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2018年10月11日

パワーメーターのデータ分析で調子の波を支配する! シマノレーシング入部正太朗

一昔前と比べると手が届きやすい機材となったパワーメーター。自分のパワーを数字として見られるのは興味深いが、そのデータを活用してパフォーマンスアップにつなげるのは一筋縄ではいかない。そこで、今季パワーメーターのデータ分析で成果を上げているというシマノレーシングの入部正太朗選手に彼が取り組んでいるノウハウを聞いてみた。


 

自分にあった自分が続けられる
トレーニングを選択

 

以前よりも種類も増え、価格もリーズナブルになってきたパワーメーター。しかし、まだまだ高価な機材なだけに、手に入れるからには有効活用したいところ。とはいえ、性能アップや乗り心地の違いがすぐに感じられるホイールなどの機材と違い、パワーメーターを使って強くなるにはそれなりの知識やノウハウが必要だ。

 そういったノウハウやトレーニング方法などの情報は専門書や雑誌、ネットなどにあふれているものの、難解な言葉が並んでいて、正直どこから手をつけていいのか頭を悩ます人も少なくないだろう。何よりも、あまたあるトレーニング方法の中から、自分にあったもの、自分が続けられるものを取捨選択するのも重要で、それができるのも優秀なアスリートの重要な条件だ。

そこで、今回はシマノレーシングの入部選手が今年から取り組んでいる「TSBシミュレーター」と呼ばれるデータ分析ソフトを使った方法を紹介。現役選手の成功例のひとつとして見ていただければ、一般のサイクリストにも参考になるヒントがあるかもしれない。

 

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入部選手がパワーメーターを使い始めたのはシマノレーシングに加入後で、そのころからパワーゾーン別のメニュー練習は取り組んでいた。昨シーズンからは、開発段階からテストにも協力していたシマノ製パワーメーター「FC-R9100-P」を実戦投入している

 

FTP、TSS、CTL、TSB
基本となる用語は4つ

 
まずは入部選手のノウハウを紹介する前に、基本的なパワートレーニングの用語をおさらいしよう。実際にはもっと多くの用語があるが、今回重要なのは以下の4つだ。

FTP

Functional Threshold Power(機能的作業閾値パワー)の略。一般的には、1時間継続できる上限のパワー値とされ、有酸素能力の高さを示す。単位はワット(W)。脚質によって一概には言えないが、サイクリストの実力を示す数値のひとつ。FTPの何%といったパワーゾーンによる練習メニューの作成や、下記のTSSの計算のもととなるなど、すべての基本となる数値。

FTPはコンディションによって変化するので、入部選手は「2カ月に1度ぐらい定期的に計測している」という。その計測方法は「1時間の全開走は途中でタレたりして難しい。だから、5分間無酸素域で全開走し、20~30分休憩して20分全開走をする。その20分間の平均パワーの95%がFTPになります」。

 

TSS

トレーニングストレススコア(Training Stress Score)の略。時間と強度をもとに、体にかかる負荷を数値化したもの。FTPの強度で1時間運動した場合は、TSS100となる。トレーニングやレースでどれだけ頑張ったか、追い込んだか、を示す。一般的にTSS50以下は回復走、TSS100は1日で回復すると言われている。

 

CTL

Chronic Training Load(長期トレーニング負荷)の略。42日間(6週間)のTSSの平均値。長期的な体力のベースを示す。簡単に言えば、今の自分にどれだけ体力的なベースがあるかということで「一般的にはプロ選手がレースを走るとき、CTLは最低100以上必要と言われています」と入部選手。

 似たような用語でATL(Acute Training Load=短期トレーニング負荷)がある。これは1週間のTSSの平均値で、短期的なコンディションを表す。

 

TSB

トレーニング・ストレス・バランス(Training Stress Balance)の略。CTLからATLを引いた値で、好不調を数値化したもの。これがプラスであればあるほど疲労から回復した状態で、マイナスが大きいほど疲労が蓄積している状態を表す。

 

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今季はツアー・オブ・タイランドでのステージ優勝など、3勝を挙げている入部選手。「今年は調子が悪かったことがない」というが、その要因は上記のデータを分析したコンディショニングがうまくいっているからだ

 

体力のベース、疲労回復の度合いを数値化する
TSBシミュレーター

 
さて、ここからいよいよ本題。自転車のみならずどんなスポーツでも狙ったレースや大会にコンディションのピークを合わせたいもの。そのためには、もちろん練習しなければいけないが、練習のやり過ぎはかえってコンディションを崩すことにもなりかねない。その辺りは、プロ選手もホビーレーサーも同じだろう。

