラス内で2度外れてしまった。
その頃、入院していたクルーが退院した。事故に遭ったサポートカーは廃車となったため、別のレンタカーを借り、ジャンクヤードに移されていた事故車から荷物をピックアップし、合流する予定となった。残り3人のクルーが合流すれば、全員が戦線復帰することになる。
コンタクトレンズの不調が状況を暗示していたかのように、夕方から激しい雨に見舞われた。無理はする必要がないので安心な速度でウェットなTS44アセンズの街中を進んでいった。”急ぐ必要はない。安全にゴールを目指す。”これが現状のキーワードだ。


22時、退院したクルーが先行して待っているホテルに到着した。肋骨を骨折しているが元気な姿を見せてくれた丸田クルーと抱擁を交わそうとしたが、折れていることを思い出し、少し触れたくらいで留まった。食事しながらクルーと会話を交わし、シャワー、着替えを進めていく。ゆっくり1時間20分もかけたが、それでも2、3時間雨が降り続くとの予報だった。眠くもないので雨の中進むことを決断した。ホテルに留まって雨が止むのを待つとなると5、6時間は待たねばならない。それより先に進んだ方が早く雨が上がるのだ。

雨の中を進み続けるが、上りが多くて速度は遅い。後方集団の7位から13位集団の先頭辺りを走り、No.675のドイツ人、フリッツ選手と共闘する。抜いたり抜かされたりを繰り返していく。疲労が多い10日目だ。まだ700㎞残っているので、争うというよりは、姿は見えないがある程度の距離で保って、速度が落ちた所で抜いていくという展開が翌朝まで続いた。

レースDAY11

チーム種目との共闘

その前後にはソロだけでなく、チーム(ソロがスタートしてから4日後にスタートしている)とも共闘することが増えた。みな、ソロをリスペクトしてくれて、Good luckと声をかけてくれる。彼らも相当疲れているようで、私に再び抜かれるライダーもいた。それでもライダーが変わると息を吹き返し、再び抜かれた。そして再びGood luck。リープフロッグのためチームのクルーが止まっていて、ほとんどの場面で応援してくれる。中盤には少なかった応援が、沿道の観客と共に増えていた。ゴールが近くなってきていることを実感する。
その応援の中には日本チーム、Japan Randonneurs 8の姿もあった。夕暮れ前の降りしきる冷たい雨が一層強くなったとき、半袖ジャージで力強く進んでいく矢萩選手と拳を交わした。彼らのサポートカーからはひとしきり大きな声で声援をもらった。

ユニークなクルーのサポートも

道の途中には、レストラン、ピザ屋、牧場のアイスクリーム屋など誘惑が目立ってきた。レース中には集中して気にならなかったかもしれないが、もう以前ほど集中していないので余計に目に付く。そこで出てくるのがクルーの愚行だ。九谷クルーは自分専用に買ってきたホールのピザを食べながら、私に補給食を渡した。レース中は油を避けるためにピザを補給食としていなかったが、レースをしていない終盤だ。とても食べたかった(あとで美味しくいただきました)。もう1つ、わざとではなかったようだが、牧場のアイスクリームを2つ購入し、コーンカップとプラスチック容器のスプーン付きの選択で、ライダーには食べにくいスプーン付きを渡してきた頓所クルーだ。2人とも楽しそうにお道化ながらサポートに励んでくれた。

この日はアパラチア山脈を越える日だ。標高300mから800mの登りを2回繰り返すだけなのだが、その後も平地になることはなく、アップダウンを繰り返していく。1回目は調子が良くハイペースで上れた。2回目の上りの途中で片側通行止めの工事で5分待たされて以降の調子が一変した。その後の上りで相当疲労がたまって速度が急激に落ちた。急遽、筋肉をほぐしてもらいつつ、雨宿りも含めて1時間弱止まった。これ以降回復はしたものの、容赦ない眠気や疲労に襲われた。たった100㎞先にクルーが待つホテルがあるのに、たどり着くまでの体力が残っていなかった。

