2021年11月29日
【シマノレーシング野寺秀徳監督 インタビュー】育成、発掘… 2022年以降の国内ロードレース界の未来とは
日本のスポーツ界にとって大きな目標だった東京五輪が終わり、一方で約2年間あらゆる活動を制限してきたコロナ禍も少しずつ落ち着きが見え始めた。来る2022年は、スポーツ界にとって新たなスタートを切る年になりそうだ。日本の自転車ロードレース界も心機一転の一年となるが、その進むべき道はどうあるべきか。国内名門チームのシマノレーシングを率いる野寺秀徳監督に伺った。
コロナ禍の2年間を振り返って
まずはコロナ禍の2年間振り返る。レース数が激減したのは言うまでもないが、野寺監督は海外のレースを経験できなかったことが大きな痛手だったと語る。
野寺秀徳監督(以下、野寺):世界に通用する選手の強化を考えたときに、本場ヨーロッパへの道筋がちょっと見えにくくなった2年間でした。シマノレーシングの若い選手のほとんどが、アジアツアーなどで海外のレベルの高い選手との闘いを経験していない。競技において、人との争いの中でしか得られないものは絶対にあるのですが、それを得られなかった。世界を目指すという目標と本人たちの意識がすりあわせできなかったので、今後はそこに力を向けないといけないと個人的に思っています。
そのためには、日本だけでなくアジア各国の感染状況も落ち着いて、以前のような活気あるシーズンに戻ってほしいというのが一番の願いです。アジアツアーを開催していた各国の連盟や主催者は開催を目指してすごく頑張っているけど、直前にレースをキャンセルせざるを得ない状態というのがほとんどでした。
アジアの状況次第では、ヨーロッパに目を向けるのも可能性のひとつです。UCI(国際自転車競技連合)レースは招待枠を得るのがなかなか難しいですが、例えばベルギーではその日の登録だけで出場可能なケルメスというレースがあるので、そこへチャレンジするのも選択肢としてあるかなと思っています。
開催されていたはずのひとつひとつのレースで、ブレイクする無名の選手がいたはずだった
レースが開催されない中でも多くの選手はトレーニングに真剣に取り組み、成果を得ていた。しかし、実戦でしか得られないものは確実にあるという。
野寺:コロナ禍であえてプラス面を挙げるとすれば、普段のシーズン中は移動とレースを繰り返しながら息つく暇もない活動になるので、いったん立ち止まってトレーニングの内容や自分たちの進む道を考える機会にはなれたかなと思います。普段できないアプローチやトレーニングもできる面は確かにありました。
この2年間、シマノレーシングの選手も他チームの選手もレース数が減ったことによってみんな真面目にトレーニングに取り組んでいました。それぞれいい練習ができて、体力的にも伸びたという実感がある選手はたくさんいるでしょう。
しかし、レースの世界はレベルの高い選手が目の前に立ちはだかって、彼らと年間何レースも戦っている中で、一握りの選手が勝ち残り、そうでない選手は淘汰されていくという厳しい弱肉強食の世界。それがない今は、ある意味平和な状況になってしまっていたので、その厳しさを味あわせてあげたいですよね。競技生活だけじゃなく、彼らの人生においてもすごく意味があることだと思います。
現在は多くの選手が科学的トレーニングに取り組んでいますが、そこにも限界はあって、その先の領域があると思います。そこを引き出すのは競争本能。本気の競争の中に入ることで普段5分間しか出せなかったパワーが6分も7分も出るようになる。それはパワーメーターを後から見てもわかるんですね。「負けたくない、負けられない、なんとしても勝ちたい」という気持ちになる現場に選手を連れて行くことが大事だと思います。
一番残念だったのは開催されていたはずのひとつひとつのレースで、ブレイクする無名の選手がいたはずだということ。シマノレーシングの中でも、今この選手は強いからレースに出たらすごくいい走りができるんじゃないかという確信があったし、もちろん他のチームにもいたはず。競技生活というのは決していつまでも続くものではないので、そういうひとつひとつのチャンスがなくなってしまったのは残念です。
東京五輪後の選手育成
