2023年04月27日
サイクリスト あの日の夢~これからの夢 鈴木真理さん(後編)「日本の子どもたちは絶対に世界へ行ける」
かつて選手として活躍し、引退後のセカンドキャリアでも様々な分野で精力的に活動を続ける人々の足跡をたどり、当時の思いや今後の展望を聞く連載。第5回は、全日本選手権やアジア選手権で優勝、アテネ五輪出場など活躍した鈴木真理さん。現在は「TRUTH BIKE」を立ち上げ、小学生向けの自転車スクール「ブリッツェン☆ステラ」から大学生まで若い才能の育成に全力を注入。育成業の傍らJCLチーム「さいたま那須サンブレイブ」の監督も務めている。
二部構成の後編をお届けします。 前編はこちら
INDEX
小学生を指導 試行錯誤しながら奥深さに気づく
中学生以降も自転車を続けられる場を
世界への近道は、新しい世代を育てること
挫折から学んで、成長につなげる
小学生を指導 試行錯誤しながら奥深さに気づく
宇都宮ブリッツェンとの契約最終年だった2017年に、選手と並行して宇都宮ブリッツェン傘下の小学生向けの自転車スクール「ブリッツェン☆ステラ」のコーチを務めることになる。
「ブリッツェン創立当初から柿沼(章、ブリッツェン運営会社社長)さんと廣瀬(佳正、同副社長)には育成チームを作りたいという夢がありまして、ブリッツェン☆ステラ創立に繋がりました。当時、ちょうど辞める選手が僕だったので、やってみないかとお話をいただきました」
「最初は、子どもなんて誰でも教えられるだろうと考えていたんです。年に何回か小学校とかで自転車スクールをやるのと同じ感じでやればいいのかなと、安易な気持ちでスタートしました。でも、やってみたら全然できない子もいっぱいいて、難しいなと思いました」
「それでも自転車を教えるのが好きだったので、こういう風にしたらいいんじゃないかと試行錯誤していくうちに、だんだん走り方がうまくなっていきました。体力的にはまだ子どもなんだけど、走り方がプロ並みになってきて、奥が深いぞっていうのは感じましたね」
ブリッツェン☆ステラは小学4~6年生の子どもたちが対象で、毎年15名前後が参加している。練習は週2回、水曜は宇都宮市内の住宅展示場「トヨタウッドユーホーム」の駐車場を利用し、土曜または日曜は宇都宮競輪場や宇都宮森林公園で行っている。
駐車場での練習は、鈴木さんがコーンを並べて作ったコースを子どもたちが周回するのがメインで、ロードレースで安全に集団走行するスキルを養っている。タイトなコーナーを密集した隊列で、ときには2列並走しながらハイスピードでクリアする大人顔負けのテクニックを持つ子も少なくない。
「1年目は僕の力不足で1カ月に何回も落車がありました。それで、子どもの性格や走り方を全部見極めた上で、隊列を組むようにしました。この子は何番目と並び順を僕の方で決めることで、落車がなくなっていきました」
「それが日々変わるんですね。子どもが今日やる気ないな、疲れているな、集中力がないなとなると、変なコーナリングをして後ろの子が転んじゃうので、隊列を変えないといけない。日々見ていないとわからないので、毎回、走っている間も微調整しています」
鈴木さんが作るコースも直線、ヘアピン、S字、直角コーナーなどが絶妙に組み合わさっている。
「わざとペダルをかかせるコースを作って、ここは回せて、このぐらい倒したら回しちゃいけないと、ペダルが路面に当たらない感覚を身に着けさせています。普通の大人だったらペダルをかいて転ぶ人が多いと思います。閉鎖的なスペースなので、ここで転んでも大ケガしないとわかった上でスピードを出させています。絶対転ばないようにしなさい、転びそうになったら自分で転ばないようにしていきましょうというのが、ステラの考え方です」