レースDAY12

疲労困憊、精神的に参っていることはクルーにも伝わっていた。TS49ハンコックへの最後の上りの頂上で止まり、たった10㎞の下りを下ることを諦めて、サポートカーで仮眠を取った。40分の仮眠の後、朝5時に再スタートをした。
早朝にたどり着いたTS49ハンコックの街で、食事、マッサージ、シャワーに1時間40分かけた。アグレッシブデザインの日焼け止めを寝落ち中にぬられていたようだが、全く気付かなかった。結局、ホテルで仮眠を取ったのは、交通事故による1日とこの日の寝落ちだけだった。
7時頃再出発したのだが、この日もアップダウンは変わらない。最後の2日間のデータは走行距離685㎞、獲得標高10,039mで10日間走ってきた身体には相当辛いものだった。
TS50ラウツァービルを過ぎたところで、この日もクルーの愚行があった。ガーミンにメリーランド州のデータだけ入っていなかったのだ。画面の線だけを追って進んだ道が間違っているとのことで、サポートカーに収容され、間違う前まで戻ることになった。ルールでは、歩いて戻るかサポートカーに乗って戻らないといけない。その後その道はやっぱり合っていると降ろされるが、やっぱり間違いだったと再びサポートカーに収容された。間違いはこれでは終わらず、やっぱり合っていたと言われた。サポートカーがその場でくるっと1回転して止まったのだ。そして自転車を下ろして再び走り出すことになった。周囲にも観客がいたので奇怪な行動だと思われただろう。スタックと共に、今年も終盤に発揮された森脇チーフクオリティの一つだ。

最終日は、激動の12日間に想いを巡らせる

最終日だったので想いを巡らせながら走っていたのだが、アメリカの街は不思議だった。初めて来たようには思えないようなところが点在しているのだ。特に東海岸方面に進むにつれて、さっき通ったような気がする風景ばかりだった。同じところを通っていないかと疑うような景色がたくさんあった。街から街へと幹線道路を走っているとラウンドアバウトを過ぎ、街が見えて家があり、街の中に給水塔、中心を抜けて街を出ると次の街までにラウンドアバウトがあり、街に入る前と同じような家、給水塔が見えてくる。そして今まで通った風景が再び現れてくるのだ。12日間も走り続けたことはなかったので、もしかしたら新たな脳のいたずらによる現象を経験できたのかもしれない。ただ、走行には影響はない。
そんな想いを巡らせながら、タイム計測がされるTS53アナポリスへとたどり着いた。そこからクルー全員が待ち受けるパレードランスタート地点となるガソリンスタンドに向かった。ゴール地点のTS54までは主催者の車に先導されていく。ゴール時間は丁度日暮れの夕食の時間帯であったため、街は多くの人でごった返しており、先導なしで進むのは難しい状態であった。そんな中、西海岸のオーシャンサイドから東海岸のアナポリスまで約11日間かけて走り抜き、今まさにゴール地点に立とうとしているのだ。


パレードを楽しみつつ、ゴールへと到着し、たくさんの観衆に迎えられゴールした。感極まって泣くかもしれないと思ったが、先に野村メカニックが顔をくしゃくしゃにして泣き出したので、私はゴールの写真を撮ってもらい、予想通りの誕生日を祝ってもらい(この日、6月24日が40歳の誕生日だった)、ゴール後のインタビューを受けた。
ここまで引っ張って来てもらったクルーが、みんな笑顔で喜んでゴールしてくれたことは本当に良かった。このゴールに、「順位」や「無事に」と付け加えたいところだが、それはまた次回走る機会(があれば)に持ち越しだ。
ゴール記録は、TS8~9がシャトル区間となったり、サンダーストームでクレジットが設けられたり、ルール違反があったりして、アンオフィシャルタイムとしてHPに乗せられていた。オフィシャルタイムが確定したのは、ゴールから1ヶ月以上経った8月10日のことだった。走行距離4,768㎞、獲得標高40,797m。11日0時間44分。総合8位、Under50では4位という結果になった。目標としていた総合3位にはほど遠い成績だった。

帰国

夏の日の、疲れた身体のビールはうまいが…

ゴール後にも祝杯を受けた。先にゴールしたJR8のメンバーや、同じカテゴリーの優勝者マレク選手や彼のクルーと共にゴール後の言葉を交わした。みなリスペクトしてくれて、私も彼らの走りをリスペクトした。RAAMはチャレンジすること自体に価値があり、完走率も半分ほどと過酷であり、誰もがチャレンジして完走できるようなものではない。成功とは言えない私の走りに対しても、多くの方がリスペクトしてくれたのだ。私のジャージに込められた思い“RESPECT For all challengers”が体現できて良かったと思う。
11日間の激闘はすべて語りつくせるものではないが、できるだけ沢山話した。ゴール地点では夕食のことを忘れ話し込んでしまったため、レストランに立ち寄る時間は無く、中華料理をテイクアウトし、深夜のホテルで祝杯を挙げることになった。
”疲れ切った日のビールはマズいがうれしい”。毎回そうなのだが、ウルトラロングを走り終えてすぐのビールは格別にマズい。でも、クルー全員と共に祝杯を挙げられてうれしかった。
翌日からはクルーの帰国、サポートカーの整理、そして観光、空港近くのホテルへ移動と忙しなく用事を進めていった。本来ならもう1日前のゴール予定だったので、時間に余裕はもてたはずだったが、その分長く走って楽しんだので仕方がない。観光時間が半日に減ったのでクルーには申し訳なかった。
さらに翌日は私を含め、ほとんどのクルーが帰国した。しかし、RPPはここで終わりではなかった。オハイオ州で借りたRVを1,000㎞先のオハイオ州に返却、遠藤クルーに借りたサポートカーはもう5,000km、アメリカを東から西へ横断してシアトルまで戻る、丸田クルーは骨折はともかく肺気胸が回復するまで2週間帰国できないことになった。そして、ゴールした日から17日後、丸田クルーの無事の帰国をもってすべての行程を終了することができた。

