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2016年01月29日

シクロクロス世界選手権の歴史と成り立ち、そして現在 【前編】

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毎年1月最後の週末は、シクロクロス世界選手権の週末。晩夏に半袖姿でシーズンインしたレーサーたちが長袖になり、厚手のグローブを着用する季節は晩冬。徐々に寒くなる気候とは裏腹に、どんどんと熱を増すシクロクロスシーズンの最終決戦の舞台に、今年はベルギーのゾルダーが選ばれています。

近年は日本でもブームのシクロクロス。冬季は各地で毎週末開催されており、ご自身で走られた方、友人知人が出場された方も多いのではないでしょうか。そんな世界中のローカルレースの、世界中のシクロクロッサーたちの頂点を決めるのが世界選手権。この週末に開催される世界選手権を前に、シクロクロス世界選手権の歴史を紐解いてみましょう。

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ナンテールで開催されたクロスカントリー・シクロ・ペデストルのスタート(1911年)(c)Bibliotheque national de France

 

その歴史は戦後に始まった

シクロクロスそれ自体の歴史はロードレースのそれとそう変わらず、20世紀の前半にさかのぼります。フランスで「クロスカントリー・シクロ・ペデストル」(自転車とウォーキングによるクロスカントリー)と呼ばれた競技が始まったのは1902年、第一回ツール・ド・フランスの前年のこと。

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今日のシクロクロスよりもハードなトレイルを走るクロスカントリー・シクロ・ペデストルには観客も多い(1921年)(c)Bibliotheque national de France / http://gallica.bnf.fr/

 

「ちょっと考えてみてほしい。たとえば戦争中、大いなる道のことを、畝道(うねみち)を走り駆け回ることを、木陰をすり抜けることを、あぜ道を飛び越えていくことを、サイクリストたちはそんなことを考えることなど到底できやしなかった。だがシクロクロス・ペデストルという競技はまさにそれを満たすものなのだ。」この言葉は、ツール・ド・フランスを構想したゲオ・ルフェーブルが1902年に発したものです。

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ジャン・ロビック(Jean Robic、1921年6月10日-1980年10月6日)(c)wikipedia.org

 

1950年、パリ郊外近くのシャラントン・ル・ポンでフランス人ジャン・ロビックは今日では知られることのないパフォーマンスを発揮します。ツール・ド・フランスを制してから3年後、彼は最初のシクロクロス世界選手権の優勝者としてもその名を歴史に残したのでした。

第二次大戦の傷跡もようやく癒え始めた1950年、そしてそれからはヨーロッパは『栄光の30年』と呼ばれる経済・文化的活況の時代へと入っていきます。シクロクロス世界選手権は、そんなヨーロッパの栄華の時代と歩みを共にして開催され、今日に至るまでヨーロッパ色の強い競技です。

先鞭をつけたフランス

1959年まではフランス人が「彼らの」競技で優勝を重ねています。1954年から58年の間に5勝を収めたアンドレ・デュフレスは、レイモン・プリドール(今日ではマチュー・ファンデルポールのお祖父さんの方が通りがよいでしょうか?)と同じリムーザン地方の出身。今日でも地域では有名人ということです。

1950年代、シクロクロスはそのアトラクション性もあって大衆に多く受け入れられました。現在、マウンテンバイクチームBH-SR Suntour-KMCの監督を務めるミシェル・ウテボーは往時をこう振り返ります。「私の少年時代は、シクロクロスに関連した本を読むのがなによりの楽しみでした。毎週末、数千もの観客が集まっていて、当時の自転車ですから坂を下るのも一苦労だったと思います」

フランスで初めて開催された世界選手権は、1951年にルクセンブルク、1952年はジュネーブ(スイス)、1953年はオニャティ(スペイン)と少しずつ国境を越えて広がっていきます。現在ではベルギーは9回の開催数でトップ、ドイツとフランスが8回ずつで2番手につけています。7回のスイスとスペインがそれに続く格好の一方で、2013年のルイヴィル(アメリカ合衆国)までヨーロッパの外で開催されることはありませんでした。

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アムステルゴールドレースを走るエリック・デフラミンク(1970年)(c)wikipedia.org

 

1966年、スペインのベアサインにおけるエリック・デフラミンクの優勝は、世界選手権の新たな歴史の始まりとなりました。史上初めてのベルギー人優勝者となったばかりでなく、1973年のロンドン大会までで7勝を挙げたのです。この記録は今日に至るまで破られていません。そしてこの時代から、ベルギーの人々はシクロクロスへ情熱を傾けるようになりました。世界選手権の歴史における最強国家として、ベルギーはこれまでに27枚のアルカンシェルを獲得しており、その勢いは今なおとどまるところを知りません。

1996年にはパリ近郊のモンルイユ(今日では蚤の市で有名な町)で初めてU23カテゴリーが開催され、フランス人ミゲル・マルティネスが優勝。2000年には女子カテゴリーが加わり、ドイツ人ハンカ・クプフェルナーゲルが記念すべき初代女王に輝きました。そしてこの週末のゾルダーでは、女子U23が新規追加。あらゆる選手が年齢ごとのレースで世界の舞台で戦えるようになります。