「1年目は最初から自転車を持っていて、小さいころから練習していますという子が多かったんですけど、最近は楽しそうだからやってみたいという子が多いですね。プロ選手になりたいとかではなくて、楽しそうだからとか、ジャパンカップやブリッツェン、弱虫ペダルを見たからとか、本当に一からの子が多いです」
「初心者で入ってくる子は、ある程度走れるようになるまで半年ぐらいは最低でもかかりますね。学年でも大きな差があって、考える能力は6年生の方が上ですが、4年生はあまり考えないでやるので、うまくできない子は時間がかかります」
「最初はみんな体力がないので、ランニングでも歩いちゃったり、いやいや走ったりしていたけど、そういうことも含めてどういうふうに進めていけばいいかは試行錯誤しました。やるが気ない子にどういうふうに継続させるかとか、子どもの性格も伸ばさないといけない」
「今のところ1年の途中で辞める子は1人もいないので、自分の中では誇りでもあります。1年間頑張れるように教え方も考えているし、もちろん1年で終わってもいいんだけど、ほとんどの子が6年生まで続けてくれますね」
中学生以降も自転車を続けられる場を
小学生だからこそ教えたことを素直に吸収できるし、学んだテクニックがその後の大きな財産となっていると実感している。
「ロードレースもマウンテンバイクも、自転車にかかわるテクニックは小学生からやっていた方がいいですね。体力をつける練習をガツガツする必要はないですが、基本的な動作は小学生から身に着ける方がいい。小学生は純粋なので。言ったことをちゃんとやっていけるんですけど、高校、大学生ぐらいになると癖がついていて、なかなか直せないんです」
「今、ステラの一期生で小学生だった子が高校生ぐらいになってきている。彼らが同世代の子と練習するのを面倒見ているんですけど、ステラの卒業生はちゃんと走れるし、ちゃんとした隊列を組める。僕もぴったり後ろについて走るんですけど、大学生でも下手な子の後ろは怖い。ステラ上がりの中にはそういう子はいなくて、安心してついていけるんです」
ステラ1期生の長島彗明(ながしま・さとあき)選手は、自転車競技の名門・北桑田高校に進学し、昨年はとちぎ国体少年ロード、全国ジュニアロードで優勝。この3~4月にはTeam NIPPOのプログラムでフランスに派遣され、ローカルレースで表彰台を獲得、国際UCIレースでは9位に入った。将来が期待される選手だ。
ステラ卒業生が芽を出し始めている一方、鈴木さんは中学生以降も自転車を続けられる環境を作っていく必要性を感じている。
「毎年見ていると、彗明より優れた選手はまだまだいると感じています。ただ、その子たちが自転車に戻って来てないというのが、今の悩み。中学ではスポーツは陸上をやってねと言ってるんですけど、その後、陸上で県大会やインターハイに行けるレベルになって、自転車に戻ってこない。だから、ジュニアの子の受け皿を僕の方でやらなくちゃいけない」
「自転車を続ける場が、今まで宇都宮ではブラウ・ブリッツェン(宇都宮ブリッツェンの下部組織)しかなかったので、そうするとチームジャージを買ったり、会費がかかったり、負担が大きくて続けられない子がいる。そういう子でも簡単に自転車に戻れるような仕組みを作っていかなきゃいけない。そこで、センスがある子のための練習会を今年から始めて、自転車に乗ろうよと声かけて戻したいと思っています」
「今は5人ぐらいの練習会ですが、今後はもっと広げてさらにレベルを上げて強い子を集めてやりたい。ただ、今はコーチ料とかをとっていないので、今後どう続けていくかが悩みです。才能ある子を逃がさないためにも、スポンサーをとって強い子はお金を払わなくてもすべての活動できるぐらいにしていかなくちゃいけない。慧明に続く選手が2、3人出てくればスポンサーも取りやすくなると思う。始めた以上はなくすことはできないので、他にコーチを雇ってでも継続していかなくちゃいけない。ゆくゆくは長島彗明みたいな選手、それ以上の選手を作っていきたいです」