今年は1年延期になった東京五輪が開催された。全体を見れば日本勢の大活躍に湧き、これまでメダルになかなか手が届かなかった競技・種目でも多くのメダリストが誕生した。自転車競技でも梶原悠未選手がトラックの女子オムニアムで銀メダルを獲得。しかし、男子ロードレースに限ってみれば、日本代表の新城幸也選手(BAHRAIN VICTORIOUS)、増田成幸選手(宇都宮ブリッツェン)がそれぞれ全力の走りを見せてくれたことは自転車ファンならわかるものの、外から見ればメダル争いに絡めていないと思われて仕方のない結果だ。また両選手とも30代後半のベテランであり、それに続く世界トップレベルで戦える若手の台頭が望まれる。
野寺:新城選手、増田選手にはもちろん期待していましたが、今回の五輪のコースは新城選手向きではなかったように感じていますし、増田選手も本人のコメントを見るとトップコンディションではなかった印象を受けました。やはり1人、2人の選手に頼ると戦い方が難しくなってくる。もっと世界レベルで戦える選手が数人いて、それぞれ違った持ち味を持って、コースにあった選手、調子のいい選手を代表に選ばないといけない。選手層の厚さを手に入れることが今の日本には必須です。
過去10年あまり、世界レベルでは新城選手、別府史之選手(EF EDUCATION – NIPPO 先日、引退を発表)に続く選手はほとんど出てきていない。その中でも中根英登選手(EF EDUCATION – NIPPO)は、ワールドツアーのレースで2人に次ぐレベルで頑張っていると思います。
シマノレーシングで全日本選手権に勝利し、ワールドツアーに挑戦した入部正太朗選手(現・弱虫ペダルサイクリングチーム)は怪我の影響もあり残念ながらそこまでの活躍はできなかった。私もそうでしたけど、毎年、全日本チャンピオンは誕生するし、1人1人の実力も国内の中ではトップだと思います。しかし、国内トップのポテンシャルでも世界ではなかなか通用しないのは私も身をもって経験している。本当に世界の扉を開けて、入り口からちょっと中に入れる選手との間には大きな差があると思います。
彼らが強く憧れるような世界が間近にないと…
それでは、世界に通用する選手を育てるにはどうすればいいか? 競技を取り巻く環境、選手たちの意識など、課題は多い。
野寺:今は色々な情報が入る中で、生活的な保障を含め自転車競技にリスクを感じている若者やその親御さんがものすごく多いように感じています。もちろんスポーツである限り、成功しないリスクはあるのですが、そのリスクの先に夢があるというのが見せられていない。
そのためには、日本のレース環境で、新城、別府に続くような選手、彼らより上を行くような選手が定期的に1、2人でも出るような環境を作ることが大事。その道に自分が乗れていないことを示せれば、つまりある程度の年齢で十分なレベルに達しなければ、早めに諦めをつけられるような状況にしていければ、競技を目指した人が最終的に幸せになれるのかなと思います。
今の国内レースは大手メディアに取り上げられないにしても、主催者や各チームが広報やSNSを頑張っているので、いい走りをすることが価値になっています。しかし、上を目指すには選手1人1人が最低限、今いる集団の周りの選手には「絶対に負けない」という意識を持って戦わなくてはいけない。「いい走りをしたから。いい」という考えは捨てなくてはいけない。そのためには、ものすごくきついトレーニングにも耐えなくてはいけないし、好きなことをする時間もなくなるでしょう。
それを実現するには、やっぱり彼らが強く憧れるような世界が間近にないといけない。新城選手、別府選手、増田選手らはその価値を知っている。言い換えれば、世界に近くなればなるほど、世界が遠くなって行くのも感じているけど、そこへ立ち向かうモチベーションもどんどん上がっていくと思うんです。その世界を見せてあげるのが、私みたいなチームを率いる人間の責任なのかもしれないと考えています。
有望な若手発掘を継続的に
有望な若手を育成するため、野寺監督が力を入れたいと考えているのが幅広い分野からの人材発掘だ。
野寺:今後は視野を広げて、自転車競技以外から選手を発掘するプロジェクトをもっとやっていくべきではと思っています。たまたま自転車競技と接点がないだけで、日本のどこかに新城、別府のようなポテンシャルを持っている選手がいてもおかしくないですからね。
今、高校生の女子で垣田真穂(松山学院)さんという選手がいるのですが、いろんなレースで勝って活躍しています。彼女はJ-STAR PROJECTというJOCなどが連携しているジュニア選手の発掘事業から自転車競技を始めた選手です。3年ほど前に滋賀でプロジェクトの合宿が開催され、私と木村(圭佑、2021年にシマノレーシングで現役引退)が教えに行きました。そこには全国各地でワットバイクで高い数値を出した中学生ぐらいの子がいっぱい集まっていたのですが、その日初めて競技用自転車に乗るというような状況でした。たまたまそのプロジェクトに参加した中から、そのような有望な選手が出てくることもあるんです。
