2016年11月08日
瀬戸圭祐の 「快適自転車ライフ宣言」 2-4)あちこち行きたい!自転車ツーリングの魅力
第2章:ハマるとヤバい?自転車の魅力! その4 あちこち行きたい!自転車ツーリングの魅力
人類はアフリカで発祥以降100万年以上前に移動を開始した。そしてユーラシア大陸を横断し、極寒のシベリアからベーリング海峡を越え、アメリカ大陸に渡り南米大陸の端まで大移動をしたのである。これは先には何があるのだろう?どこまで行けるのだろう?と言った好奇心が原動力となっている。そしてそれは我々のDNAの中にも刻み込まれているのである。自転車はこの好奇心を満たしてくれるのにとても効率的な乗り物だ。自転車でのツーリングはDNAに深く刻まれた好奇心を引き出し、それを楽しみに変えていく。更にはDNAの中にある自分のポテンシャルにも気づかせてくれる。
移動中も常に風景や街並み、景観を眺められ好奇心を刺激し続けられる。電車やクルマなどではつい眠ってしまうこともあるが、移動そのものを楽しめる自転車ではそんなことはあり得ない。無理をする必要は全く無い。頑張らなくても頑張っても構わない、自分の気に入ったスタイルで、風景や走りそのものを無理のないペースで楽しめば良いのだ。楽しんだ者が勝ちなのである。
自転車のスピード、移動距離だからこそ感じられるものがある。四季に富んだ日本はツーリングにもってこいだ
ツーリングは自由な旅である。ここを通過せねばならないといった決め事もなければ、どこからどこまでがツーリングコースであるといった取り決めも無い。お勧めの人気コースはたくさんあるが、そのルートの一部だけでも、他のルートを組み合わせても、途中で戻ろうとも全部走ろうとも自由であり、何時でも何回走っても構わない。自分の走りたいように好きに楽しめる自由がある。もちろん交通ルールやマナーを守ることは当然であり、社会的な常識を遵守しながらの大人の遊びでもある。誰に助けを求めるのでなく自分の力だけで好きなだけ楽しめばいい。気持ちよく乗っているうちに周りの空間が自分のものになってくるような感じを覚える。クルマや人のいない場所を走っているとその場を借り切って独占しているような贅沢な気分にもなってくる。
自然や街や景色を楽しむにも、クルマでは速すぎて、徒歩では遅すぎるかもしれないが、自転車ならば疲れない程度の気ままなマイペース、人間にとって最も適切なスピードで進める。無理せずシンプルに速すぎず遅すぎず、楽しみながら進むことのできる自転車は、人生を楽しむ大切さを気付かせてくれるかもしれない。
初めてツーリングに出かけるにはいろいろな不安もあるだろう。例えば峠を越えられるだろうかとか、下りではブレーキが使えなくなってしまわないかとか、体力やメカニック、天候といった不安要因があるのは初めての場合には当然のことだ。もちろん事前に本を読んだりネットや人から情報収集をすれば多少の不安は軽減するだろう。しかし結局は走ってみないとわからない。とにかく家の周辺だけでも5キロでも10キロでも走ってみよう。走り出すまでは不安でも走り出せばいろいろとわかってくる。実行はどんな能書きにも勝るのである。きっちりと計画を立てなくても構わない。近所の公園まで走って行くのだって、本人のスタンスや考え方によってはツーリングと言えるのだ。自転車通勤だって楽しめば毎日がツーリングなのである。
まずは家の周辺を走ってみよう。きっと新しい発見に出会えるはずだ
ツーリングは自分らしさを発揮することによって作られていく。ある意味自分の人間性を見つめることにも繋がる旅でもある。普段の生活の様々な制約や束縛、ストレスから解放されて自由に自分の世界を作っていくことはとても人間的な喜びがある。大まかに目的地を定めておいてあちこち寄り道しながらぶらぶらと散歩をするように、気ままに旅を組み立てて行けば良い。目的や行き先を途中で変更しても構わない。積み木遊びをするような感覚で走るのが心地よいのである。自分で作り上げて行く自由と充実感は、他のスポーツではなかなか味わえないかもしれない。
一方、目的を明確に定めても構わない。テーマを決めて寺社めぐりだとか、水辺の散歩だとか、食べ歩きだとかでもOKだし、距離や標高にチャレンジするのも自由である。5キロしか走ったことのない人が、10キロも30キロも通り越していきなり50キロを走れたりすることもある。但し、無理をする必要はない。体力や気力は人それぞれであり全てに個人差がある。距離にしても1日30キロが限界の人もいれば300キロ走れる人もいるのだ。級や段位があるスポーツでないので、一歩ずつ確実なステップを踏まなくても、一気にいろんなことが楽しめてしまう可能性があるのもツーリングの魅力のひとつだ。
自分を見つめ直すきかっけになるような景色にも出会えるだろう
