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2023年11月19日

落合佑介が挑んだアメリカ横断レースRAAM/ 4,880kmの軌跡と想定外の結末(前編)

世界最長の自転車レース、RAAM(Race Across AMerica)のソロ部門に出場した落合佑介さんとその仲間たちの12日間に及んだレースレポートをお届けします。この挑戦に向けて年単位のプロジェクトを組み、対策を講じて臨みました。しかし想定外の出来事も。

総括

4年前にスタートしたRAAM(Race Across AMerica)への挑戦が終わりました。結果としては、4,880㎞を走り切り、2023年solo finisherになりました。記録は11日0時間44分で当初目標にしていた記録には届かず、狙っていた表彰台には及びませんでした。これが現状の私の実力で、世界との差を痛感するレースとなりました。世界最高峰のタフなレースに挑戦できたことは幸運だったと思っていますが、後悔の残るレースにもなりました。もう1度挑戦したい気持ちはありますが、現状では参加するための条件をクリアすることができません。また、参加したとしても期待するような結果は得られる可能性が低いです。今は私自身が変わる努力が必要です。さらに、今回はソロ部門の参加でしたが、レースはチーム戦であるということを思っていた以上に知ることとなりました。レース中、レースを止めた時、そしてゴール、すべてにおいて私一人では達成不可能なことをチームで共有できたと思っています。ロードレースとは違い、ライダーである私一人のためにサポートし続けるクルーを見てそう感じました。そして、それは見えないところでご支援してくださった方々もそうで、アメリカに来ることはできないとしても、私のために支援してくださった方々のお気持ちは届いております。誠にありがとうございました。

貴重な経験ができ、私の今後の課題も残しつつ、みなさんと今回のRAAMを振り返っていきたいと思います。

準備編

余裕がありそうでない計画

昨年のRAW(Race Across the West)で体験した砂漠の気温は40℃を越えていた。私にとっては想像以上の暑さで体力はもちろん、身体にもダメージを残すことになった。今年は昨年と同じルートを走り、序盤で40℃以上の暑さを経験した上に、その後3,000㎞以上も走り続けなければならないという、超過酷なレースになる。
RAAMに向けて、実走だけではなく自宅でローラー台に乗り、エアコンを最高温度(30℃)に設定して窓を閉め切り、扇風機を使わない環境で走った。さらにアメリカに渡った直後の6月8〜9日の2日間を砂漠対策としての練習期間にあてた。他にもスタートまで3日間はクルーとのボトル受け渡しやドライブの練習、受付、サポートカーの装飾で時間を費やす予定とした。

目標は10日間以内でのゴールだった

今回は2023年6月13日13時1分にスタート。約10日間でゴールすることを目標にした。わずかしかない他のレーサーの情報から状況を分析した結果、表彰台を狙うには、10日以内で走り切る必要があると想定した。そして、私が6月24日で40歳になるため、30歳代でゴールするという目標を立てた。ゴールまでの制限時間は12日間なので、想定外のハプニングのことも考え、10日間でのゴールを想定し、ゴール後の残り2日間を予備日として設定した。私はフルタイムワーカーとして働いているので、20日以上も連続休暇を取得した身分としては、末席でも職場で居場所を確保するためには一刻も早く帰国することが必要だった。

あらゆる状況に対応するサポートカー

昨年出場したRAWでは、森脇チーフ、丸田クルー、頓所クルーのサポートクルー(以下クルー)3名が日本から渡米した。3名はサポートカー1台で約1,500km、63時間34分をカバーしたのだ。とてもハードなスケジュールであり、トラブルが起これば、ストップせざるを得ない状況がレース中つきまとった。
RAAMを走り切るには、最低でも10人のクルーが必要だ。メカニックに長けている人が必要だったが、それ以外はドライビングテクニック、アメリカを熟知した人、柔軟性がある人、自ら率先して行動ができる人、そして肝心なお笑い担当などの役割をそれぞれ固定することはなく、ポリバレントな人材を探した。
さらに日本から参加する場合は、仕事を20日以上も休まなければならないという、職場で肩身が狭くなるかもしれない覚悟が必要だった。その結果、RAW経験者の3名に加えて、根本クルー、久谷クルー、遠藤クルー、佐藤クルー、コリンクルー、野村メカニック、風戸メカニックの10名が集まり、ライダーを12日間、24時間フルサポートする体制が整った。