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2000年創設の女子カテゴリーで初代世界チャンピオンとなったハンカ・クプフェルナーゲル(ドイツ)写真は4度目の世界タイトルを獲得した2008年トレヴィーゾ大会 (c)Yufta Omata

 

初開催から66年、14カ国で開催されてきたシクロクロス世界選手権はまだまだヨーロッパのスポーツという側面が強いものです。今後はサイクリングのグローバル化に伴い、各国から選手が参加し競技レベルが向上することで、その歴史はより厚みと重みを増していくことでしょう。世界選手権を招致するまでに至ったアメリカや、およそ25年選手を世界選手権へ送り込んできた日本は、シクロクロス新時代を象徴する国として今後も活躍が期待されます。

シクロクロス大国ベルギーと日本

今年も日本代表チームは世界選手権の一週間前からヨーロッパ入りして調整を行っています。1月23日・24日に開催されたワールドカップ最終戦オランダ・ホーヘルハイデを走り、いよいよ世界選手権へ臨むばかりとなりました。世界の壁は高くそこにありますが、もっとも高い頂きは大国ベルギー。ベルギーの国内選手権は実質の世界選手権だとまことしやかに囁かれることもあるほどの選手層を誇ります。2012年大会では上位7名がすべてベルギー人だったことも! 開催国のプライドがかかる今大会もその厚い選手層は変わりません。

大国ベルギーと日本、なぜにそこまでの差があるのでしょうか。それを解き明かすには歴史的、文化的、さらには科学的、実証的な視点を複合的に取り入れないと到底語ることはできそうにありません。それはまたいつかの機会を待つとして今回は、ひとつの興味深いデータを参考に取り上げてみたいと思います。

それはシクロクロス大国と呼ばれるベルギーと、日本のシクロクロス競技人口の違いです。今日ではシクロクロスレースの数も増えた日本は、順調にその競技人口を増やしていると思いますが、ここでは世界選手権に直結しているという意味で国内選手権に的を絞って注目します。筆者も参加した2015年のシクロクロス全日本選手権男子エリートは、参加95名の大所帯。後方に並んだスタートラインからトップ選手の位置する最前列までのなんと遠いこと……。

一方、先の1月10日に開催されたベルギーの国内選手権。エリートのスタートラインに並んだのは46名。映像で見ても選手の数が少なく感じるほど。ただこれは、ベルギーの選りすぐりの選手46名がスタートを切ったということが、他のカテゴリーを見てみるとわかります。

エリートのすぐ下に位置する男子U23カテゴリー。全日本選手権の参加者数は10名。対してベルギーでは48名。この差もさることながら、18歳以下のジュニアカテゴリーでは、全日本選手権10名に対し、ベルギーでは67名! さらにベルギーの国内選手権には2000年生まれ(16歳)と2001年生まれ(15歳)だけのカテゴリーがあり、それぞれ50名と45名の参加を数えることができます。圧倒的に若年層のシクロクロス競技者が多いことが窺えます。

本来であればなぜベルギーはこれだけの若年層がシクロクロスレースを行っているかへ立ち入りたいところですが、紙幅の都合上今回は単純に人数の比較に留めておかせてください。いずれにしても、10代中盤から強烈な勝ち上がりを経てU23、そしてエリートカテゴリーへ進む選手が高いレベルで淘汰されていっていることは間違いないでしょう。実際、エリートの46名を見てみれば、上位のほとんどがワールドカップで活躍する世界トップレベルの選手。世界レベルで争うその前に、幼少期から熾烈な国内での争いを経て生き残った精鋭たちだけとすれば、参加人数が少ないのも合点がいくというもの。

日本でのシクロクロス

日本でもほとんどのシクロクロスレースにキッズレースが併催されています。それが競技に直接結びつかなくても、シクロクロスというスポーツに触れるための機会として意義のあることです。親に連れられて走った少年少女が、真剣に競技をしたいと志すきっかけづくり、そしてその志を追求できる道筋がちゃんとあるかどうかが、今後の競技レベル向上においては大切なのではないでしょうか。その意味で、近年の日本における参加して楽しいシクロクロスイベントの増加や会場の親密な雰囲気は、両親・キッズともにトップレベルの選手たちの走りを目の当たりにして驚嘆する機会を増やしています。彼らが世界に挑むとあれば、身内のような気持ちで応援するスタンスになるのも自然なこと。キッズライダーは憧れをもってトップレーサーを眺めることでしょう。そんな若いライダーたちが切磋琢磨できる場づくりが、国としての競技レベル向上のためのひとつの施策としてレースオーガナイザーに期待されます。


※参考文献「Championnats du Monde Cyclo-cross UCI : De Paris à Heusden-Zolder, 66 ans d’histoire」

(後編へ続く)

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