記事ARTICLE

2024年06月08日

【コラム】クライマーたちが受け継ぐ富士への想い Mt.富士ヒルクライム 

夜に降り続いた雨は上がったものの、視界は真っ白。その中を自転車乗りが埋め尽くし、刻々と迫るスタートを待っている。

仲間と談笑する表情の奥には、期待と不安が入り混じる。緊張の大きさは、この大会までの努力の大きさ。一万人に迫るクライマーたちの想いが、エネルギーの塊となって渦巻いている。

大会当日の朝。天気の良かった前日のエキスポから一転、霧に包まれた。

目指すは富士山5合目。一向に晴れそうにない霧の中、富士の高嶺はその姿を完全に隠している。


日本では古代より山を神聖視してきた。富士山も縄文時代から信仰の対象だった。奈良・平安時代には、山岳信仰と仏教が交わり修験道が生まれた。

江戸時代になると「富士講」が生まれる。その開祖である角行は、富士宮の洞窟に籠り、1000日もの間、四寸五分(約14cm)四方の角材の上に爪先立ちする荒業を行った。修行の末に「角行」の行名を得た彼は、法力で疫病を退散させるなど、庶民の救済に尽力した。

現在の富士宮市にある人穴。角行はこの小さな入り口から洞窟に入り修行に励んだ。事前に予約すれば、内部を見学できるという。

次世代へと引き継がれた角行の教えは、食行身禄(じきぎょうみろく)や光清によって爆発的に大衆に広められた。

食行身禄の時代、庶民は飢饉や商人による米の買い占めに苦しんでいた。身禄は世の中の変革を願い、60歳の時に財産を捨て、富士山8合目の烏帽子岩で31日間の断食の末に入定(絶命)した。

身禄の教えは、身分や性別、職業に関わらず、誰もが自身の生活を改めることで、社会全体を改善できるというものだった。この教えは庶民の共感を呼んだ。

こうして、富士山は修験者だけでなく一般大衆も巡礼する信仰の山となった。庶民にとって、「遠くから拝む山」から「実際に祈り登る山」へと変わったのである。

ただ、江戸時代には富士山に行くことは、万人に可能なことではなかった。庶民にとって、お金や時間を工面するのは難しかった。そこで「講」という組織を作り、代表者が皆の思いを背負って富士の頂を目指していた。

富士講では、先達(せんだつ)と呼ばれるリーダーが案内を行う。百回以上も富士の頂に立った先達もいるという。


話を富士ヒルに戻そう。舞台は富士北麓公園から富士スバルラインを上る、距離25km、獲得標高1270mのコースである。

高まる緊張感。参加者数が多いため、全7ウェーブに分かれている。朝6時30分の第1ウェーブを皮切りにレースがスタート。

力強くペダルを踏み込む。緊張から解き放たれ、苦しさとの戦いが始まる。

第1ウェーブがスタートを待つ。彼らの多くは優勝、またはプラチナリングを狙う。

富士ヒルに挑むクライマーの中には、数ヶ月間、多くのことを我慢して全力で調整してきた人もいるはずだ。

角行が洞窟に篭って修行したように、部屋に篭ってZwiftでフィジカルを磨き、食行身禄が断食したように、スイーツや油物、ビールを控えて体を絞る。

そこまで徹底していない人が大半だろうが、特別な意識が芽生えた瞬間があっただろう。食行身禄が生活を正す大切さを説いたように、富士ヒルを目指すクライマーの生活は、普段より少し規則正しく、色鮮やかで充実したものだったのではないだろうか。

富士ヒルは優勝を狙う選手もいれば、各自の目標タイムや完走を目指す選手もいる。完走タイムによって得られるリングの色が異なることが、多くのライダーの目標となっている。

同じ目標タイムを狙う仲間とトレインを組み、ローテーションを回すグループも多い。江戸時代のように、代表者だけが頂上を目指す形とは異なるが、途中で耐えられず千切れてしまった仲間の想いを胸に、目標タイムをクリアした人もいるだろう。

ブロンズを目指すライダーには、現代の先達とも言える「ペースメーカー」も準備されている。プロ選手を含むエキスパートが「90分切り」を達成するためのペースを刻み、道案内を務める。

色鮮やかなリング。プラチナ(60分切り)、ゴールド(65分切り)、シルバー(75分切り)、ブロンズ(90分切り)、ブルー(完走)、そしてWinnerリング。

今はもう江戸時代ではない。「世が変わってほしい」と願いながら上る選手はいないかもしれない。その代わりに、この大会に向けた努力、目標タイム、特別な思いを胸に富士山に挑む。

時間が経つほどに霧は晴れた。4合目以降は太陽が顔を出し、富士山頂の姿までが見えた。みんなの想いが、天候までも好転させたのかもしれない。

フィニッシュ地点の富士5合目。スタート時にはとても信じられなかった青空が覗いた。

今年で富士ヒルは第20回を迎えた。9308名がエントリー。24カ国、12歳から80歳まで幅広い参加者が集まった。20回連続で皆勤賞の方もいる。

縄文時代には、すでに信仰の対象だった富士山。江戸時代に大衆に広まり、現在まで続く富士講。そして、「富士ヒル」は富士山への畏敬の念を表す現代の形なのかもしれない。

この大会は、富士山に挑むからこそ特別であり、唯一無二の「不二」のレースなのである。

私はブロンズのペースメーカーを務めた。フィニッシュ地点で偶然一緒になった参加者の方たちと。

参考文献

  1. 【4】大願成就の大先達たち 1.先達(せんだつ)とは何をする人か-富士をめざした安房の人たち | たてやまフィールドミュージアム - 館山市立博物館
  2. 2.富士の教えとその広まり-富士をめざした安房の人たち | たてやまフィールドミュージアム - 館山市立博物館
  3. 神社に参拝するだけでは世界は変わらない!食行身禄に学ぶ「世直しの方法」
  4. 「富士講の中興の祖―食行身禄について」
  5. 角行 (富士講) – Wikipedia
  6. 食行身禄 – Wikipedia
  7. 富士山と宗教 全20回

関連URL:Mt.富士ヒルクライム

関連記事

記事の文字サイズを変更する

記事をシェアする