悩ましかったのはサポートカーの問題だ。ライダーの脚質に合わせて組まれたプランは“ライダーを止まらせない。走り続けさせる”というもの。最低3台のサポートカーは必要と見込んだ。1台目のサポートカーはリープフロッグ、ダイレクトフォローに徹する。2台目が交代要員のホテルへの宿泊送迎。さらに非常事態時の対応。もう1台はRV(キャンピングカー)をレンタルし、移動中のクルーの睡眠を確保、さらに買い出しや食事の準備、シャワーやトイレと多岐に渡るタスクをこなす役割を担った。
レンタカーは、日数が増え、ワンウェイだと料金が高くなる。さらにRVは片道での設定が難しく、横断ではなく往復させなければならなかった。アメリカ在住者がクルーとして5人(1名はホノルルだが)参加してくれていて、根本クルーは住まいの地域でレンタカーを借り、往復させることで費用を抑えた。さらに遠藤クルーにはレンタカーではなく、ご自身が所有するTOYOTAの車を貸すと申し出ていただいた。RVはオハイオ州でレンタルし、森脇チーフと根本クルーがレース終了後にオハイオ州まで返却させるというプランが組まれた。

異常気象下で過ごしたレース直前

2日間の砂漠練習の後、オーシャンサイドに集まった今回のクルーは途中合流のコリンクルーを除いて9名。羽田空港で飛行機同士が接触して大幅に遅れてきた野村メカニックが6月10日の晩に合流して合宿をスタートさせた。
初日はレースの受付、さらにサポートいただいているインフィニティーシートで体調管理のアドバイスやバイクフィッテイングを受けた。クリート位置が思っていた位置よりもズレたため、2時間に渡る熱血指導を受けた。そして、アメリカンなステーキを現地サポートのteam Kimuraにご馳走になり、レースへの英気を養った。
2日目はオーシャンサイドのスタート地点からパレード区間と単独で走る区間の試走をした。合流予定だったクルーの現地到着が遅れたため、さらに20㎞を追加で走り、その後クルーのドライブとボトル受け渡し練習のため、合計83㎞を走った。
今年のロサンゼルスは異常気象で、平年気温より約10℃低く、雨に降られることが多かった。例年なら青空や暖かい気候を味わえるのだが、ウインドブレーカーを着こむほどであった。砂漠練習中も全体的には気温は低かったのだが、最高は46℃だったので平年通りの暑さも体験できた。帰宅後はサポートカーの装飾、作戦会議が行われた。3台のうち、2台に装飾が必要だったため、トクシュソウビプロダクツよりアンバーライト、スピーカーシステムを新たに提供いただいた。ライダーである私は、リラックスした雰囲気で休息を優先させた。
3日目はレースを翌日に控えた日だ。私にとっては最後の休息日だ。ゴール後も観光はするものの休息を取る予定はないので、アメリカで最後の休息日なのである。
アメリカでおにぎりを売っているという珍しいラーメン屋、GONZO!に招かれて休養を加速させた。内装は日本の居酒屋風なのだが、人気のラーメン屋である。美味しいラーメンのあとは、クルーはこの日もサポートカーの装飾、作戦会議をしていたが、私は睡眠時間を確保した。効果はあると思っている寝貯めをした。

