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2026年10月02日

復興へ向けて一歩ずつ。38回目のツール・ド・のと400で感じる能登路の今

725名のサイクリストが集まった

38回目の開催を迎えた「ツール・ド・のと400」は、短縮された2日間の日程で開催された。震災前は国内最長規模の400kmに及ぶコースを3日間かけて能登半島を巡る壮大な大会だったが、2024年以降は規模を縮小して開催を継続している。

震災直後の2024年はワンデイイベントとして、2025年はワンデイに加えて翌日に特別企画のライドイベントを実施。そして今回は2日間の大会開催となり、着実に復興への歩みを進めている。筆者も実際にコースを走り、参加者と触れ合いながら能登路のサイクリングを楽しんだ。

募集期間が短かったにもかかわらず、725名のサイクリストが集まった。リピーターも多く、各所で参加者との再会を喜ぶ声が聞かれた。

1日目は、金沢港クルーズターミナルを発着する133kmの「金沢コース」と、約55kmのハーフコースを設定。2日目は、輪島市の日本航空高校石川・のと里山空港周辺を発着する約90kmの「能登コース」が用意され、参加者はスケジュールや脚力に応じてコースを選択できた。

筆者は133kmと90kmのフルコースを実走取材した。大会前には悪天候が続き、水害の影響がコースにもあったため、一部急きょルートを変更しての開催となった。

「いつ何が起こるかわからないなら」

内灘町に住む参加者のひとりに、周囲の状況を伺った。地震直後に発生した液状化により「側方流動」が起こり、地盤が水平方向に移動したことで、土地の境界線が分からなくなってしまったという。

これが現在も続く境界線問題につながっている。地震から3年が経過した今も、境界が確定しなければ住宅の再建は進められない。約2年半が経ち、ようやく調査が進み始めたという。

男性の住居は基礎工事がしっかりしていたため致命的な損傷は免れたが、地盤は腰の高さまで沈下していた。地震直後は、何が起こったのか理解できなかったという。

周囲を見渡すと、空き地が目立つ。かつて住宅があった場所だろう。多くは肩の高さほどの雑草に覆われている。意識すると、町に空き地が多いことに気づかされる。境界線の問題などで再建が進まないケースもあるが、「本当にみんな戻ってくるのだろうか」と男性は話す。

幼少期に慣れ親しんだ通学路も荒れ果て、気持ちは沈んだままだ。

道路脇に立つ電柱のシルエットにも違和感がある。液状化で地面に沈み込み、電線が垂れ下がっているためだ。側溝以外の地面が沈下し、U字溝がむき出しになった場所もある。もはや手が付けられず、舗装工事が進められている箇所もある。

愛車で景色のいい場所へ出かけ、車中泊をしながらお酒を飲むのが最高に気持ちいいという。翌朝はサイクリングに出かけるがそれは「ついで」と笑う。「ずっと楽しい日が続くと思っていたけど、そうじゃないと地震が起きてわかった。私はお酒が好きだから、体に悪いとわかっていても楽しみたい。ただ、後悔だけはしないように。
後悔しないように生きる。という言葉に重みがある。

そんな彼とも、毎年「ツール・ド・のと400」を一緒に走っている。会えばいつも言葉を交わす間柄だ。今回も途中で少し無理をして脚が攣りそうだと苦笑いしていた。

初日は風に翻弄された

1日目、金沢港クルーズターミナルから海岸線を北上し、千里浜なぎさドライブウェイを走り、中能登町で折り返す約133㎞のロングコースをレポート。この第1ステージのライドをひと言で表すなら、「爆風」だろう。往路も復路も強風に翻弄されたが、唯一の救いは帰りがご褒美のような追い風になったこと。途中で雨に降られる場面もあったものの、参加者は気持ちよくペダルを回せたはずだ。

雨が降ったり止んだりする空模様だったが、コースの目玉である「千里浜なぎさドライブウェイ」も無事に走ることができた。

エイドステーション「道の駅織姫の里なかのと」での昼食をはさんで折り返し。するとさきほどまで我々を苦しめた風が恵みの追い風となり、参加者全員がホッとする場面も。復興が進む能登路を

「ツール・ド・のと400」の創設・運営の中心人物の成田加津利(なりた かつり)氏
ゲストのアテネオリンピック女子自転車ロードレース代表の唐見実世子(からみ みよこ)氏
ゲストの筧五郎氏(左)、岸本伊織氏(右)

2日目はアップダウンで脚を試される

第2ステージは、 日本航空学園能登空港キャンパス (のと里山ポケモン・ウィズ・ユー空港)がスタート地点となった。昨日の風は収まり、青々と青々とした空が広がった。9月は雨や曇りの日が非常に多く都心からのお客様は「久々に日光を感じて心地よい」と語った。

日本航空学園能登空港キャンパス(のと里山ポケモン・ウィズ・ユー空港が2日目の発着点となった。
日本航空学園能登空港キャンパス前よりスタート
国交省北陸地方整備局の三年間の復興の歩みがボードで掲示された

初日の疲れを感じる中、距離こそ短いが大きな峠が2つ控えており、初日よりも獲得標高が多いコースレイアウトだ。 日本航空学園能登空港キャンパスをスタートし、北上。輪島市からはアップダウンの海岸線を15kmほどさらに北上する。窓岩の 曽々木(そそぎ)海岸から半島を南へ縦断し能登町へ。そして峠を越ええて再び日本航空学園能登空港キャンパス へ。
この日のみ参加者の約100名に加え、2日間参加の300名を加えたおよそ400名が気持ちよくペダルを回した。
この日は風が穏やかになり軽快な走りを楽しめたはず。道路の復興も進んでいるものの、まだまだ荒れているところが多いが、当日もいくつも復旧工事のための交通規制を見かけ、整備が進んでいることがわかる。

普段は自転車が立ち入ることができない自動車専用道路の能越自動車道(のと三井IC 〜 のと里山空港ICの間、約5.0km)を通行止めにし、参加したサイクリストたちが特別な計らいでその1区間を走行。また今回は珠洲までは走れなかったが輪島の美しい海岸線、千枚田とアップダウンのコースは健在で、それぞれのペースでサイクリングを楽しめたはず。

特別な計らいで能越自動車道の1区間を走行させていただいた
慰霊と復興のモニュメント、能登希望の灯り。輪島に居を置く文化人の藤平朝雄さんのメッセージが刻まれている。

山野知事、一青妙さんが千枚田でサイクルルートをPR

国の「ナショナルサイクルルート」に指定された「いしかわ里山里海サイクリングルート」で、山野知事が自転車でコースの一部を走行された。

山野知事は、輪島市の道の駅「千枚田ポケットパーク」から名舟漁港までの約2.4キロを、県の観光文化大使で「ツール・ド・のと」のアンバサダーを務める一青妙さんとともに走った。

仮設道路を走る山野知事と大会アンバサダーの一青妙さん

山野知事は、「多くの方に関心を持ってもらうきっかけにしたい。能登の復興が着実に進んでいることも伝えたい」と話し、復興が進む能登の魅力を伝えた。
その様子は県内メディアの夕方のニュースで大きく取り上げられていた。

震災後、諦めずに走り続け3回目の開催となったツール・ド・のと。そもそもの成り立ちは異なるが、現在となっては単に元通りにする「復旧」ではなく、未来を見据えてより強い社会を作る「ビルド・バック・ベター(より良い復興)」への歩みともいえる。
自転車と同じくバックギアは必要ない。「新しいツーのと」として着実な一歩を踏み出した大会だった。

関連URL:ツール・ド・のと400 http://tour-de-noto.com/

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