2018年02月21日
そのブランドに歴史あり! サイクルペディア ~ LOOK・前編 ~
ロードバイクにはフレームに始まり、パーツ、アクセサリー、ウエアなど様々なアイテムがあり、それぞれに個性的なブランドが数多く存在する。しかし、そのブランドの成り立ちや特徴は今さら聞く機会も少なく、いったいどれを選べばいいのか悩んでいるサイクリストも多いはず。そんな声にこたえるため、各ブランドの誕生秘話や特徴、開発やマーケティングに携わるスタッフの思いを聞いてみた。
今回はビンディングペダル、カーボンフレームのパイオニアとして知られるフランスのルック(LOOK)。革新的なテクノロジーやデザインを世に送り出すサイクリスト憧れのブランドのひとつだ。
話を聞いた人
岡部秀克さん
ユーロスポーツインテグレーション 専務取締役
高校時代からスポーツ自転車、ランドナーの魅力にはまり、ブリヂストンサイクル、輸入代理店を経て、2002年にルックの日本輸入総代理店ユーロスポーツインテグレーションの設立に参画。上りが好きな熱心なサイクリストであり、長年自転車に携わってきた経験から試乗車のメンテナンスも自らこなす。現在の愛車はスーパークライミングバイクと称されるニューモデルのルック785。
<1>ビンディングペダル、フルカーボンフレームで鮮烈なツール・デビュー
自転車の世界に登場してから約30年と、決して老舗とは言えないルックだが、これまで生み出してきた製品やテクノロジーはレースでの伝説的な活躍とともに、世界中のサイクリストから尊敬と憧れの視線を向けられている。
1951年にスキーのビンディングメーカーとして創業したルック。その技術を応用して1984年に発表したのが、ビンディングペダルの元祖ともいえる「PP65」(トップ写真)だ。シューズとペダルをストラップで固定するトゥークリップ付きのペダルがまだ主流だった当時、ルックはシューズのステップイン、ステップアウトの動作で脱着できる機構を開発。当時はオートマチックペダルと呼ばれていた画期的なシステムで、現在のビンディングペダルに通ずるルックの先進性を示すテクノロジーである。
このペダルは翌1985年、自転車界に大きなインパクトを与えた。この年のツール・ド・フランスでは、ヒザの故障からの完全復活を目指していたフランスの英雄ベルナール・イノーにのみこの「PP65」が供給され、史上最多タイ5度目のツール総合優勝を勝ち取ったのだ。
ちなみに、この「PP65」でも使用できるクリート「デルタクリート」は現在でも販売されており、今でも愛用者がいるというから、いかに先進的なテクノロジーかわかるというものだ。
続く1986年、ルックは再び大きなインパクトを残す。この年、TVT社との技術提携によりフロントフォークまでカーボン製のフルカーボンフレーム「KG86」でツールに参戦。これを駆ったイノーと若きチームメイト、グレッグ・レモンが歴史に残る争いを繰り広げ、レモンが総合優勝、イノーが総合2位に入った。
なお、これがカーボンフレームによる初のツール制覇で、ルックの歴史の中でも唯一のツール総合優勝となっている。
ツールでフルカーボンフレーム「KG86」を駆るベルナール・イノー
<2>レーシングバイクとしての誇り
1988年には、カーボンフレームの単独開発をスタート。90年代前半には自転車部門がスキー部門から独立してルックサイクルとなり、さらに革新的なモデルを打ち出していく。1990年には日本人で初めてジロ・デ・イタリアに出場した市川雅敏さんが「KG96」を駆って、日本人グランツール歴代最高位の総合50位に入っている。
このころからトラックレース用バイクの開発にも力を入れ、モノコックフレーム、ヒンジヘッドを採用した「KG196」をリリース。そのデザインは今見ても古さを感じさせず、ヒンジヘッドの機構は2016年のリオ五輪に登場した「R96」とも大きく変わっていない。ルックはフランス代表チームのスポンサーを長年務め、トラック種目では1996年アトランタ五輪を皮切りに世界選手権や五輪で数々のメダルを獲得し、多くの世界チャンピオンを生み出してきた。
日本代表がアテネ五輪でチームスプリント銀メダルに輝いたときに使用していたのも、ルックのフレーム。今季トラックワールドカップなどで活躍している日本代表選手の中にもルックを愛用している選手もいる。
