2024年08月28日
6位の視点で見る『乗鞍ヒルクライム2024 チャンピオンクラス』
乗鞍ヒルクライム2024に参戦して6位入賞した筆者が、実際にレースの中で見たことや、ライバルたちとのやり取りを通して感じたことを、レースの記録として綴りました。
乗鞍ヒルクライム2024 チャンピオンクラス リザルト
1位 | 加藤 大貴 | COW GUMMA / 55:29.331 |
2位 | 真鍋 晃 | EMU SPEED CLUB / 56:07.847 |
3位 | 山口 瑛志 | レバンテフジ静岡 / 56:15.280 |
4位 | 田中 裕士 | 56:19.365 |
5位 | 成田 眸 | mkw / 56:24.135 |
6位 | 才田 直人 | KIZUNA cyclingteam / 56:31.985 |
7位 | 玉村 喬 | 天照CST / 56:56.753 |
8位 | 金子 宗平 | 群馬グリフィン / 57:01.452 |
9位 | 森本 誠 | GOKISO / 57:03.089 |
10位 | 中島 清志 | たて輪 / 57:06.119 |
決戦の夜明け
2024年8月25日。まだ夜も明けきらない薄暗い中、乗鞍観光センターに、たくさんのヒルクライマーたちが集結していた。
富士ヒルクライムと並ぶ、アマチュアのヒルクライムレースの最高峰である『乗鞍ヒルクライム』。日本の自転車最高標高地点である2716mをフィニッシュとする厳しいコースを舞台に繰り広げられるレースは、生粋のクライマーの目標となっている。
松本に宿泊していた私は3時過ぎに起床して、3時半頃には宿を出た。まだ真っ暗な中、国道158号線を乗鞍に向けて車を走らせる。この非日常な時間によって、いよいよレースが始まるのだな、という気持ちが高まってくる。
夜が明ける。思ったよりも空気は澄んでいる。雨予報ではあるが、レース中は天気が持ってくれるかもしれない。半袖のセパレートワンピースの上に、薄手のウインドジャケットを羽織ってウォームアップを始めたが、軽く汗ばんできて、寒さの心配はなさそうだと一安心した。
レジェンドたちの想い
午前6時20分。レース10分前からセレモニーが始まる。優勝候補や歴代優勝者がコールされて最前列に並ぶのを、矢部周作と兼松大和という二人のレジェンドと談笑しながら見守る。
過去の乗鞍ヒルクライムで、この二人は最前列にコールされるに値する活躍で大会を盛り上げてきた。コールされないのは「勝っていない」から。このレースで勝つのはそれだけ難しいということでもある。
この二人にピリピリした空気は皆無。スタート前でもリラックスして笑顔で話せるのがベテランの余裕であろう。
レーススタートと同時に、筧五郎のファーストアタック。五郎さんは先日股関節の手術をした。少しずつ体調を戻していく中での乗鞍出場であった。
五郎さんを追い越して行く選手たち。皆が五郎さんに声をかけているのが印象に残った。
「山頂で会いましょう」
私も一言声をかけた。
みんなに「頑張れよ」と返答する五郎さん。優勝経験があり、トレーニングも含めて最も乗鞍をたくさん登り、乗鞍を知り尽くしている五郎さんから、全選手が見送られる形でフィニッシュを目指す。これ以上ない美しい幕開けとなった。
直後に逃げ集団が形成された。この中に、乗鞍で最多8回の優勝を誇る、森本誠が含まれていた。森本さんは44歳。年齢に抗いながら今もTOP10に食い込んでくる。ヒルクライムレースの定石は集団待機。優勝候補が集団で様子を見ているのであれば尚更である。その中での森本さんのエスケープ。レース後に「あの逃げは乗るだろ!」と迷いなく語っていた森本さん。彼のレースは昔から変わらず、常に正々堂々のアグレッシブスタイルである。
逃げ集団は少しずつ人数を減らしながら、最後まで一人残ったのは森本さんだった。森本さんとの距離を少しずつ詰める集団。レース前半の主役は間違いなく彼だった。
