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2015年11月03日

【プレイバック ジャパンカップ Part1】ジャパンパワーの逆襲

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国内最高峰の自転車ロードレース、「ジャパンカップサイクルロードレース」。2015年大会は数年ぶりに日本勢が活躍し、大きな盛り上がりを見せた。ここでは10月18日(日)のロードレースを振り返り、日本人選手、日本チームの奮闘ぶりを見ていこう。

■世界と日本の差を図るバロメーター

ジャパンカップは、海外トッププロ選手と日本人選手の実力差を図るバローメーター的なレースとも言える。2010年に畑中勇介(当時・シマノ)が3位、翌2011年に西谷泰治(当時・愛三)が2位、佐野淳哉(当時・NIPPO)が3位に入ったときは、日本と世界の差も縮まってきたかと思えた。ところが、ここ数年は海外プロチームがモチベーションが高く強力な選手を送り込むことでレースのレベルも上がり、日本人選手が表彰台に上がれないだけでなく、昨年に至ってはトップ10にすら1人も入れなかった。再び「世界との差は開いた」と感じずにはいられなかった。

しかし、今年は久々にジャパンパワーの逆襲が見られた。その兆候は、前日17日のクリテリウムからすでに表れていた。別府史之(トレックファクトリーレーシング)が初優勝し、5周ごとのスプリント賞も鈴木譲、城田大和(ともに宇都宮ブリッツェン)、初山翔(ブリヂストンアンカー)と日本人選手が独占する活躍だった。

翌18日に宇都宮市森林公園コースに駆け付けた8万2000人のファンも、日本勢の好成績をいつも以上に期待していたに違いない。とはいえ、10.3kmのコースを14周する144.2kmのレースは、いつも通りの展開で幕を開けた。1周目の古賀志林道の上りで土井雪広(チーム右京)、青柳憲輝(宇都宮ブリッツェン)ら日本人選手を含む7人の逃げが飛び出すと、メイン集団はすぐに容認し、海外プロチームが先頭に立って3分前後の差でコントロールを始めた。

この逃げの7人の中からアタックがかかったりしたものの、レースの大局には大きな影響はなかった。想定外と言えば、2周目の下りでダミアーノ・クネゴ(NIPPOヴィーニファンティーニ)が落車リタイア、7周目にネイサン・ハース(キャノンデール・ガーミン)が集団から千切れたりと、過去のジャパンカップ優勝経験者が早々とレースを去ったことだろう。

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10月17日のクリテリウムで別府史之が日本人初優勝。翌日のロードレースに弾みをつけた

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ファーストアタックの逃げを容認したメイン集団。チームスカイ、トレックなど海外プロチームがコントロールする定石通りの展開に

■宇都宮ブリッツェンの奇襲

例年であれば、ここから終盤に向けて海外プロチームがペースを上げて逃げを吸収し、と同時に集団の人数を絞り込んでエース勝負に持ち込むというのがお決まりの展開だ。今年もそうなるかと思えた11周目突入前、レースはいつもと違う様相を見せた。

宇都宮ブリッツェンが、逃げる青柳を除く4人の総力戦で集団からアタック。地元チームの奇襲に、ファンの応援のボルテージも一気に上がった。ブリッツェンのエース、増田成幸は走りながらこの作戦を思いついたと振り返る。

「海外ワールドチームが前を固めると、国内チームは前に上がろうとしても上がれない。後ろで待ってるだけでは仕方ないので、予想外の攻撃でワールドチームをこらしめてやろうと、走りながら(鈴木)真理さんと話して決めた。他の国内チームにも行こうと声をかけた」

この先制攻撃にブリヂストンアンカーから初山翔が同調し、古賀志林道の上りでは増田、鈴木譲(宇都宮ブリッツェン)、初山の3人が集団から抜け出した。しかし、後方のメイン集団で息をひそめる優勝候補たちは冷静だった。

「(ゴールまで)遠すぎたと思う。(アタックした)自分たちも脚がいっぱいになるし、もう半周待ってもよかった。集団はパニックになってなかった(新城幸也/日本ナショナルチーム)」「いいアタックだったが、まだ早すぎた。レースに影響はなかったし、ランプレは集団をコントロールできていた(ディエゴ・ウリッシ/ランプレ・メリダ)」と、ブリッツェンの奇襲は早すぎたと口をそろえた。