こうしたコーチとしての活動は、鈴木さんが主宰する「TRUTH BIKE」として行っている。大学の自転車競技部とコーチ契約を結ぶほか、チームの垣根を越えてプロ選手、学生を始め、様々なレベルの選手をコーチングしている。「TRUTH」は名前の「真理」が由来だが、決して自分だけが指導するかたちにこだわるつもりはない。
「TRUTHというのは、練習場というか自転車の塾みたいなものです。真理塾という名前にすると、僕がいなかったら終わっちゃうので、誰かを雇ってもできるようにしなくちゃいけない」
「この場がなくなったら巣立った子どもたちが悲しむだろうし、例えば彗明がオリンピックでメダル取りましたというときに、会いたい人と集まれる場所がないのはかわいそうなことだと思うんですね。そういう子たちが、小学校、高校、大学で活動してきたところは絶対なくさないようにしなくちゃいけないと思っています」
世界への近道は、新しい世代を育てること
また今年からJCLを主戦場とする「さいたま那須サンブレイブ」の監督も務める。昨年、監督兼コーチを務めていた「那須ブラーゼン」と「さいたまディレーブ」が合併してできたチームだ。
「僕の監督としての役割は、選手が前向きに競技に取り組める環境を考えること。練習方法は選手各自でコーチやパーソナルトレーナーを雇ったりしているので、チーム練習のときはみんなに体調を聞いたり、練習報告をしてもらって僕の方でメニューを組んでいます。チーム練習の予定を組んだり、選手を選んだりというのは僕の方でやっているんですが、監督というよりはコーチ契約の方が強いですかね」
指導者としての活動も多岐に渡り、多忙を極めているが、優先するのはあくまでもブリッツェン☆ステラなど若年層の指導だ。
「ステラの活動が優先なので、サンブレイブのレースには基本的に行きません。作戦とかは前日にリモートで伝えて、当日、現地はスタッフの方に行ってもらいます。ステラのコーチをできなくなるのは困るということで、サンブレイブさんにも理解を得てもらっています」
「チームは10年後の目標をツール・ド・フランスと言っていますが、今、大学を卒業した年代ぐらいの選手を育てて、ツールに行く可能性は限りなく0%に近い。そう考えると、やはり小学生、中学校から育てて、身体能力の高い子を自転車に引き寄せることが大事です。今は自転車から逃がしているんですけど、それを呼び戻すことで10年後、世界で活躍する選手は間違いなく出てくると思います」
「僕ができることは、ステラを各地に作っていくこと。ステラは毎年15人前後いるんですけれど、そこから世界に行くのは1人いるかいないかもしれない。それを考えると、各地に自転車スクールを作っていかないといけない。15人から選ぶんじゃなくて、100人以上いる中から選ぶ仕組みを作っていかないと10年後はない。次は、埼玉で作るチャンスを準備しているところです」
「子どもの育成は、プロチームの監督よりもむしろ大事。プロチームの監督は、結局、雑務が中心になる。やはり子どもの10年後を考えることが、世界への一番近道かなと思います。世界へ挑戦する子を見込んだサポートをしていけるかが、今後は重要。それが今の僕の一番の目標です」
挫折から学んで、成長につなげる
鈴木さん自身も酸いも甘いも味わったからこそ、若い世代にも世界を経験してほしい、そして夢を託したい思いが強い。
「海外で活動することで、何が得られるかは伝えていきたい。僕もトップ中のトップの世界は見てないんですが、いろんな海外経験を積んで今がある。やはり、海外はおもしろいんですよね。初めて行ったときはホームシックになったんですが、その後ナショナルチームなどで海外に行くと、世界にはいろんなレースがあるし、日本よりスケールが大きいレースを経験できるのもおもしろい。まったく日本と違う環境、風習や文化を見られるのはいろんな思考回路ができる。海外はたくさん行けば行くほど、自分の財産が増えるようなイメージですね」