レースの半分ほどを逃げた森本さん。吸収時、いくらか小さくなった集団の選手が、積極的なトライへの敬意を込めて「お疲れ様」と声をかける。そして、森本さんはこの後も集団からすぐにドロップすることなく粘り続けた。彼のフィニッシュは9位。決して無謀な逃げにトライしたのではなくて、自分の力を把握した上で、勝機を見出すための戦略であったことがよくわかる。
見え始める優勝候補の明暗
レース中盤、私は優勝候補の一人、真鍋晃と一言二言交わした。
真鍋「才田さん、オーライ?」
才田「思ったより厳しいな」
真鍋「そこはオーライって返すんですよ」
直前に体調を崩していた彼は、思ったよりだいぶ元気で、息も乱れている様子はなかった。集団の前方に上がりすぎるわけでもなく、集団内を泳いでいる。そんな位置取りからも、必死さはなく余裕が感じられる。
一方で、厳しい表情を見せはじめたのは、優勝候補の筆頭である金子宗平だった。後半に入り、断続的に現れる急勾配。ペース変化に対して、普段とは違う反応の遅さが感じられた。ヒルクライマーの中では体重があり、絶対的なパワーに優れた金子。誰もが彼と一緒にフィニッシュまで行ってしまったら、スプリントで敗れることがわかっている。つまり、全員が金子をいかにドロップさせるかを考えていたはずである。
金子は今年、プロレーサーと対等以上に渡り合い、全日本選手権TTを優勝、ロードも2位という、アマチュアレーサーとしては信じがたい好成績を残していた。実業団リーグJ Pro Tourでも個人総合リーダージャージを着用している。逆に言えば、6月末の全日本選手権に、これ以上ないピークを持ってきていたことになる。
レース後、「どうしても下降していく調子を戻せなかった。数日前に少し良い感覚を得られたから、もしかしたらと期待を持ってレースに臨んだ」と話す彼からは、ロードレースとの兼任の難しさが垣間見られた。
動き始めたレース
レース後半、厳しい勾配のアタックポイントが増えるにつれて、ペースの上げ下げが始まる。その中で、「決戦の開始」となる決定的な動きとなったのは、昨年優勝に近づきながら、足が攣って6位に沈んだ田中裕士のアタックであったと思う。他人の展開に合わせるようなことはあまりせず、自分の強みを活かした走りで積極的に展開し、相手を「力」で黙らせる走りが彼のスタイルである。
田中の抜け出しに、ディフェンディングチャンピオンの加藤大貴が反応。少し開いた差を埋めようと動く山口瑛志と、真鍋。それに続く集団。先頭集団は再び一つになり、位ヶ原山荘を通過。もう10人はいなかったと思う。いよいよ残り5kmとなった。
一瞬ペースが緩んだところから、再び開戦の口火を切ったのは玉村喬。すぐに集団が反応。私は周りの厳しそうな表情と自分の脚の残り具合から、もしかしたら3位以内を狙うことも可能かもしれない。そう思い始めていた。
各選手にとって、レースが動いたと思う瞬間は違うだろう。私にとって、それはここだった。玉村を吸収したタイミングで、インコーナーの急勾配から、このレースで初めて自分からペースを上げようと動いたところを、加藤に合わせられた。5人に絞られた瞬間であった。
優勝候補、それぞれの想い
残ったの5人は、加藤、真鍋、山口、田中、才田。そして、そのまま緩むことなくペースを上げる加藤と、それに続く真鍋。その強度にたまらず私は千切れた。ほぼ同じタイミングで、山口と田中も遅れた。やはり自分でレースを動かす力はなかった。そして金子はさらに後方で、声を上げながら苦しそうに顔を歪めて、大きく遅れていた。
優勝はない、と悟った多くの選手の中で最も失望の色が見えたのは、田中だった。一度ペダリングをやめるくらいの失速をした彼を見て、レースを止めるのではないだろうか、と思ったほどだった。それでも、すぐに彼は気持ちを立て直し、私をパスして前を追い始めた。
やると決めたらやり抜く彼が、今回は体を絞りきれず、コンディションを上げきれなかった。自分自身へのやり場のない怒りのようなものが垣間見える。葛藤の中で、優勝以外狙っていなかったはずの田中が、再び力強く一つでも順位を上げようとペダルに力を込める。