実際、ランプレ・メリダが先導するメイン集団は、約20秒差とすぐにでも手が届く距離でこの3人を追いかけていた。ブリッツェンにとっても、わずかな計算違いはあった。増田は「上りで仕掛けたときに初山選手しかついてこれなかった。チーム右京やマトリックスも一緒に来て、6、7人の集団になれば後ろのワールドチームにダメージを与えられたかもしれない。3人で逃げてつらくなった部分もある」と、他チームの協力を得られなかったことを悔いていた。

増田らはやがて先行する逃げ集団と合流して逃げ続けたが、続く12周目、古賀志林道の山頂を越えたところで力尽き、メイン集団に飲み込まれる。ブリッツェンにとっては、地元ファンに見せ場を作ることだけが目的ではなく、最終的な結果を目指した走りだった。しかし、「結果に繋がらなかったのは残念。でも、新しい挑戦ができたのはよかったし、来年はこうしてみようという収穫もあった」と、増田は手ごたえも感じていた。

事実、このブリッツェンの動きが少なからずレースを動かし、最終的な結果にも影響を与えたことは評価できる。優勝したバウケ・モレマ(トレックファクトリーレーシング)は「ラスト2、3周がハードな展開になって、スプリンターの数が減ったのは、自分にとって有利だった」と後に振り返っていた。

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レース終盤のブリッツェンらによるアタック。しかし、海外プロチームを慌てさせる展開にはならなかった

■トラブルを抱えながらも表彰台をつかんだ新城

ブリッツェンの奇襲が収束した後、ファンの期待は日本を代表するトップ選手・新城幸也へとバトンタッチされる。翌13周目の古賀志林道で、メイン集団はエース級選手ばかりの10人弱に絞り込まれる。ここに残った日本人選手は、新城だけだった。

今年は春のクラシックでケガをし、しばらく戦列を離れた新城だったが、文字通り「ケガの功名」でレース数が例年より少なかったことが幸いし、シーズン後半でもコンディションのよさをキープしていた。3週間前のロード世界選手権では17位に入っていたが、これは今年のジャパンカップ出場選手の中で最上位の成績だった。

そして満を持して迎えたジャパンカップ、新城は日本ナショナルチームの若手選手たちをアシストに従え、「集団のコントロールに加わることなく、できるだけ脚をためて、後半のペースアップに備えた」と落ち着いた走りで、最後の優勝争いに食い込んでいった。

最終14周目に入り、積極的だったのは今年のジロ・デ・イタリアでもステージ優勝を挙げている実力者ウリッシだった。「最終周でアタックして1人で逃げたかった」と、逃げ切りを目指して攻撃を続けた。

一方、トレックは今年のツール・ド・フランスで総合7位に入ったモレマに最後の勝負を託した。モレマは「残り3周ぐらいから脚がつりかけていたが、最後の上りではアタックについていった」と苦しみながらも、ウリッシの攻撃に対応した。

最後の古賀志林道の山頂はウリッシ、モレマ、そしてセバスチャン・エナオ(チームスカイ)の3人がトップで越えた。新城は約10秒遅れで通過。このとき、すでに前輪がスローパンクしていたようで「上りでなんか重いと思っていたら脚が重いんじゃなく、自転車が重かった」と話していたが、危険を冒して下りで追いついた。

ゴール前3kmの田野交差点からのアップダウンでも、ウリッシはアタックを続けた。しかし、モレマは「ラスト2、3kmはスプリントに備えた」、新城も「スプリントには少し自信があった」とウリッシを離さず、最後のスプリントにかけた。最後はモレマがスプリントの伸びを見せ、優勝をつかみとった。

スローパンクが響いた新城は惜しくも3位に終わったが、ジャパンカップでは待望の初表彰台。ヨーロッパではアシストとして走る機会も多い新城だが、エースを任され、コンディションがよければ、海外トップ選手と互角に戦えることを改めて証明した。新天地ランプレ・メリダに移籍する来季以降の活躍にも、さらなる期待が高まる。

久しぶりに日本人選手が見せ場を作り、結果を残した今年のジャパンカップ。これを今年1回だけでなく、来年以降も続けられてこそ世界との差が縮まってきている証拠と言えるだろう。来年もまた日の丸ライダーたちが宇都宮、そして世界を舞台にそういうレースを見せてくれることを楽しみにしたい。

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脚がつりかけながらも最後のスプリントではライバルを抑え、勝利をつかんだバウケ・モレマ

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惜しくも勝利を逃した新城。それでもジャパンカップで初めて上った表彰台では笑顔を見せ「宿題が残ったので、来年は勝てるように頑張りたい」とリベンジを誓った

(写真/石原 康)

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