レースDAY1

1分間隔でスタートするタイムトライアルレースRAAMのスタートは6月13日13時1分にまわってきた。アメリカのコミュニティマガジンのライトハウスやゆうゆうでも私のチャレンジを紹介してくださったこともあり、現地在住日本人も多く駆けつけてくれた。観客が増えて、昨年のRAWよりも緊張感が増しての出発となった。クルーはなんだか楽しそうに、ライダー出発後に円陣を組んでいた(ライダーはいないのだが)。


スタートした直後に問題が発生した。ボトルの中身が入っていなかったのだ。クルーにはLEOMOからアプリのメッセンジャーを通じて報告をした。38㎞地点までサポートカーが侵入できないので、合流地点まで水分補給ができないと覚悟した。幸いにも気温が高くないことからダメージは最小限に抑えられるのではないかと思った。
その後、クルーからボトルを渡すという連絡が入った。ペナルティーにならないような条件をどのようにクリアしたのかわからなかったが、受け取りは成功したため、水分についてはクリアした。(※その後、違反としてペナルティーを受けたが、私がそれを知ったのはゴールした後のことだった。)
昨年は圧倒的な速度で2人のライダーに抜かされた区間だったが、今回はほぼ誰にも会わない。ブラジル人女性を抜き、イタリア人男性に追い抜かれていったくらいで、合流地点に到着した。距離が長いので、それほど無理をする区間ではないのと、走力が抜きん出ているライダーがいないのかと予想した。
登坂区間に備えて、macchiからDEROSAに乗り換える。これはRAWと同じように使用方法を決めている。RAW、日本縦断ギネスチャレンジを経験しているクルーが5人も参加していて、RAWと同じ過ちを犯さないように熱心に作戦を立てていたので、交換の方法や場所については安心できる。

134㎞地点のCP1までは上り基調だ。標高1,300mまで120kmかけて上り、残りの14㎞で200mまで下ってしまう。この区間で団子状態になり、私もその中の一人となった。どの選手も速くはないが、無理に追いかける必要もないので適度な速度で上ることにした。しかし、前にライダーが見えているため、一定ペースが刻みにくかった。それは先頭に出るライダーが一定のペースではなかったからだ。先頭に出ては休み、先頭に出ては休みを繰り返していた。私はそのライダーに上りの入り口で離されたのだが、見える範囲で走られ、いくつかある上り頂上手前で追いついてしまったのだ。姿が見えないくらいに離されてしまう方が私の走り(一定ペース)ができたと思われるので余計な体力を使ってしまった。特に今年は例年よりも気温が低いため、どのライダーも速く進むことができていた。
予想していた気温よりは10℃くらい低く、30℃くらいだ。今年も火事があり、迂回路が設定されたTS2ブロウリーの町中では、予定していた時間よりも1時間早く到着した。そして火事の情報から、昨年同様、今年もトラブルが発生しそうな予感が大きくなっていた。

本領発揮は夜から朝にかけて

レースは初日の夜に突入する。私は他のライダーとは違って昼夜関係なく走り続けるので、本領発揮は夜から朝にかけてだ。その順位変動を見てみると、TS1をRAAMソロカテゴリーでは13位で通過、TS2では11位、TS3では7位だった。RAWよりも実力のあるライダーが揃っているので去年のようにはいかないが、今年も休憩は少なく走り続けていく予定だ。