しかし、入部選手は今年は狙ったレースに合わせて調子を上げることができていると言い、最大の目標だった全日本選手権はシーズン中最高のコンディションで臨めたという。

そのコンディショニングを助けているのが、先述した「TSBシミュレーター」というソフト(エクセルの表計算マクロ)だ。下記の「じてトレ」のサイトから無料でダウンロードできる。

http://www.jitetore.jp/contents/fast/list/201205250700.html

 
「TSBシミュレーターは体調管理をサポートするソフトで、今年から導入しました。野寺(秀徳)監督にノウハウを教えてもらってやってるんですが、パワーメーターの数値を入力することで自分がどういうコンディションにあるか、どれほど疲れているかを、数値化できます。これを使うことで、コンディショニングの精度を上げ、休むべきタイミングをより知ることができます」

 使い方はシンプルだ。初期値の設定はちょっと難しいが、マニュアルに従ってATL、CTLを導き出し、入力する。その後は、練習やレース後のTSSを入力するだけで、ATL、CTL、TSBが自動で計算される。練習しなかった日は、TSSが0になる。

 

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TSBシミュレーターのサンプル画面。表の見方で注意するのは、その日のCTLはTSSを入力後の数値になること。「レース前は、前日のCTLを見て、TSBはその日の練習前を見れば、走る直前のデータとなります」と入部選手。メモ欄にはレースの日程や体調の変化で気づいたことを入力しているという

入部選手流の見方は「主にCTLとTSBの2つを見て、自分のベース、練習がどれだけ積めているか確認しています」という。

「TSBのプラス(無印)は回復している状態、マイナス(▲)は疲労を示しています。毎日たくさん練習してTSSを入力すれば、CTL(ベースの体力)は上がり、TSBはマイナス(疲労している状態)に向かいます。マイナスが続くと体調を崩しやすくなります」

 

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極端な例だが、毎日TSS300とかなりの量を練習すると、CTLはどんどん上がり、ベースの体力はついていく。しかし、同時にTSBはマイナスになり、疲労も積み重なる。これを続けると右に注意が出て、練習のやりすぎを教えてくれる

 

自らのコンディショニングをコントロールするには、TSBの変化に気を配ることがポイントだ。

 「理論上はTSB-20を下回るとパフォーマンス低下、体調不良、免疫低下の恐れがあると言われます。また、ずっとプラス(回復状態)をキープするより、TSBを-10ぐらいまで下げた状態から回復して+5~+25の間に戻すのが好調と言われています。マイナスからプラスに戻すのが理想なんです」

 

未来のコンディションを
シミュレートする

 
このソフトのポイントは、シミュレーターであること。つまり、実際に走り終わった後のTSSを入力するだけでなく、未来の日程のTSSを任意で入力して、CTL、TSBがどのように変化していくか見ながら、トレーニングや休養の計画を立てられることだ。

「例えば、次の日曜にワンデーレースがある場合、そこにTSBをプラスに持っていきたいとします。ここでは、前週の土曜ぐらいからどんな練習をしようか? とシミュレートしていきます。レース前2日ぐらいからトレーニング量を調整したいので、この2日間はTSS10。残り6日間を連続でやるのは恐いので、3勤1休か2勤1休のペースで練習します。なるべく平均して同じ量やりたいので、毎日TSS200かTSS150を入れていきます。休む日は回復走でTSS50。選手にもよるけど、前半多め、後半落とすほうが疲れが残りにくいと思います」

入部選手のアドバイスを参考に、こちらでシミュレートしてみた結果が下記の通りだ。

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10月14日にワンデーレースがあると想定してシミュレート。回復日を挟んでTSS200ずつ5日間練習した場合、レース直前はCTL101とベースは高いが、TSB-1とやや疲労している

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今度はTSS150ずつ練習した場合。休息日も1日後ろにずらしてみた。CTLは95と練習開始日よりやや下がったが、TSB13と十分に回復している

 

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回復走を挟んで前半はTSS200ずつ、後半はTSS150ずつ練習した場合。CTL98、TSB8とまずまずの調子だ

 

「これを続けていると、何日後にTSBがプラスになるか、平均でどれくらいのTSSの練習をやればいいか。TSBがどれくらいマイナスになると体が止まるか、どこかで気づきます。今年はだいたいどのレースもTSBがプラスで入るように狙ってやっているので、ほんまに調子悪いときがないです」

