2016年10月26日
【ジャパンカップ サイクルロードレース 2016】25年目の節目、それぞれの想い(前編)
ジャパンカップ25周年 ワールドツアーへと続く未来(前編)
国内最高峰の自転車ロードレース「ジャパンカップサイクルロードレース」も今年で25周年を迎えた。この25年でジャパンカップはどう進化し、今後どう発展していくのか? そして、ファンは何を求めているのか? ここではジャパンカップの歴史に名を刻む関係者とファンに話を伺った。前半は、廣瀬佳正さんと浅田顕さんの登場だ。
廣瀬佳正さん「ジャパンカップをワールドツアーに 宇都宮ブリッツェンも参戦目指す」
■ブリッツェン初年度に山岳賞
「私が初めて見たのは高校生のとき、93年の第2回ジャパンカップです。ビデオで見たツール・ド・フランスの選手たちが目の前で走っているのを見て、自分がヨーロッパでプロ選手になりたいと思ったきっかけです」。
「選手時代に一番うれしかったのは、宇都宮ブリッツェンを立ち上げて最初に出場した2009年。地元のプライドにかけて、なんとか表彰台に立ちたいと思っていたのですが、自分が山岳賞を獲れて、宇都宮のみなさんにいい報告ができました」。
■ツール・ド・フランスのような応援を宇都宮で
「この25年間で自転車ロードレースが宇都宮の観光資源として役立てるようになり、県外のお客さんがたくさん来てくれるのがうれしいです。昔は応援の仕方も手探りだったけど、今はツール・ド・フランスの雰囲気そのものの応援の姿が見られて、宇都宮に生まれ育った自分としては誇りに思います」。
「ジャパンカップ自体もレースの価値が上がってきています。一昔前の海外選手は観光気分で来ている選手が多かった気がしますが、ここ数年はワールドツアーの選手たちも本気になってきています。ますます日本人選手が勝つのが難しくなっているけど、ジャパンカップが本当のプロのレースとして成長してきていると思います」。
■宇都宮ブリッツェンをプロコンチネンタルに
「ジャパンカップは、まだまだ大きくなる可能性があると思います。宇都宮の佐藤栄一市長も将来はワールドツアーレースにしたいとおっしゃっています。そのためにはブリッツェンも成長して、ジャパンカップとともにチームの価値を高めなくてはいけない。現在はコンチネンタルチームですが、ワールドツアーに推薦枠で出場できるプロコンチネンタルチームに上がらないといけない。選手、そして我々運営会社も成長しないといけない。宇都宮市民にもっと応援されるチームにならないといけない。そうなるように、温かく見守ってもらいたいですね」。
廣瀬佳正さん 宇都宮ブリッツェンGM
地元・宇都宮市出身。高校時代に観戦したジャパンカップに刺激を受けてプロ選手となり、欧州プロレースにも参戦。2009年に宇都宮ブリッツェンを創設し、自らも選手として活躍。2012年ジャパンカップクリテリウムで現役引退後は、チームのGMとして各方面に奔走する。
浅田顕さん「本気の海外選手に日本最強チームで立ち向かうレースに」
■第1回大会の2、3倍の規模に成長
「90年の世界選手権の余韻の中でスタートしたジャパンカップですが、第1回大会もとても盛り上がりました。私も、もう一度世界選手権のようなレースに参加できるのがうれしかったし、これから発展していくんだろうなと感じました。その後、一度も下火にならずに少しずつ盛り上がってきて、今では当時の2、3倍の規模に大きくなっている。確実に進歩を遂げているレースだなと思います。日本のロードレース界の象徴ですね」。
■海外選手をより本気にするために
「毎年、世界中から強い選手が集まってレースは盛り上がるんですが、やはり彼らも100%本気じゃないと思うんです。世界のカレンダーの中で重要な位置づけにするためには、規模の拡大、コースの見直しも考える必要がある。今の盛り上がりもすばらしいですが、競技と興業の両面でもっと検討してレベルアップしたいですね」。
■ジャパンカップ=世界ではない
