2025年03月10日
『ドイ・インタノン・チャレンジ 2025』タイ最高峰のヒルクライムレース 参戦レポート

2025年1月から2月にかけて、筆者は東南アジアのタイに2ヶ月滞在し、未知のヒルクライムコースとの出会いと、感動を求めて、ひとりタイ北部〜東部を走り回っていた。
その中でも、これ以上ないであろう最高の登坂との出会いがあった。その名は『プータップブーク(Phu Thab Boek)』。大スケールのコースプロフィールと圧巻の景色。恵まれた天候の中で、コンディションも良く、最高のクライミングができた。
私のタイでの滞在は、この日がピークに思えた。これ以上の登坂と出会うことは考えられなかった。
その晩、一つのメッセージが届いた。
「やぁ直人、今日のクライミングは信じられないような速さだったね。本当に信じられない。
いつまでタイにいる予定かな? 2月16日に開催されるドイ・インタノンチャレンジに、俺と、俺のチームと一緒に行かないか?」
元々プータップブークのKOMを保持していたJoel(以下:ジョー)からの連絡だった。2022年にプータップブークのレースで優勝したジョーのタイムより、私のこの日のアタックは3分近く速かった。
私の帰国便はこのレースの二日後。この旅のピークを過ぎた。そう思った直後に、新たな目標が目の前に現れた。
レースの舞台となる「 Doi Inthanon (ドイ・インタノン)」はタイの最高峰。標高2565 mの山頂まで舗装路が伸びている。タイ各地で開催されているヒルクライムレースの中でも、圧倒的ナンバーワンの規模と格を誇る。
昨年、私はこのコースを単独で上った。距離46 km、獲得標高2200 mを超える、もちろんタイ最大の上りで、登頂には2時間以上を要した。まさか2年連続でこの登坂に挑むことになるとは。
ジョーのチーム「KOMKOM SPACE」はタイ代表レベルの若手選手から、インフルエンサー、アンバサダーなどが所属している華やかなチーム。普段の自転車活動は限りなく自由だというが、このレースは特別で、基本的には全メンバーが参戦するという。そんなチームの、大事なレースに私は帯同させてもらえる機会を得た。
レース前日。チェンマイ空港にタイ各地から集まるチームメンバーを迎える。選手は10人ほどで、スタッフを含めると20人以上の大所帯。アットホームな雰囲気で会話と笑顔が絶えないチームであることはすぐにわかった。スポット参戦の私のことを皆気にかけてくれて、チームの輪にすぐに溶け込むことができた。
大会当日。スタートは朝7時。夜明けが6時半過ぎのタイ。会場到着時はまだ辺りが暗く、肌寒い。ウォーミングアップで徐々に体が温まると同時に太陽が顔を出す。調子は良さそうだ。
出走人数は約1000人。完走を目指すクラスにエントリーしている人がほとんどで、レースの出走人数は約180人。このコースがいかにチャレンジングなもので、完走することに意味があるかが、良くわかる。
「3(サーム)、2(ソーン)、1(ヌーン)」タイ語のカウントダウンが進み、レースが幕を開けた。
序盤は緩斜面。このコースは何度か急勾配の本格登坂区間を挟みながら標高を上げる。クライマックスとなる最終登坂区間9 kmには、20%はあろうかという超急勾配区間を含む平均勾配10%近い激坂が待ち受ける。
選手全員が、いかに脚を溜めてこの最終区間で勝負するか。ここに意識が向く。序盤からアタックを繰り返す血の気の荒い選手もいるが、「良くやるな」そんな感想を持って見送っていた。
しかし、この勇気を持ったアタックが後々に、私を含む後方待機のメイン集団の焦りを生むこととなった。
体力の「温存」が頭にあるメイン集団のペースは上がらない。10人ほどの逃げ集団の姿はあっという間に見えなくなった。スタートから1時間ほど、レース中盤を迎える頃にはその差は最大2分10秒まで広がった。
追いつけないのではないか? 集団に動揺が生まれ始めた。追走集団を作り出そうとするアタックが頻発し始めて、メイン集団の協調体制が崩れてしまい、より一層ペースが落ちる。そんな状況になってきた。
メイン集団には、優勝候補筆頭のイタリア人、マルコがいた。私は彼と、昨年台湾で一緒に走ったことがあり、その際に完全に置き去りにされていた。その記憶と、昨年単独でこの登坂に挑んだ時の最終盤の激坂の記憶。これが重なり、執拗にペースを上げたがる彼と協調するのを躊躇した。
「マルコと前を追うことで大きく消耗し、最後の激坂でピタッと脚が止まる」。これだけは避けたかった。気づけばメイン集団はわずか4人に。逃げから降ってくる選手を吸収しながら、単独で前を追う決断をしたマルコを見送った。
そして最後の9 kmに入ると完全にメイン集団は崩壊。各自が単独でフィニッシュを目指す。ドイ・インタノンの激坂と、そして自分との戦い。フィニッシュまでは約40分。
逃げから降ってくる選手を捕まえては、前に消えたマルコの姿を探す。マルコか? と思い近づいてくると、それは逃げから降ってきた選手。そんなことを何度も繰り返しながら、フィニッシュまで2 kmで、二人の選手を視界にとらえた。私は3位を走行していて、前には逃げから残った最後の選手とマルコの二人がいる。と同時に、激坂区間を終えて勾配が緩んだ。勝負は決した。
フィニッシュラインまで踏み切っての3位。最終的にトップから40秒差。追走に脚を使ったマルコはスプリントで敗れた。勇気を持って逃げた選手たちの中から生き残った最後の一人が優勝した。
一方で、追走にも十分にチャンスがあった。もし私がマルコと協調して前を追えばマルコは優勝していただろう。勇気ある逃げ集団の挑戦と、変化に富んだダイナミックなコースプロフィールがこの展開を産んだ。
今日の私に優勝する力はなかった。とても良いレースだったし、最後の最後まで自分自身と、そしてドイ・インタノンとの対話を楽しんだ。登坂にのめり込んだ素晴らしい時間だった。
表彰が終わって下山する際、まだまだたくさんの参加者が頂上を目指して奮闘していた。自転車を降りて押している人も多く見られた。そう、ドイ・インタノンは多くのサイクリストにとっては大きな挑戦の舞台。この山はそれを正面から受け止めてくれる。
フィニッシュラインに飛び込んでくるライダーたちは、順位もタイムも関係なく、一様にガッツポーズを見せる。それだけの挑戦を参加者「全員」に与えてくれるのである。
下山後は、宿泊していたホテルに併設されたレストランで、チームのアフターパーティーが開催された。食事を楽しみながら、今日のレースを振り返る。たった今、文字通り巨大な「山」を打ち破る、という共通の経験をしたメンバーたち。その絆はより深まったように思えた。
いよいよ別れの時。ジョーがいなければ、私のこの大会はなかった。チームのみんなのおかげで、かけがえのない時間を過ごすことができた。
まさかこんな素晴らしいフィナーレが待っていたなんて。自転車で旅をしていたからこそ、生まれたつながりに感謝して、私のドイ・インタノンチャレンジ、そして2ヶ月間に及ぶタイの旅は幕を閉じた。
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著者プロフィール

才田直人さいた なおと
1985年生まれ。日本中、世界中を自転車で旅しながら、その様子を発信する旅人/ライター。日本の上るべき100のヒルクライムルートを選定する『ヒルクライム日本百名登』プロジェクトを立ち上げて、精力的に旅を続ける傍ら、ヒルクライムレースやイベントにも参加している。