プロ選手のように練習に多くの時間を割けないホビーレーサーの場合はどうか。週末にはまとまった時間練習できるとして、平日はまったく乗らない方がいいか、朝練やローラー台で多少は練習した方がいいのか、同じく約1週間の日程でざっくりシミュレートしてみる。

 

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週末のみTSS200の練習をした場合、TSBはかなり回復しているが、CTLは91と徐々に下がり、体力的なベースは下降気味

 

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平日にもTSS50ずつの練習を追加した場合。CTLの下がり幅はかなり小さくなる。理想を言えば、TSBをマイナスからプラスにしたいので、週の半ばで追い込む練習ができればいいだろう。ここで見る限りは、忙しくても毎日少しずつ乗ることが大事なようだ

入部選手は「遊び感覚で適当に数字を入れて、その変化を見ている」というが、その中で最適なトレーニングプランを導き出しているのだ。こうしたTSBシミュレーターによるコンディショニングはシマノレーシングでも多くの選手が取り入れ、他チームの選手も採用しているという。

選手たちにノウハウを教えた野寺秀徳監督は「やっていることは専門書の最初に書いてあるような初歩的なことかもしれません。しかし、選手たちに本を読んで勉強しろといっても難しいところもあるので、実際にパソコンを前にしてやり方を見せました。入部はまっすぐのめり込むところがあるので、うまくハマっているんでしょう」と語っている。

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シマノレーシングが使用しているシマノのパワーメーター一体型クランクセット「FC-R9100-P」。写真に見える半円形のパーツ「コントロールユニット」が外観上の特徴だ。「まず重量が軽い。USBで充電できるのも便利です。トルク効率やペダリングの左右差などいろんなデータを計測できるのもいいですね」と入部選手

 


「感覚7割 数値3割」
積極的な回復で疲労を克服

 

とはいえ、このシミュレーターを信じすぎて、数値にこだわりすぎるのもリスクがある。
入部選手は「回復力は人によって違うので、この方法も合う人、合わない人がいます。幸い僕はだいたい合っています。それでも感覚7割 数値3割で考えています。自分の感覚が大事で、数値にこだわりすぎるとズレが生じると思います。僕は10年以上競技をやってきて、感覚を大切にしてきたからできるているのかもしれないです」と警告する。例えばTSSにしても、練習の内容によって体に残る疲労度は変わってくるという。

「5時間練習してTSS250のときと、3時間でTSS250のときでは、数字上は一緒だけど練習内容の強度が違う。感覚的には短い時間で高強度の方が筋肉的なダメージが大きいです。10分走、20分走と長めのメニューより、1分走、2分走、スプリント練習の方が疲労は大きいですからね」

休養についても、同じことが言える。

「TSS0でもちゃんと休んでいるゼロか、疲労しているゼロかで全然違います。例えば8月にナショナルチームの遠征でチェコに行ったんですが、丸一日の飛行機移動で疲れてもTSS的にはゼロ。マッサージを受けたり、睡眠を増やした日もゼロ。でも、これはシミュレーターで考慮されません。シミュレーターはあくまで指標なので、そういうときは自分の感覚と調整します」

フルタイムワーカーの社会人であれば、1日中デスクワークや会議に没頭され、ヘトヘトになってもTSSとしてはゼロ、休日に自宅でゴロゴロしていてもゼロといった具合だ。入部選手の場合、数値に表れない疲労を感じるときは、積極的な回復を行っている。

「レース期間中は食べ続けないとダメだけど、内臓も休ませないと動かなくなります。そこで、体調を維持するためにプチ断食を始めました。といっても一食抜いて、1日2食にするだけです。疲れているときは睡眠も10時間以上とります。昼に起きて、そのまま朝食をカットすることもあります。また今年の夏は暑かったので、心臓に負担かかる昼間には練習しませんでした」

このように疲れている日と積極的な回復を図る日のバランスをとって、自ら感じる体調とシミュレーター上の数値を照らし合わせている。入部選手のケースは、プロ選手ならではの時間の使い方と言えるが、フルタイムワーカーであっても食事、睡眠、ストレッチやマッサージ、入浴法など見直して、自分に合った回復方法を見つけるのもひとつの方法だ。

 

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レース中は補給などでつねに内臓を動かしているため、知らぬ間に疲労がたまっているという。入部選手はオフ日に食事を抜くことで、内臓を休ませる回復法をとっている

 


 【次のページ】  2018年前半戦 入部選手のコンディショニングの波は? 


 

 

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