[TIPS] 機材

バイクは特徴の異なる2台体制に

今年も特徴が違うバイクを2台持ち込んだ。メインバイクにはクロモリとカーボンのハイブリット、macchi Code3 Cr-mo x carbonを選択した。長距離でも疲れにくいように、しなやかさと剛性のバランスをオーダーし、ショックストップステム、GOKISOクライマー・リムブレーキハブ38mmと50mmを使い分け、シクロベーションのレザータッチとエクストラクッシュで道路からの突き上げを軽減させた。RAWに採用したiRCのASPITE PRO RBCCは昨年から乗り続けてグリップ力で安定感を確認でき、28Cの5.5気圧という仕様になった。今年のRAAM用にサドルをInfinity seat EX1、ニッセンのウルトラライトケーブルに変更した。EX1については日本ではあまり出回っておらず、乗り心地に関する質問を多くいただいており、注目の高さがうかがえた。その他にウルトラロング界では常識となっているDHバーはプロファイルデザインT3にライザーキット50mmを選択して、前かがみになりすぎないよう、長時間DHバーが握れるようにした。

山岳用バイクは以前から使用していたDE ROSAのスカンジウムから838に変更した。さらにDi2油圧ブレーキ、GOKISOクライマー・スルーアクスルディスクハブ35mmと45mmに変更したため、メインバイクのリムとディスクが混合することとなった。COVID-19の影響でチャレンジが延期されたことが大きい要因だが、レースとロングライドで快適な乗り心地を提供してくれるだけでなく、軽さにも重点がおかれているため、山岳用として使用するには理想的なフレームであった。ショックストップステムやシクロベーション、ASPITEはmacchiと変わらないが、Infinity seatはEX2で少し軽量化した。こちらにもDHバーは採用したが、ライザーキットは40mmを採用して、軽量で、空気抵抗を少しでも減らそうとした。
この2台にプラスするのであれば、速度に重点を置いたTTバイクを追加しても良かった。身体へのダメージが残りやすいので、レースで使われているような仕様にすると最後まで走り切れないかもしれないが、もう少し小さなパワーでも速度が出やすいバイクを準備する方が、表彰台を狙える。他のライダーも2~4台を乗り分けているようだった。

命を預けるデバイスの数々

デバイスには、サイクルコンピューターとしての機能は当然ながら、データ取得、ナビ、クルーとのコミュニケーション手段、さらにはウルトラロングの退屈しのぎに家族との通話や音楽が聴ける、スマホと変わらない機能性に優れたLEOMO TYPE-Sをメインに、GARMIN EDGE530をナビ役として使用した。
ライトやテールライトはVOLT NEO 400とGVOLT70、TIGHT、RAPID MICRO AUTOだ。デイライトが必要なため、約30時間、約40時間、テールライトも約120時間と長時間稼働できるのは魅力的だ。
4,880㎞にも及ぶウルトラロングを走るうえで、いつどこで不具合が出るかわからないが、今回は運よく2人のメカニックの帯同が叶った。大阪市内のバイシクルショップBECKONの野村メカニックとアメリカに拠点を置くURAWAZA LCCの風戸メカニックだ。2人にはPB SWISS TOOLSやワコーズのケミカルやチェーンルブのエクストリーム、パワーを使用してもらい、できる限り抵抗を減らすように努力していただいた。


アパレルはどんな天候、気温にも対応できるように枚数を揃えた。気温の変化は激しく、0℃から50℃にもなるかもしれないのだ。そのため、SUNVOLT製PROパフォーマンス 半袖ジャージ3着、クールメッシュ半袖ジャージ3着、PROパフォーマンス ビブパンツ8着、プレミアム サーモジャケット2着、スリムウインドブレーカー3着、パフォーマンスウインドベスト1着、アームウォーマー1着、レッグウォーマー2着、そして日直商会からZEROFITSOCKS6足を提供していただいた。OGK Kabutoからはヘルメットのイザナギ、R1CV、さらに122PH、301DPHの調光レンズのサングラスも提供していただいた。その他ボディメンテナンスとしては股ズレ対策として、保護クリームのプロテクトJ1が必須だった。