レース中、最も後ろを振り返っていたのは加藤だったと思う。振り返るたびにライバル全員から『見られている』と感じていたのではないだろうか。加藤はレース後に、「最もマークしていたのは、金子と田中。金子がきつそうなところを見て、ワンチャンスがあるかもと思った」と語った。ゴールまで一緒に行ってはならない金子が遅れ、田中の気持ちが折れたこの瞬間は、彼にとっても勝利を大きく引き寄せる瞬間であっただろう。
彼ほどの力を持っていても、これほどの危機感を持ってこのレースに臨んでいたのである。これが、トレーニングから機材まで、彼の一切の妥協のない準備につながっているのだろう。
おそらくこの局面以降は、ただただ前を向いて踏み込み続ける決心がついたはずだ。私はその場に居合わせることはできなかった。
最後の意地のぶつかり合い
少しずつ視界から消えていく加藤と真鍋。少し差が開いて、山口、田中、才田は、それぞれ5秒くらいの差で、一定間隔のまま追いつくことなく単独で登り続ける。
山口はここまで、ライバルたちのペースアップに素早く反応したり、さらにはペースを上げようとしてきた。今年、ヒルクライムの舞台に一気に頭角を表した22歳。
今大会のトップ10の中でも最年少の彼の主戦場はJ Pro Tourでのロードレース。細身で絞り切った選手が多い中で、割と体格の良い筋肉のついた体型が目立つ。
金子と同様に、ロードとヒルクライムという性質の異なるレースを兼業しながら、コンディションを作るのは、他の選手とは違った苦労があるはずだ。今後もAACAやJ Pro Tourのレースが続くという。富士ヒルに続き好走を見せた彼は、トップクライマーとしての地位を確立したと言って良いだろう。
私は、前との距離が縮まらない中、徐々に後ろから近づいてくる存在にも気がついた。成田眸だ。一度は完全に後方に消えたはずの彼の姿が、振り返るたびに大きくなる。と同時に前を走る田中の背中が少しずつ離れていく。どうやら私が失速しているようだ。
レース外で話していると落ち着いた雰囲気の成田は、レースとなると非常に粘り強い。気づけば荒い息遣いが、真後ろから聞こえて、そのまま彼に先行を許した。昨年も、彼とは最終盤で抜きつ抜かれつの展開を繰り広げて、私は敗北していた。
徐々に遠くなる成田の背中を追いながら残りは1kmを切った。これまでほとんど使っていなかったダンシングを繰り出して、5秒ほど先行を許した彼に一度並びかけたものの、残り300mで私の体力は尽きた。後ろを振り返っても、他の選手の姿はなく、成田の姿はフィニッシュ直前の左コーナーの奥へと姿を消した。順位はもう動かない。私の順位は6位。
圧巻の2連覇
最後2kmほどで独走に持ち込んだ加藤は、2位の真鍋に40秒近くの差をつけて優勝した。常に高いケイデンスでのシッティングで軽々と全てのアタックを捌いて、最後は全員を引きちぎった。終わってみれば誰も文句のつけようのない圧勝での連覇で、このレースは幕を閉じた。
上位の面々はやり切った表情を浮かべてはいるが、フィニッシュ直後からレースの振り返りや反省が始まり、次へ向けての試行錯誤がすでに始まっていた。
私にとって2回目の参戦で、初の表彰台となった今大会。2連覇を果たしたチャンピオンの安堵の混じった喜びの表情。一方で、このレースに向けての努力が「表彰台」という形に結びつきながらも勝てなかった入賞者たち。笑顔の奥に隠すことのできない悔しさ。ふとした会話や表情の端々からそれを感じ取ることができた。
トップ10のうち、6人が20代。3人が30代で、40代は森本さんのみ。若い選手の台頭が目立った今年の乗鞍ヒルクライム。来年は彼らがもうワンステップ、乗鞍のレベルを引き上げてくれるのではないだろうか。そして、経験を武器に食らいつくベテラン勢。
来年も面白い戦いになる。彼らと戦い、言葉を交わした私は自信を持って断言できる。