レースDAY2

未体験の長距離走。走行中のケアも欠かさない

翌朝のTS5サロームでは9位だった。他のライダーも休憩は最小限で昼夜問わず走っていた。順位を大幅に上げるには、巡航速度を上げなければならないという課題はレース序盤でよくわかった。しかし、このレースはそれを承知の上で戦わなくてはならない。巡航速度が遅い私が勝つ方法は、今まで同様のレースをすることなのだ。
J1タイム(主に股間にプロテクトJ1という保護クリームを塗る時間)は去年より短い4時間おきに設定した。RAWの1,500㎞では多少は肌が傷ついてもレースは3日以内に終わると思っていたので、時間設定はもっと長めにしていた。今回は初めて走る距離なので慎重に対応した。しかし、悩ましいことにサポートカーのフォローがあるため、4時間以上止まることなく走り続けることができていた。プロテクトJ1のためにだけに止まらず、間隔はどんどん長くなる傾向にあった。ちなみに、J1を入れたサコッシュの中には歯磨きや目薬、リップクリーム、日焼け止めのアグレッシブデザインと痛み止めのシップ、さらに今年はミネラル不足対策のツーランや疲労回復やコンディション維持に5‐ALAを忍ばせていた。
この日の朝の気温は24度で涼しかったのだが、ヤーネル峠を登り始めると、気温計が36度を示す。標高が高いので、砂漠のど真ん中を走っていたルートよりは気温は低いのだが、日差しを遮るものが何もないので、とても暑く感じる。日本であれば、道路沿いに木陰があるのだが、砂漠の峠では一切ないのだ。昨年よりもゆっくり走ってきたつもりだったが、気温が低くて追い風に助けられて、TS7コングレスも予定到着時間よりも早く通過していく。

日暮れ前の20時にTS8キャンプヴェルデに到着し、ここまでの走行距離は800㎞を超えた。当初予定していたより5時間も早かった。
何台ものサポートカーが止まっている。私はシャワーと着替えと簡単な食事を15分ほどで終わらせて走り出す。この先は暗闇の上りが夜の間続く。交代した夜勤のクルー3人と共に出発する。この区間の最初は、バイパスのような道を下っていくのだが、本線の脇は砂、小石、タイヤの破片、動物の死骸等が落ちていて危ない。パンクのリスクもかなり高かったが、サポートカーが止まるにも危険性が高い。日が暮れていたらとても苦労していただろう。

山火事によってコースの一部がシャトル区間に

下り終わると山の中に向かい、登坂を開始する。およそ30㎞を上っても、まだまだ序盤だ。しっかりとした上りが続くのはわかっていたので、焦る必要はない。しかし、電波が復活したサポートカーでは緊急事態に陥っていた。山の中の微弱な電波から受信した情報は、今年も山火事により、TS8キャンプヴェルデからTS9フラッグスタッフはコースを走らずに、サポートカーにライダーを乗せて移動するシャトル区間になったとのことだ。それは既に登坂を開始して2時間以上が経過していたときのことだった。気分を上げて順調に上っていたので、残念で仕方ないがサポートカーに収容されて、今年は一旦キャンプヴェルデに戻ることになった。帰国してから走行ログを見返すと、シャトル区間は走行ログを取らないため、ログの線が途切れてしまい、アメリカ横断をしていないような見え方となってしまい、かなり残念であった。

レースDAY3

序盤からトラブル対応に追われる

スクランブル状態のクルーとは裏腹に、私は仮眠を取っていた。目を覚ますとTS8キャンプヴェルデに戻ってきていたが、そのままTS9フラッグスタッフに向けて移動を開始したため、目を閉じた。
到着する前に目が覚める。仮眠前に補給を忘れていたため、ハンガーノックに陥り、体温がキープできなくなっていた。気付いた時にはすでに遅く、空腹で目が回っていた。交通ルールギリギリの速度で私を運ぼうとするクルーのドライビングテクニックの中、運転中に補給を取るのは車酔いをするのではないか、という不安があった。さらに、深夜のフラッグスタッフは気温が低く、ウェアの準備もできていなかったので、到着後の出発までに時間がかかってしまった。深夜なのに5台ほどの車が停まっており、まだまだ混戦状況であることが伺えた。
出発してすぐにフラッグスタッフの町中に入る。サポートカーのシャトルがなければ日中に通る予定でいたのだが、深夜で周りの景色が見えない。フラッグスタッフからTS10チューバシティに向かう途中までは下りで、壮大なアメリカの風景が見渡せると聞いていたのだが、昨年は山火事でルート変更、今年は深夜の通過で真っ暗だった。非常に残念だ。そして長い下りは全く気合いが入らず退屈なのだ。それが深夜になるとなおさらつまらない。居眠りだけはしないようにと気を付けて走り、明け方には下りが終わって今度は上っていく。近くで野犬なのか飼い犬かわからないが吠え続けている。
この頃ゼッケンNo.672のライダーに抜かされ、4番手に落ちた。ただし、シャトル区間でクレジット(総合タイムから一定時間を引き算する)が設けられる予定(この時は確定していなかった)だったため、GPSのドット上の順位と実際の順位は違っていた。レース3日目といってもやっと1/5の1,000kmを通過するだけなのだ。まだまだ序盤で焦る必要はない。