ただJ-STAR PROJECTに関しては、こんな素晴らしいことを継続的にやるのかなと思ったら、実際はそうでもないようです。他にも定期的に行われている発掘プロジェクトはほぼないようです。
選手育成は新しい働きかけも
以前はサッカーとしていたという垣田選手は、高校2年生ながら今年のインターハイではロードレース、ポイントレース、個人追い抜きで優勝するなど注目を集めている。また、ロードとトラックでJCF(日本自転車競技連盟)の強化指定選手にも選ばれている。
J-STAR PROJECT(ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト)は、スポーツ庁、JOC(日本オリンピック委員会)、JPC(日本パラリンピック委員会)などが連携して行っている選手発掘プロジェクト。現在は10のオリンピック競技(7人制ラグビー、ウエイトリフティング、トライアスロンなど)、パラリンピック全競技が対象。なお、五輪の自転車競技の発掘プロジェクトは2018年のみの開催だった。
野寺:東京五輪が終わった今、一区切りして次の世代に目を向けて今までと違うアプローチをするのも大きな意義があると思います。宇都宮ブリッツェンが下部組織のブラウブリッツェンを持つように、シマノレーシングが発掘事業やるのも可能性としてはあるしれません。何より競技用自転車の機材を買いそろえるのは親にとっても負担ですが、ロードバイクを貸し出して体験させてあげられるような環境が日本各地にあればいいなとは常に思っています。
また2017年から中学校などで教員の負担を減らすため、部活動のコーチを外部に委託する部活動指導員という制度が始まっています。そういう場で、自転車競技の経験者がコーチとなって自転車部を作りましょうという働きかけをしていくのもおもしろいと思います。
育成の常勝と両輪で
シマノレーシングは2000年代まで全日本チャンピオンを複数そろえ国内常勝を誇っていた。しかし、2010年代半ばから若手中心の育成チームをコンセプトとして活動している。2022年以降、チームの方針に変化はあるのか?
野寺:若手育成は継続していきますが、育成と言っても強いチームの中に若手が入って初めて育成が実現するだろうというのは前々から思っています。結果が出ないのは若手育成だから、と逃げ道になるところがあるんですが、決してそこを目指しているわけでありません。以前の常勝のシマノレーシングがベースにあって、その中から早い段階でトップに立つような若手を育成することこそ若手育成だと思っています。だからこそ、国内で負けないようなトップチームを目指していきます。
ここ数年は新人、若手中心のチームでしたが、他チームから実績ある選手を招き入れる可能性もあります。来てもらう選手はただ経験を伝える指導役としてではなく、今いる選手の成績を全部奪い取りにくるぐらいのまだまだ気力がある選手、レースの厳しさを見せてくれるような選手が理想ですね。
私がヨーロッパで活動していてひとつ思ったことが、最高のモチベーションを持ってやっているつもりでも湧き上がるエネルギーがなくなるときがあったんです。周りは親切にしてくれているけど、本当の意味でのコミュニティには入れていないっていう意識がどこかにありました。ただ、2シーズン経過してジロ・デ・イタリアを完走した時に周りに住んでいる一般の人が私のことを自転車選手として認識してくれ、好意的な笑顔で接してくれるようになった時に、気持ちのエネルギーが湧いてきたんですね。
そういう意味では、スポーツするときのエネルギーと心のエネルギーはすごく密接に関わっているので、そういう心のサポートを継続していくこともチームとしての存在意義なのかなと思っています。彼らがいい時も悪い時もサポートして、近くで一緒に時間を共有しているという感覚を持って、一緒にレースに挑むことで彼らのエネルギーが湧くんだと思います。
写真と文:光石達哉
著者プロフィール
光石 達哉みついし たつや
スポーツライターとしてモータースポーツ、プロ野球、自転車などを取材してきた。ロードバイク歴は約9年。たまにヒルクライムも走るけど、実力は並以下。最近は、いくら走っても体重が減らないのが悩み。佐賀県出身のミッドフォー(40代半ば)。