「慧明も海外のチャンスがめぐってきたときに、気づいたと思うんですよ。『世界、楽しいな』とか『世界ってこういうもんだな』ということが。やはり世界でやらなくちゃダメだというのが、少しずつわかってくるんじゃないかなと思うんです」
「日本の子どもにはチャンスはあるというか、絶対に行けると思ってるんですね。あとはその文化に慣れていくだけ。言葉の問題があるから、英語の塾もやりたいなと思っています。小学生、中学生ぐらいから自転車選手で集まる英語の塾があったら、絶対に英語を好きになると思うんです」
もちろん、高い目標に向かって戦っても、全員が成功できるわけではない。挫折しても、そこからが学ぶことが大切だと、鈴木さんは訴える。
「挫折するということは、その分、考えていることだと思うんですね。成功しているとき、例えば僕の全盛期は、日本やアジアだけどずっと勝ち続けていたので、そういうときは何も考えていないんですよ。成功が正しいから、そこで話が終わってしまう。ただ、挫折や失敗は考える場でもあるので。そこから人間は成長していくんです」
「僕は、英語ができなかったっていうのが大きな挫折だった。そこをクリアしてたら、もしかしたら世界にチャレンジできたかもしれない。だから、これからの子どもたちには英語に親しんでほしいと考えている」
「チームも同じで、僕はコーチとして失敗を持って帰ってきてくれ、とよく言っているんです。チームのミーティングで作戦を立てて、作戦通りに走ってどこが失敗だったかのかという話をよくするんです。その失敗を持ち帰って、じゃあ今度はこうした方がいいよねと、各選手に確認を取って、次はできる作戦を立てないといけない」
「去年、さいたまディレーブのほとんどの選手たちは成績を出してないで、完走するだけだった。本当に底辺なところから始まるチームをどうまとめるかというときに、失敗から学べることを作戦として立てなくちゃいけない。去年までは最初の逃げにとにかく乗らなくちゃダメという作戦だったらしいけど、君の力じゃ逃げに乗っても脚いっぱいだよね、だったら成功する作戦を立てなくちゃいけない。それでも失敗したときに、じゃあ今度はどうすればいいのか? 各選手がちゃんと次につなげるのが大事だと思う。真剣にやらなかったら挫折とは言わないので、真剣にやって挫折しない選手はやめた方がいいですね」
「僕は挫折した人間なので、その辛さというのも理解している。日本は楽だし、楽しいし、海外に行きたくないと思うかもしれないけど、日本に帰ってくるのはいつでもできる。まずはチャレンジして、1年とかじゃなくて、数年単位で真剣にやってみてダメだったら帰ってくればいいというのは、伝えていきたい。挑戦しないことには始まらないと思います」
鈴木真理さん/Shinri Suzuki
1974年生まれ、神奈川県出身。2002年全日本選手権優勝、2003~2004年アジア選手権2連覇、2004年アテネ五輪出場。ブリヂストン、シマノレーシング、チームミヤタ、宇都宮ブリッツェンなど国内トップチームで20年以上活躍し、日本国内・アジアで数々の勝利、タイトルを獲得した。現在は指導者として小学生向け自転車スクール「ブリッツェン☆ステラ」のコーチ、JCL「さいたま那須サンブレイブ」の監督など、若年層を中心に精力的に育成に取り組んでいる。
写真:小野口健太
著者プロフィール
光石 達哉みついし たつや
スポーツライターとしてモータースポーツ、プロ野球、自転車などを取材してきた。ロードバイク歴は約9年。たまにヒルクライムも走るけど、実力は並以下。最近は、いくら走っても体重が減らないのが悩み。佐賀県出身のミッドフォー(40代半ば)。