「やはり日本人の勝者も必要です。毎年、日本人が勝つのか、海外選手が勝つのかわからないレベルまで引き上げないといけない。そのためには国内の個々のチームが出ることも大切ですが、ナショナルチームに日本人の強い選手を集めてジャパンカップやツアー・オブ・ジャパンに出ることも重要だと思います」。
「日本にいるとわからないですが、海外のレースに出ると日本の力不足を痛感することが多いです。宇都宮に強い選手がたくさん来るけど、これが本当の世界のレベルじゃない。現場の人間としても、そのことを肝に銘じて、選手を育成しなければと思っています」。
浅田顕さん ロード日本代表ヘッドコーチ
選手として1990年に宇都宮で日本初開催されたロード世界選手権、そして1992年にその記念大会にとして誕生した第1回ジャパンカップに出場。引退後はブリヂストンアンカー、エキップアサダなどで監督を務め、別府史之、新城幸也ら多くの名選手を育てた。現在はロード日本代表ヘッドコーチとして世界選手権やオリンピックで指揮を執るほか、若手の育成で世界中のレースを転戦する。
ファンに聞いた「ジャパンカップを応援する理由」(前編)
今年のジャパンカップはクリテリウムで5万人(過去最高)、ロードレースで8万5000人、2日間合計で13万5000人(過去最高)のファンが詰めかけた。なぜそこまでこのレースが多くの人を引き付けるのか? ジャパンカップ、自転車ロードレースの魅力をファンに聞いてみた。
出場選手と一緒にコースを走れるフリーランに参加した地元・宇都宮のご家族。「ブリッツェンを応援していて、地元での大きなレースなので、ここ8年ぐらい毎年来てます。初めて見たときは、集団がきれいな隊列ですごい速さで走っているのを見て、感動しました」。子どもたちの好きな選手は「アベタカ!(阿部嵩之選手)」。
マイヨジョーヌと水玉ジャージの着物姿でフリーランに参加した女性2人組。「外国人選手に喜んでもらいたくて、この格好にしました」。マイヨジョーヌの女性はロードバイクを始めて1年半で、ジャパンカップは初めて。「マシュー・ヘイマン(オリカ・バイクエクスチェンジ)に会いたくて来ました。今年のパリ〜ルーベで、ヘイマンの優勝に感動しました。今日は話しながら、一緒に走れてよかったです!」山岳賞ジャージの女性は3回目のジャパンカップ。「アタッキ・チームグストのファンで、去年のジャパンカップで山岳賞を獲得したエリック・シェパードがイケメンで好きです! 今年のツアー・オブ・ジャパンにも応援に行きました」。
地元宇都宮出身の3人は高校時代の同級生。現在は大学などで、バラバラになっているが、ジャパンカップのために再集結。「観戦に来たのは2〜4回目ぐらい。今日は、ロードレースを好きになったきっかけのカンチェラーラの引退レースなので、見逃せないと思ってきました。レース前の昨日、古賀志で練習しているときに会って、サインをもらいました!」。
はるばる大阪と広島から集まった熱狂的ファン4人組。ジャパンカップ観戦歴は、初めての方から4回目の方まで。「7時半から場所取りしています。今日はカンチェラーラの最後のレースを見に、みんなで集まりました。ロードレースは人間味があるところ、いろんな脚質の選手が活躍するところがおもしろいです」。
地元・宇都宮ブリッツェンファンのご家族。お母さんは、1990年の世界選手権や初期のジャパンカップも「何もわからず見に来ていた」とのこと。「宇都宮ブリッツェンが頑張っているのを間近で見ているので、応援したくなります。選手たちが近所を走っているのを見るし、子どもたちも自転車教室で教えてもらっています。この子は堀選手に乗り方を教えてもらって、補助輪が外れたんですよ。古賀志林道にいる応援団の人たちも、みんないい人ばかりです」。
子どもたちは大久保陣選手、堀孝明選手、元ブリッツェンの初山翔選手(ブリヂストンアンカー、2016年全日本ロードチャンピオン)のファンだ。
(後編へ続く)
(写真と文/光石達哉)
著者プロフィール
光石 達哉みついし たつや
スポーツライターとしてモータースポーツ、プロ野球、自転車などを取材してきた。ロードバイク歴は約9年。たまにヒルクライムも走るけど、実力は並以下。最近は、いくら走っても体重が減らないのが悩み。佐賀県出身のミッドフォー(40代半ば)。