太陽が出てくると暑さが増してきた。まだまだ朝の時間帯なのに直線道路ではもやもやとかげろうが見えている。ここはまだ砂漠地帯で、今日も暑い1日になるだろう。でも、休んではいられない。昨年のRAWよりJ1タイムも多く、シャワーも浴びているので、止まる時間は多い。睡眠時間はシャトル区間だけだ。車中で揺られながら休むことには慣れておらず、休憩とは言いにくい。夜のうちに休んでおくのも1つだったが、日中まで頑張ってしまったので、合計30分の仮眠と休憩を取った。

日中は再び峠へと向かう。昨年アンダー50の優勝をかけてブラジル人選手と争った山だ。今年は日中なので気温が高く、景色がしっかりと見えた。その山を誰とも争わずにスローペースで上る。いや、争っていないというかもちろんレースなので争ってはいるのだが、いつの間にか2位に浮上しており、1位とはTS1つ分の差が開いていたので、争っている気にはなれなかったのだ。
RAWのゴール、TS15デュランゴには22時に到着した。仮眠を取るには早い時間だったため、アップダウンが終わる60㎞先での仮眠を決めた。この時、先頭との差が詰まっているとも聞いたので、余計に長めの距離にしてしまった。また、計画よりも早く進めているのに、そのことをうまく理解できておらず、焦りの気持ちがあった。さらに下り用のウェアを脱ぐこともせずにそのまま出発してしまった。この辺りはもう少し綿密に予定や計画を調整すべきところであった。

レースDAY4

時には選手同士が支え合う、美しいレース

夜明けとともに目撃したのは、衝突した車と大きなトナカイ(だと思われる)だ。住まいの奈良県は鹿で有名だが、その大きさを遥かに超えていて、車も大破していたので衝撃はすさまじかったようだ。この時はまさか自分たちのサポートカーも事故に巻き込まれることになるとは思いもしなかった……。

ウルフクリークパスへの上りが始まる。前半のハイライト、標高3,250mまで上るのだ(その後にもまだ3つの大きな峠があるが)。私のペースが遅いこともあって、クルーが全員集合し、応援やYou Tube Liveで実況もしていた。クルーの気分もややおかしく、瞑想したり、急に走り出したり。
やっとのことで上りを終えて下る前には再びレインウェア姿になった。しかし、これが失敗だった。思った以上に寒くなくて、日中の暖かさが眠気を誘うのだ。でも、下りで飛ばしている車は多いし、止まる場所もないので、ガムを噛んで乗り切った。速度は遅かったようで2位から3位に転落した。やはりこの辺りが今後の課題で、普段のペースを上げないと上位進出は難しいのかもしれない。“完走”ペースならともかく、ライバルたちも同じく睡眠時間が短い。私の今の長所だけでは勝てないのではないかと思われた。さらにウェア作戦も先読み対応していたが、保守的な選択が今後も裏目に出ることになった。
TS17アラモーサの手前ではサポートカーから連絡が入り、先行して洗濯物を取りに行くと言われた。なぜ私のサポートより洗濯物が優先なのか?と思いつつも“いってらっしゃい”と見送ってしまった。こういう時にトラブルが起こる。パンクして止まらざるを得なくなった。そして時間を無駄に使うことになった。そんな時に声を掛けてくれたのは、No.681ポーランド人のマレク選手。彼の方が休憩は長くて、私がいつの間にか追い抜いているが、彼は巡航速度が速いので再び抜かされる。そして毎回声をかけてくれるのだが、今回はわざわざ立ち止まり心配してくれた。クルーに聞いたところ、別の時には防寒対策で軍手を使っている私に彼のグローブを貸してくれようとしたという。そして、ゴール地点では、彼より1日遅くゴールした私を出迎えてくれたのだ。RAAMはレースなので彼もライバルではあるものの、お互いをたたえ合うことのできるライダーやクルーばかりだった。そして、羨ましいことに私の課題でもある“速度”ももっていた。