もちろんハプニングはつきものだ。アクシデントやトラブルがあってもそれを新鮮な体験としてポジティブに考えれば楽しいし、良い思い出や経験になる。ハプニングが多いほど様々な経験ができるのである。クルマやバイクと違って自転車には随意性がある。いざとなったら押しも担ぎもできるし、分解して運搬も可能なのである。一方通行規制もほとんど除外され、その場で方向転換も大丈夫。大きな駐車スペースは不要、燃料切れの心配も無い。自分で直せないトラブルでもサイクルショップがあればそこまで持って行けるかもしれないし、ガソリンスタンドでもメカニックに詳しい人がいる場合も多く、工具があるので対処してくれることもある。遠慮せずにいろんな人に尋ねてみよう。ツーリングは常にカッコ良く美しくある必要はない。自然体で肩の力を抜いて、ありのままの状態で進むことが自分の旅を組み立てて行くこととなるのだ。
途中で階段が現れたって大丈夫。自転車なら担いで前に進める
ツーリングは、これができなければ次に進めないというものではない。階級も格付けも権威もないのだ。競技と呼ばれるスポーツやほとんどの球技などは勝敗やタイム、スコアや技術を競い一人一人それぞれにレベルやランクがあるのかもしれない。しかしそれは階級社会や会社組織のように個々の能力やリザルトがヒエラルキーを生んで、新参者には少し居心地が良くない一面があるようにも思える。ツーリングは一人でも楽しめるし、たとえ初心者でもベテランでも同じフィールドで一緒に楽しめる。もちろん個々人の体力や経験の差はあるがそれはヒエラルキーに繋がるものではない。競技ではないので距離や標高差をどれだけ稼いだかとかタイムや難易度はあまり意味がない。どれだけ自分が楽しめたか、満足できたかが最も大切なのである。
誰とでも、どこへでも、行きたいところに行き、走りたいように走ればそれでいい。気軽にツーリングに出かけてみよう。走ってみてまた走りたいと思えれば、次はどこに行こうと考えるだけでワクワクしてくる。行きたい所へのイメージが膨らんで想像しているだけでもウキウキするだろう。そしてその先には無限のフィールドと楽しみが広がっている。美しい景色、文化や歴史、出会いと人情、仲間との一体感、峠の征服感、随所に自分の足跡をつけていく喜び、満足感と達成感、自転車の旅はそういったさまざまな感動に満ちている。
「この先に何があるのだろう」そんなワクワクを自転車は与えてくれる
一方、自由なツーリングであるが、何でも自分の責任だから好き勝手にやって良いというのは大きな間違いである。マナーや交通ルールを守るのは当然の義務である。万が一、事故を起こしたり、起こされたりしても多大な迷惑が多くの人にかかり、悲しませることにもなりかねない。犠牲は自分の身体や命だけではないのだ。どんな場合でも自分と周囲の安全を確認し、無理をせずにリスクマネージメントをしっかりすることが必要である。身体のマネージメントも重要だ。体調が悪ければ無理をせず引き返すことも諦めることも大切である。身体を大事にしなければツーリングはできないのだ。
ツーリングは好奇心と意欲さえあれば誰でもできる。動機は何でも構わない。紅葉や桜などを見に行く、名所旧跡を訪ねる、景色や自然を楽しむ、美味しいものを食べに行く、走った後のビールを爽快に飲みたい、仲間との友好を深める、もちろん距離や標高を目的にするのもいいだろう。最大の目的は楽しむことであり楽しみ方は人それぞれだ。その結果がどうあれ必ず思い出となり、続ける事で経験の厚みが増して行き、人生の財産となっていくのだ。
(瀬戸圭祐さんの「快適自転車ライフ宣言」は隔週火曜日掲載です。次回は11月22日に公開予定です。お楽しみに!)
瀬戸圭祐の「快適自転車ライフ宣言」
第2章 ハマるとヤバい?自転車の魅力!
<項目>(予定)
4)あちこち行きたい!自転車ツーリングの魅力
5)Mの世界?パスハンティングの快感
6)百花繚乱!イベントは選り取り見取り
7)自転車ナルシスト!自分だけの自転車に心酔する
8)仲間が増える!自転車コミュニティ
著者プロフィール
瀬戸圭祐せと けいすけ
中学/⾼校時代に⽇本全国を⾛破し、その後、ロッキー、アルプス、⻄ヒマラヤ/カラコルム、ヒンズークシュ、北極圏スカンジナビアなど世界の⼤⼭脈を⾃転⾞で単独縦断⾛破。 ⼗数年ジテツウを続けており、週末はツーリングや⾃転⾞イベントなどを企画実施。 ⾃転⾞の魅⼒や楽しみを著書やメディアへの掲載、市⺠⼤学での講座、講演やSNSなどで発信し続けており、「より良い⾃転⾞社会」に向けての活動をライフワークとしている。 NPO法⼈ ⾃転⾞活⽤推進研究会 理事、(⼀社)グッド・チャリズム宣⾔プロジェクト理事のほか、 (⼀財)⽇本⾃転⾞普及協会 事業評価委員、丸の内朝⼤学「快適⾃転⾞ライフクラス」講師、環境省「環境に優しい⾃転⾞の活⽤⽅策検討会」検討員などを歴任。