[TIPS] 食事について

12日間に亘る大量のエネルギー補給を支えたものは

当然のことだが、エネルギー補給ができなくなると走れなくなる。何日も走り続けるとき、1日10,000カロリー以上を目標に摂取しなければならないが、胃への負担が大きくなり、食事ができなくなることがある。
ジェルはParis Brest Paris2019で使用して、2日目で吐き気があったので使用は控えたかった。普段から食べ慣れているものであれば、負担は少ないだろうと考えた。

ブルベではコンビニがチェックポイントとして設定されることが多いので、ついでに補給食を買うことが多い。そのため、コンビニにあるものを中心に補給食を選んだ。私が好むおにぎりは、アメリカではいつでもどこでも買えるものではない。今回はRVが借りられたので、炊飯器を持ち込んだ。標高差から沸点が低くなり、上手く炊けないこともあったようだが、全行程で根本クルーと佐藤クルーの手作りを食することができた。あとは比較的手に入りやすいパンだ。RAWの時にパサパサパンで同じ味ばかり、固いアルミホイルで唇を切った反省点を生かした。それでも12日にも及ぶ食事は飽きた。種類は豊富でないと厳しい。また、油っこいものや刺激物は胃に負担が大きいと思い避けた。
尾西食品からはお湯だけで食べられる長期保存食として人気のおにぎりやカレーライス、BentOnからは日本食が食べられるようにミールキット、GONZO!RAMENからもおにぎりを提供いただき、理想的としていた普段から食べ慣れているものがアメリカでも食べることができた。走行中の寒いときに、温かいおにぎりが食べられるのはとても助かった。

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【ご協力一覧】(社名50音順)

株式会社アースブルー【プロテクトJ1】
アイ・アール・シー 井上ゴム工業株式会社【ASPITE PRO RBCC】
株式会社 ACTION SPORTS【CICLOVATIONバーテープ、ボトルゲージ、Qbicleバイクポーター】
合同会社ACTIVIKE【ACTIVIKE リカバリープロテイン、グランフォンドウォーター】
Infinity Bike Seat【Elite Series Bike Seat – E1X、E2X】
URAWAZA LLC【メカニック(風戸)】
株式会社オージーケーカブト【IZANAGI、301DPH、122PH】
尾西食品株式会社【携帯おにぎり、ライスクッキー、カレーライスセット】
Alternative Bicycles【ショックストップステム】
喜一工具株式会社【PB SWISS TOOLS】
株式会社キャットアイ【VOLT NEO400、カートリッジバッテリー、GVOLT70、TIGHT、RAPID MICRO AUTO】
grupetto【grupettoサコッシュRAAM version】
株式会社近藤機械製作所【GOKISOクライマー・リムブレーキハブ38mmと50mm、クライマー・スルーアクスルディスクハブ35mmと45mm】
GONZO!RAMEN【おにぎり】
サンボルト株式会社【クールメッシュジャージ、PROパフォーマンスジャージ、プレミアムサーモベスト、PROパフォーマンスビブパンツ、スリムウィンドブレイカー、ウィンドベスト、レインウェア半袖、アームウォーマー、レッグウォーマー】
鈴木家【サポートカー関連機材】
Team Kimura【現地コーディネート】
トクシュソウビプロダクツ【アンバーライト、スピーカーシステム】
株式会社 日直商会【COLUMBUS、ZEROFIT SOCKS】
日泉ケーブル株式会社【プレミアムブレーキケーブル、ステンレスアウターケーブル、SP31スペシャルステンレスインナーケーブル】
スポーツサイクルショップ BECKON【メカニックサービス(野村)】
BentOn【BentOn Kit】
macchi cycles【Code 3 Cr-mo x carbon】
株式会社ZYTECO SPORTS【BOOST SHOT、BOOST Nano AG、5-ALA、ウォーターボトル】
株式会社リアルタイムシステムズ(CloudGPS)
LEOMO, Inc.【TYPE-S、パワーマウント】
有限会社ワールドサイクル【R250 ツールケース スリムロングタイプ】
株式会社和光ケミカル【チェーンルブリキッド エクストリーム、パワー、ラスペネ、ディグリーザー、Aggressive Design(ファイター、クレンジングオイル、タロス)】

写真:Randonneur Plus Project 文:落合佑介

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