前半最後の峠はチュチュラパスだ。ちょうど日暮れ前だったので山を上っていく景色を楽しむことができた。訪れたことはないがアルプス山脈の中を走っているような感覚で、ログハウスが立ち並ぶ店舗と、その雰囲気にまったく合わないクルーのチョイスした音楽も相まって、安定したペースを刻むことができた。

峠の頂上では、気温が一桁になると聞き、フル装備のレインウェアを着こみ下り出した。それがまたもや失敗して眠気を襲う。結局は下りで15分仮眠を取ったが、身体が冷えてしまうのではないかと思い、決断するまでに時間を要し、下りの時間を無駄にしてしまった。
さらに今度は飼い犬に襲撃された。鎖につながれていない飼い犬が、家の敷地から飛び出してきたのだ。夜の暗闇のなか、大きさもわからない犬が叫びながら走ってくるので恐怖でしかなかった。うまく攻撃をかわし、幸いにも噛まれることはなかった。

レースDAY5

大自然の脅威が再び

下りを終えて、TS20トリニダッドにたどり着く頃には眠気が改善していた。仮眠は15分だけでやり過ごせていたが、ここではしっかり1時間の仮眠を取ることにした。2日ぶりのシャワーと、お尻の状態のチェックが重要なのだ。砂漠を越えてきた割には傷もなく状態は良い。ばい菌をしっかりと取り除いておかなければ、後々に響いてしまう。1時間の仮眠では足りず、走り出してしばらくして、10分、30分と小刻みに仮眠をはさむことになった。

この日は待望の下り基調区間が続く。グロス平均も25㎞を超えて快適に走れた。1日の走行距離も久しぶりに500㎞を上回った。5日目でも距離を稼げたのは獲得標高が1,600mしかなかったからだ。
カンザス州に入ったところの街でこの日も飼い犬に襲われたのだが、サポートカーがおらず、追い払う手段がなかった。子どもたちが寄って来て、追い払ってくれた。その近くの家の柵の中から、ターバンのような黒い布を頭に巻いた女性?が何も言わずに立ってこちらを見つめていたのを見て、異国の地に足を踏み入れているのだと改めて認識させられた。