これらの開発には、フランス・ヌヴェール地方のルック本社の近くにある旧F1サーキット、マニクールの風洞施設が使われている。床面にムービングベルトを採用したこの風洞は、ホイールの回転も再現でき、より実走に近いデータが得られるのだ。
「F1マシンと同じく、ルックのバイクはチャンピオンを勝たせる使命のもとに開発されていると言えます」と岡部さん。
ロードレースでも、ツール・ド・フランスで山岳賞、ポイント賞、ステージ優勝を積み重ねてきた。2015年からフォルトゥネオ・サムシック(当時のチーム名は、ブルターニュ・セシェ)にフレームを供給。ルックと縁の深いベルナール・イノーの出身地であるフランス・ブルターニュを本拠地とするチームである。2018年は同じくブルターニュ出身で、昨年のツールで山岳賞を獲得したワレン・バルギルが加入した。
「ルックは他と比べると小さな会社ですが、1986年以来30年以上連続で毎年ツールに出ている数少ないブランドです。今年はバルギルが総合上位を狙いに行くと思います」と、岡部さんもルックが再びツールで躍動する姿に期待している。
ヒンジヘッド構造を採用し、アテネ五輪で日本チームにチームスプリント銀メダルをもたらした「496」
<3>流行を作ってきた名車たち
2000年代に入ると、プロダクトマネージャーのフレデリック・キャロン氏がルックに入社。2003年にリリースした「486」以降、現在まで約15年に渡りすべてのモデルの開発の総指揮を執り、数々の独創的なバイクを生み出してきた。2004年にフラッグシップモデルとして発表された「585」は、従来のアルミラグに代わり、初めてカーボンラグを実用化。さらにテーパードコラムやカーボンドロップアウトなど、今や当たり前となったテクノロジーをいち早く組み込んでいる。
2006年には、インテグラルシートポストを採用した「595」が登場。2010年に発表された「695」はインナーラグ構造のフレームに、カーボン中空構造で一体成型されたZED2クランクを装着して、注目を集めた。2012年にはトップチューブとステムが一直線になった一角獣スタイルと呼ばれる「675」が登場し、サイクリストたちの度肝を抜いた。これらのモデルが、現代のフラッグシップ「785」シリーズ、「795」シリーズへと進化していく。
キャロン氏について、岡部さんは「才能も情熱もあるし、自転車で走っても速い。かつてはルックのアパレルのモデルも務めていたこともあります。まさにルックを代表する顔で、すべての自転車の元となるアイデアを出している。彼をはじめルックのスタッフは流行に左右されず、逆に流行を作っていこうという気概がありますね」と評する。
ルックのバイクを生産するのは、チュニジアの自社工場と台湾の提携工場。特に上位モデルを生産するチュニジア工場は、フランスから飛行機で日帰りできる距離にあり、本社スタッフとのコミュニケーションも密。現地スタッフも、ルックの一員であるという誇りを持って仕事をしている。
生産クオリティにも妥協のないルックは、本社で金型を製作し、量産する技術を確立してから、海外工場で生産ラインを稼働させるという。本社で作れないものは、海外でも作らないという考えだ。2016年9月には、イタリア人のフレデリーコ・ムージ氏が新たにCEOに就任。自転車に対する情熱も高く、今後ルックにどのような新たしい風を吹かせるか楽しみなところだ。
現在もルックのバイク開発の中心に立つプロダクトマネージャーのフレデリック・キャロン氏が最初に手がけた「486」
ロードバイクとしては、初めて一角獣スタイルを採用した「675」
後編では、ルックの魅力にさらに迫っていく。
LOOK HP : http://www.eurosports.co.jp/
(写真/ユーロスポーツインテグレーション、編集部)
著者プロフィール
光石 達哉みついし たつや
スポーツライターとしてモータースポーツ、プロ野球、自転車などを取材してきた。ロードバイク歴は約9年。たまにヒルクライムも走るけど、実力は並以下。最近は、いくら走っても体重が減らないのが悩み。佐賀県出身のミッドフォー(40代半ば)。