おまけ/乗鞍ヒルクライムに向けて
常に自転車旅を軸に生活していて、時間的な自由度も高い私の取り組みがどの程度参考になるかはわからないが、私のコンディションや練習内容についても少し触れてみようと思う。
体重に関して。私は普段全く体重計に乗らない。それは今回も同じ。体の絞れ具合は目で見て判断する。具体的な目標を置いて体重を削るのではなくて、基本的には食べたいと思ったものをしっかり食べる。必要だと思ったタイミングで、必要なものはしっかり摂取する。ただ絞りたい時はできるだけ羽目を外さないようにする。こんな感じである。月2000 kmほどは乗っているので、これでも十分なんだろうと思っている。
それでも今回は、血管の浮き方や頬のこけ具合を見ると昨年よりやや甘い絞れ方で終わった。おそらく58 kgくらいだろう。身長は176 cmなので、十分に軽い方だとは思う。
一方で、レース週も火水とコマクサ峠(地蔵峠)や保福寺峠で長い時間のレース強度をかけたが、疲労感はほとんどなく翌日には回復している状況でかなりの調子の良さを覚えていた。
さらに機材面も、バイクはCanyon Ultimate CFRに、ホイールはMavic Cosmic Ultimateという今まで乗ったことのないような軽量バイク。7.0 kgを切るようなバイクでのヒルクライムは初めてなので、過去の私のレースと比べて、重量面でのアドバンテージは確実にあるものだろうと考えていた。
車体と体重を合わせた重量分は昨年と同程度で、コンディションは今年よりも良さそう。予想していた順位は、昨年の8位と同じあたりか少し良いくらい。結果はその通りの6位だった。
ただ一時は、3位以内も狙えるのでは?と思えた瞬間があったことで、よりレースを楽しむことができた。
今年のここまでの乗り込みは、タイで年越しをして、冬の間も東南アジアでライフワークの自転車旅を続けながら、常にヒルクライムTTを行ってきた。幸い怪我もなく、大きなトレーニングの中断もなかった。
6月下旬から7月中旬に北海道の北部、登りの少ないエリアを自転車で旅したことで、一時的に負荷をかける回数が減って、走る距離が伸びた。これがベース作りになったのかもしれない。レース1ヶ月からは長野に滞在して、1時間くらいの長時間ヒルクライムTTの回数を増やしたことで、一気に調子が上向いた感覚があった。
レースまで1ヶ月半を切ったくらいから、毎日飲んでいたビールをハイボールに変えて、揚げ物も気持ち控えるようになったが、神経質にならずに食べたい時は食べていた。飲み会にも躊躇なく参加していた。
甘いものについても同じで、我慢せずにオフの日にカフェでスイーツを食べることも楽しみにしていた。アイスに関しては猛暑であったこともあって、補給ついでに1日に複数回食べることも。
乗鞍に向けて、真剣に取り組んでいる人にとっては、想像以上に緩い取り組み方かもしれないし、10年前の選手として走っていた自分が聞いたら呆れるかもしれないが、日々のライドを楽しみながらレースに臨むという視点からは、このくらいがちょうど良い。レース前日の昼食もカツサンドだった。
結果的にバキバキに「絞り切る」ところまではいかなかったが、コンディションを大崩ししないと言う面ではメリットも大きかったと思う。絞りすぎると、夏の冷房の下では、すぐに風邪をひくのも、乗鞍の開催時期ならではの落とし穴だったりする。
レース本番だけでなく、レースに向けて少しだけパフォーマンスを「尖らせる」アプローチも楽しかった乗鞍ヒルクライムだった。日常のライドだけでは味わえないメリハリができて、充実した時間を過ごすことができた。
写真と文:才田直人
著者プロフィール
才田直人さいた なおと
1985年生まれ。日本中、世界中を自転車で旅しながら、その様子を発信する旅人/ライター。日本の上るべき100のヒルクライムルートを選定する『ヒルクライム日本百名登』プロジェクトを立ち上げて、精力的に旅を続ける傍ら、ヒルクライムレースやイベントにも参加している。