そんなことを忘れるくらい、この日のハイライトはなんといってもトルネードまで発展しそうだったサンダーストームに見舞われたことだ。TS23ユーリシーズを過ぎた頃から右手の方角に大きな雨雲と並走していることがわかっていた。クルーの天気予報では1時間ほど雨に降られると言われたのだが、急速に雨雲が発展していき、前方に移動してきてだんだんと暗くなっていくのを目の辺りにしていた。警察車両が止まっていて、西部劇に出てくるテンガロンハットをかぶった警官が下りてきてクルーと話をした。クルーは私に半袖のレインベストを渡して、行くよね、と尋ねてくる。ビュウビュウと風が吹き始めていたが、「もちろん」と返答し出発したが、また警官が止めに来た。今度は10センチ大のヒョウが降ると言われたので、大人しくRVに収容された。
RVに乗り込んだからといって、大きなヒョウを防げるわけではない。間もなく大雨、暴風に襲われ、RVも大きく揺れ出した。大雨で視界がほぼゼロになったのはかつて20代の頃、雪の降る高速道路でホワイトアウトに似た体験をして以来だ。視界がゼロなので車を動かすことが怖くてできない。しかし、レースは続いている。緊急避難的な場合は、オーガナイザーと連絡を取り、警察の誘導を聞き、避難場所や迂回路を探す。サポートカー3台で連携を取り、暴風雨にさらされる危険な状況の中進んだが、避難場所まで辿り着けず、迂回路も見つけられず、ガソリンスタンドに逃げ込んだ。私はどうしようもない事態にアドレナリンが出ていたが、だんだんと醒めていくのを感じて、仮眠を取ることにした。その間もクルーは情報を駆使して戦っていて、横転した巨大なトラックに道を塞がれたり、冠水した泥道を走ったりしていたようだ。

私が眠りから起こされた時にはRVに収容された場所に戻っていた。雨が止み、風が弱まり出したため、前後のTS23と24に止まっていたライダーが動き出した。収容から3時間余りが経過していて、日が暮れる21時前のことだった。

後編はこちら

【ご協力一覧】(社名50音順)

株式会社アースブルー【プロテクトJ1】
アイ・アール・シー 井上ゴム工業株式会社【ASPITE PRO RBCC】
株式会社 ACTION SPORTS【CICLOVATIONバーテープ、ボトルゲージ、Qbicleバイクポーター】
合同会社ACTIVIKE【ACTIVIKE リカバリープロテイン、グランフォンドウォーター】
Infinity Bike Seat【Elite Series Bike Seat – E1X、E2X】
URAWAZA LLC【メカニック(風戸)】
株式会社オージーケーカブト【IZANAGI、301DPH、122PH】
尾西食品株式会社【携帯おにぎり、ライスクッキー、カレーライスセット】
Alternative Bicycles【ショックストップステム】
喜一工具株式会社【PB SWISS TOOLS】
株式会社キャットアイ【VOLT NEO400、カートリッジバッテリー、GVOLT70、TIGHT、RAPID MICRO AUTO】
grupetto【grupettoサコッシュRAAM version】
株式会社近藤機械製作所【GOKISOクライマー・リムブレーキハブ38mmと50mm、クライマー・スルーアクスルディスクハブ35mmと45mm】
GONZO!RAMEN【おにぎり】
サンボルト株式会社【クールメッシュジャージ、PROパフォーマンスジャージ、プレミアムサーモベスト、PROパフォーマンスビブパンツ、スリムウィンドブレイカー、ウィンドベスト、レインウェア半袖、アームウォーマー、レッグウォーマー】
鈴木家【サポートカー関連機材】
Team Kimura【現地コーディネート】
トクシュソウビプロダクツ【アンバーライト、スピーカーシステム】
株式会社 日直商会【COLUMBUS、ZEROFIT SOCKS】
日泉ケーブル株式会社【プレミアムブレーキケーブル、ステンレスアウターケーブル、SP31スペシャルステンレスインナーケーブル】
スポーツサイクルショップ BECKON【メカニックサービス(野村)】
BentOn【BentOn Kit】
macchi cycles【Code 3 Cr-mo x carbon】
株式会社ZYTECO SPORTS【BOOST SHOT、BOOST Nano AG、5-ALA、ウォーターボトル】
株式会社リアルタイムシステムズ(CloudGPS)
LEOMO, Inc.【TYPE-S、パワーマウント】
有限会社ワールドサイクル【R250 ツールケース スリムロングタイプ】
株式会社和光ケミカル【チェーンルブリキッド エクストリーム、パワー、ラスペネ、ディグリーザー、Aggressive Design、クレンジングオイル、タロス)】

写真:Randonneur Plus Project 文:落合佑介

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