2023年09月12日
三船雅彦のパリ〜ブレスト〜パリ 4度目の挑戦で掴んだものは(後編)
機材レギュレーションの変更もあり、苦戦を強いられた三船さんは、どのような想いでフィニッシュラインを越えたのでしょうか。後編をお届けます。
前編はこちら
三船雅彦さんは中学の頃から自転車競技をはじめ、高校卒業と同時にオランダへ渡航。現地のクラブチームに所属し25歳でプロへ。プロになってからはベルギーに拠点を移し、95年から96年まではイギリスのプロチーム、そして97年から2002年までベルギーのプロチームで活動。その間ツールデフランドル2回出場やリエージュ・バストーニュ・リエージュ3回出場などを経験し2003年より日本に戻り2008年でキャリアを終えた。
近代化した先頭争いの走り
先頭で走り出したものが基準位置となるのだが、DHバーを装着していると基準位置が遠くなり追いつくのにスピード差もあり消耗する。15年の時はプロのレースの小便タイムのように、そこはペース上げちゃダメなところ! という紳士協定の雰囲気があったが、いまは違う。郊外に出てみるとテールライトがはるか遠い。まずこのスタイルはフランス式じゃないな、と直感。そして後ろからやってくるグループに合流し、しばらくへばりつくようにして先頭復帰。そして遅い時間があまりなく集団は動いていく。
フージェールのチェックポイントの時、さっさと郊外に出て小便タイム。しかしこれですら復帰できるのか??という流れ。そしてこの時後ろから来た大きなライダーがDHバーで爆走してきたので死に物狂いで食らいつく。彼も焦っていたのかそのまま闇でコントラストが見えていなかった歩道の段差に勢いよく突っ込み、カーボンホイールであろう前輪が激しい音とともに割れてバースト!と理解した瞬間、その後ろにいた自分も歩道に乗り上げて前輪から“バキッ”という音が響いた。
確認したいが止まると二度と先頭には戻れなさそうだし、今はまず追いつくまで我慢。ホイールよ耐えてくれ・・・と祈りながら走る。
ここから規則正しく先頭交代でもしてくれれば、先頭に出た時に“しれっとペースを落としていってやろう”、と思ったが、なぜかみんな積極的に先頭へと出ていく。
タンティニアックのチェックポイントのあと集団から数人抜け出した。チェックポイントの後のペースの速さに半分以上が置いて行かれた。逆に言うと何人かは「意図的に」チェックポイントでペースアップをしていたということだ。
チェックポイントで待機していた浅田さんの話によると、先頭を狙っていたサポートチームの中には、どこでどう待機するかをすでに事前に下見を終えていたり、車2台体制で飛び石でサポートを行っている、あとはグループの隊長のようなポジションの人が一人一人にどういう動きをするのか命令を出していたというようなチームがいたと。
アメリカのシアトルのクラブなども組織的なサポートで、チェックポイントにいると“その殺伐とした空気が怖かったです”、と語っていた。
DHバーといい、PBPの先頭狙いはもう中世の戦争ではなく、いつの間にか大きく近代化してしまっているようだ。
若干追走グループのペースが落ちたなぁと思って走っていると、背後から光の塊が近づいてくる。B組の先頭グループだ。
彼らからすればA組に追いつけば最終タイムはマイナス15分。時間で見ると「勝ち」だ。
そして400km地点、あまりの速さと暑さからか補給食をしっかりと摂れていなかった反動でハンガーノックに。
今回スタート前から少し体調不良で、ほとんど気合いで走っていたがハンガーノックで千切れた瞬間に実は身体の中にエネルギーも体力も余力がないことに気づいた。ここまでは集中しすぎてまったく見えていなかっただけなのだろう。
皮肉にも感じるほどきれいな星空の中をスピードの上がらない脚で前へと進んでいく。
先頭を狙ってここにやってきたのに先頭争いから脱落した。この事実はますます身体からエネルギーを吸い取っていった。
ふと前輪の状況も気になる。振れは出ている。もし走行中にリムが破断したら大怪我の可能性大だろう。そんなことを考えているうちに、次のチェックポイント、ルディアックでDNFすることを考える。完走することに意味を感じない。
しかしチェックポイントに着いて同じように疲れているのに頑張っているスタッフを見ているとやめることも考えさせられてしまう。
とりあえずスピードは出ないが、このまま走ろう。
朝になりブルターニュの丘陵地帯が姿を現す。もしただ走るだけだったら最高に良い景色だ。寒暖差で霧が出ているが幻想的な景色だ。だが今の気分はそんなのどうでもいい。ハンガーノックで完全に身体は壊れていて、食べてもスピードは出ないし、今はこのままフィニッシュのランブイエを目指すが、どうせならランブイエもオレの方に歩み寄ってくれれば早くサドルから降りることが出来るのに、と。
リタイヤが頭をよぎるも……
おそらく先頭からは7時間近く遅れてブレストの町へ。半分走ったしやめるなら今かなぁ、と思いつつ食べているともう少し走るか、という気持ちになってくる。
