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2024年09月18日

令和の大震災を乗り越えて36回目の開催。ツールドのと400

能登半島をぐるっと回る3日間、総走行距離は400kmを超える長寿イベントとして知られるツールドのと400。令和6年1月1日に起こった能登半島地震の影響を受けて2024年、第36回の開催は1日間のみの開催となった。

1985年に制定された半島振興法施策の第一次指定となった能登半島。能登半島広域の自転車レース・サイクリングが発案され、1989年に第1回目のツールドのと400が開催される。当初から半島を巡る400kmのコースを3日間かけて走り、これまで多くの参加者にサイクリングの魅力を伝え続けている。


令和6年1月1日、あの地震からおよそ9ヶ月。イベント内容は今開催できる範囲の金沢市街から中能登町で折り返す141kmの1日コース、初級者でも走りきりやすい半日コースの70kmの2種目で行われた。スケジュールは8時スタートで、フィニッシュ時間は17時(1日コース)とゆとりのある制限時間で、たっぷりと能登の今を感じることができた。

5月末から募集はスタートし、8月で定員は満了。会場には732名の全国のサイクリストが集い、能登半島の復興を願って想い想いにペダルを回した。
金沢市街地を走り内灘町を抜けるあたりはこれまでのコースに大きな変更はなく、路面状況も気になることなく十分に走れる状況だった。コースレイアウトはサイクリングを楽しめる路面を選んで作られている。北上するにつれ、路面が荒れている箇所も散見されるが一方で復旧が進んでいると感じられる場面もあった。

サポートライダー・スタッフの皆さん

今回のコースは1日コース140kmと半日コース71kmの2種目。

石川県西部緑地公園がスタート会場。昨年までプロサイクリストして活躍した門田祐輔さん。2年ぶりのゲスト参加
コース沿線の住宅や施設。ここだけを切り取ると震災の影響がないように見える。ルート上は路面の被害が少ない道が選ばれていることも要因と推察できる
天候が持ち堪えたので大会名物の千里浜・なぎさドライブウェイの走行もかなった
大会豪華ゲストの皆様
一青妙さん/石井雅史さん・息子の知東さん/門田祐輔さん
大石一夫さん
筧五郎さん・うじきつよしさん/和地恵美さん/滝川陽希さん

コース沿線にお住まいのみなさんが手を振ってくれる。「頑張れ」とたくさんの温かい声をかけてくれる。厳しい残暑と目まぐるしく変わる強風で足の筋肉が痛む。ペダルを回す力を弱めたいが応援で力が入る。東日本大震災の復興イベント『ツール・ド・東北』でも同様に感じたことだったが、応援しに来たはずなのに逆に応援をされている。地域の皆さんの温かい声が染み渡る。

エイドステーションまでの距離を示したシートが役にたった
エイドステーションの提供物が走るエネルギーになる

エイドステーションはコースの15〜25km前後の間隔で設置され、疲労困憊になる前に一息つける絶妙な距離感だ。提供物は地域の特産物や、バリエーションが豊富な「ひゃくまん穀おにぎり」がふるまわれ参加者の活力に。
昼食も地元だからこそといった食材をふんだんに使ったメニューが用意されフードの満足度はこれまで通りだ。

石川県産米のひゃくまん穀を使ったおにぎりが提供された
お餅に砕いたピーナッツを包んだ内灘のおやつ「ピーナッツ餅」。素材が持つほのかな甘さが口に広がる

現在も復興が続けられていて、次回はもっと走行範囲を広げることができるだろう。異口同音に「イベントを通じて半島復興を追い続けることができ、参加し開催し続けるための原動力となる」と多くの皆さんが感じている。
一方で震災が風化することの恐れも感じている。情報を発信し続けること、イベントを通じて多くの方に共有し続けることも今後の課題という。

フィニッシュラインはゲストの皆さんでお出迎え
一青さんはフォトパネルの前で参加者の皆さんの撮影を率先して行っていた

開催に至るまで数々の困難があった。時期尚早ではないか。そんな意見が多かったという。そして大会が終わったあと、大会運営中心人物である成田加津利さんはこう言った。

大会スタート前の成田さん。緊張した面持ちか

開催に向けて強い想いと、心して準備を

「自分の心の中では1月15日くらいから、開催したいという気持ちがあった。4月下旬に開催する予定の富山湾岸サイクリングの実行委員会のメンバーが私に会いに来ました。石川県のサイクリストの心のうちみたいなものを考えると開催したときに被災者の皆さんはどう思うのかと。私は開催をしてくれるのなら全面的に協力するとお伝えした。4月の富山が開催されることで能登での開催の追い風になると考えていました」
FUNRiDEでは震災直後の2月に取材を行っているが、あの混乱の中でも成田さんには考えがあった。
「地震が起きた直後から穴水町で知人が行っている炊き出しのサポートをし続けていましたが、その理由のひとつとしてツールドのとを開催するためにどういう道をがあるのか、どうすればやる意味がでてくるのか、模索するためにも震災直後から能登に通いました。具体的には4月中旬に主催者が集まって、ツーのとやろうってことになって。富山湾岸サイクリングの特集をした『NHKチャリダー』の放送も後押しになって。ちょっと浮かれてたら、開催について苦言を呈する声なども聞こえてきました。でもそのおかげで気がついて本当に心して準備しないと大変なことになるな、と戒めになりました」。
「実際に仮設住宅に住んでいる方はそんなにウエルカムでもないし、目障りな存在であることは間違いない。それでも私はやることには意味があると思って開催しました。スタッフやゲストには強い想いを持って走ってもらいました」。

「今回開催できなかったら、ツールドのとは終わっていたと思います。開催して、みんなからありがとうと言われて染みわたりました。今までの大会打ち上げはみんな疲れ果てて盛り上がらなかったけど、今回はすごく盛り上がったよね。一番びっくりしたのはうじきさんが来てくれたこと。嬉しかったなあ。ツールドのとが元通りのコースに戻るまでが私の仕事だと思っています。その後は次のリーダーに引き継いで、家族と一緒に大会へ参加したいですね」

スペシャルゲストのうじきつよしさん

僕を通じて多くの人に伝えられたら

4月に行われた関連イベント・富山湾岸サイクリングに参加したアーティスト・タレントのうじきつよしさんは、そこでツールドのと400に関心が芽生え、今回の参加となったという。「ツールドのとには初めて参加しました。4月の富山湾岸サイクリングがきっかけになったんですけど、成田さん、スタッフの皆さん、そして一青妙さんが中心となられて富山側の氷見から走らせてもらって。富山に行くのもチャリダーのおかげで来させてもらうことができて。
そこではとにかく開催する(ツールドのと400)と。後から聞いたら具体的には多くの課題があったんだってことだったんですが。とにかく行こうと思いました。僕のSNSにも賛否が多く寄せられましたが、多くの人が知ることが大事だと思うので同時にやっぱり能登のいろんな情報がきちんと伝わっていないな、もっともっと知らなきゃ、見なきゃいけないと。走れるか、走れないかわからないけど、とにかく行こうと。最初コースは40〜50kmくらいかなと思っていたら、どんどん距離が伸びていって(笑)。140kmって。これはまずいだろう、と(笑)。なんとかズルこいて走れるかと思いましたけど、ダメでしたね」。と、うじきさん。イベント中は多くの参加と交流し、時間いっぱいをかけて完走。翌日は全身痛!と嘯いていたが、爽快な疲労感だったのでは。

「来ないとわからない。僕が来たことで一般の方よりは少しでも情報を広げられると思っています。できることはやりたい。
東日本の震災の時にもチャリダーを始めたときに東北に行こうと。どんどん東北に行って伝えていこうということをやっていったら、喜んでくれたというのもあるし、実際の映像で被災地を自転車でガンガン行くっていうのは、僕らができることかなと。できれば能登もお邪魔して、地元の人たちと話をしたりとか、楽しいしね。変な人もたくさんいたり、すぐに泣く人(成田さんを見て)がいたりとか」


あるスタッフの方はこう言う。「能登は祭りを大事にする。祭りが終わったら次の日から来年の祭りどうするって? 祭りのために365日回っているんですよ。ツールドのとも祭りなんです。だから1日間でもやるし、でも次は3日間やってほしい。成田! がんばれ。
今年一番最初に能登でやったのは宇出津の祭り。開催までにいろいろあったんですが、他の在所のみんなは、やってほしいと言った。『お前らやらなんだら、おれらできんから』って」

ツールドのと400のスタッフページのメッセージにはこうあった。「集合写真を撮り忘れていました。申し訳ありませんが2025年9月xx日6時30分西部緑地公園集合で、お願い致します」

能登はやさしや 土までも。
興味を持たれた方はこのコースを元に、サイクリングに訪れてみてはいかがでしょうか。


関連URL:ツール・ド・のと公式ページ
http://tour-de-noto.com/

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