しかし今年のフランスは暑い。日本のようにコンビニなどで氷や冷たいドリンクが手に入るなら暑くても気にならないが、フランスで氷をゲットするのは至難の業。そんなこともあるかも、とボトルはポーラーの保冷ボトルにしたので走行中にホットウォーターになることはなかった。しかし氷は必須だ。
復路のルディアックで2回目のナイトライドへ。ペースは上がらないが上がらないなりに淡々と走れている。まだ睡魔は大丈夫か、と走り出すがタンティニアックまでの85kmは長い。半分を過ぎたところでやっぱり眠いなと小さな町でバス停を発見しベンチで仮眠。15分ほど寝る。少しスッキリしてタンティニアックに到着し、ベンチで30分仮眠した。
先頭で集中していればきついなりにも耐えられるのだが、今は耐えようという緊迫感が身体にない。こういう時は寝るほうがいい。
落車、そしてメカトラブルと不運が続く
ヴィランラジュヘルを出発し残りは200km。ここで走行中突然意識が飛んで落車。
右ひざ横を結構深く切り、これは多分縫合手術だな、と。そして右の額も切れているのか血が出ている。そして一番のダメージはリアの変速機が動かなくなっていた。
多分だが、今までの経験で言うと起床してから53時間ぐらいが幻覚を見つつもぎりぎり自分を持ち続けられる時間。それ以上は人間である以上無理だ。今回予定では44時間以内に終わる想定で動いていたが、もうこの時点でほぼその時間に達している。体力を思った以上に消耗しアドレナリンでカバーできる位置で走っていないことも原因なのだろう。
残り150kmほど、変速機なしかぁ・・・無理だなここでDNFしよう。そう思ったがフィニッシュに戻る手段もない。いずれにしてもサポートチームの待つモルターニュ・オゥ・ペルシュへと進んでいく。
血を流しているし、何よりも上りで変速せずに上っているから目立って仕方がない。チェックポイントの救護スペースで傷口の消毒をしてガーゼをもらう。残り120km。そう考えると変速機無しでも進めそうだ。ネガティブな自分と、そしてポジティブな自分。
変速機がないぐらい、今までもっときついこともあったはず。昔の選手はシングルスピードも普通じゃないか!と。
さらにスピードは落ちるが進むことにする。
ダメ押しのパンク。満身創痍でフィニッシュへ
そして最終チェックポイントのドルーでは3回のナイトライドへ。そしてチェックポイントに到着した際に後輪パンク。
リノがパンク修理をしてくれてスタートしたが、数kmで再度パンク。異物が除去されていないか・・・予備チューブは1本のみ。もしこれで失敗したら・・・。
街の照明が明るい箇所を見つけてパンク修理。指でなぞるも異物がない。これは危険だ。何度も何度も入念に見ると、指を押し付けないとわからないぐらい小さな異物。これしか考えられない。天に祈る気持ちで空気を入れて装着。もうここまで来たら残り35km、パンクしてでもゆっくり走るしかない。
残り20kmになってから地獄だった。頭は完全に思考能力がおかしくなり、何度も幻覚の世界に。幻覚が見えるというよりも勝手に物事を決めていっておかしい。
「あ、この家は知り合いの家だし挨拶していこう」
「この道は間違っている。Uターンしたほうがいい」
「もうフィニッシュせずにこのままホテルを目指してホテルで寝てもどうせ完走と同じだからまずはホテルだ」
「主催者はルートを間違っている。ここから先、ルートはオレが考える」
本当にこんなことを考えてUターンしたり立ち止まったり。
その都度「いやいや、おかしいのはオレだ。もう一人のオレだ。頑張れオレ!あと20kmを切った」と自分を鼓舞するも1㎞も走るとふたたび前後不覚な状態だった。
そしてよくわからないうちに気がついたらフィニッシュだった。
57時間25分。想定よりも半日以上遅い。振り返れば、よくこんな身体の状態で完走できたな、と。しかしそれは現地で助けてくれたリノにザビエ、そして浅田さんのおかげで、そして日本からたくさんの励ましがあったからだ。自分一人の力じゃ完走はしていないだろう。
先頭を狙って走った今回、正直なところこの完走に意味があるのはまだわからない。きっとその答えが出てくるのはこれからずっと先の事なのかもしれない。
今回のPBPで先頭争いは引退しようと決めていた。完走をしたときもその重圧から解放された気がした。
しかしやっぱり悔しいものは悔しい。
そう言えば前回大会、先頭でフィニッシュしたコーケンは56才。ウルトラディスタンスでのファストランは若さだけではない。今までの経験、成熟した能力、とりわけ人生経験は走りにプラスに作用しているように思っている。
今自分に足りないのは、きっと人生経験なのだろう。
文:三船雅彦 トビラ写真:小俣雄風太
著者プロフィール
ファンライド編集部ふぁんらいど へんしゅうぶ
FUNRiDEでの情報発信、WEEKLY FUNRiDE(メールマガジン)の配信、Mt.富士ヒルクライムをはじめとしたファンライドイベントへの企画協力など幅広く活動中。もちろん編集部員は全員根っからのサイクリスト。