2016年07月01日
世界屈指のメーカーで腕を振るう日本人エンジニア(※2015年【 WEEKLY FUNRiDEプレ版第3号】リリース記事抜粋)
(※2015年 【WEEKLY FUNRiDE】プレ版第3号リリースの記事です)
だれもが認める世界屈指のブランド、トレック。その一流自転車メーカーに携わる精鋭の1人に日本人女性エンジニアがいる。専門はエアロダイナミクス。誰もが注目をする旬の性能だ。そのトピックスとなる部門をまかされているのが鈴木未央さんである。トレック・マドン9シリーズのプレゼンテーションで語られたエアロにまつわるエピソードと、ショートインタビューを前後編に分けてお届けしよう。(文:山本健一 協力:トレック・ジャパン)
アメリカのトレック本社では分析エンジニアとして、シミュレーションを用いてCFD解析と風洞実験のフィードを行っています。トレックは通常、製品の開発に2〜3年の期間を費やしています。
最初にエンジニアが研究を行ない、その後デザイナーへ研究結果を渡しバイクをデザインしていく。そして製造を開始します。新マドンの開発には3〜4年かかっています。こういうプロセスは他社にもありますが、トレックの特別なところは最終製品が出来上がるまで、自社で徹底的に最先端の研究をするパワーがあるということです。たとえば、私の所属するアナリシス(分析)グループはトレックにとって特別な部門でシミュレーションとテストの専門家の集団です。同じような部門を社内に持っている他メーカーはおそらく存在しないと思います。シミュレーションにはスーパーコンピュータまではいきませんが、大きなコンピュータを使っています。
2014年にはCFD(数値流体力学)のソフトウェアを購入しました。これは自転車業界ではもっとも早い導入でした。このソフトウェアをどのように使用するかが専門家の仕事になり、製品開発の差となって現れるのです。
CFDを正しく使い最高の空力性能を目指す
私は空気力学が専門です。使用しているCFD(数値流体力学)というのは、開発の目的に応じて、こちらがパラメータを調整しないと正しい答えを出してくれません。トレックは10年近い風洞実験のデータベースがあるので、それを元に実験データをCFDによって正確に再現できるようにしています。そして現在は風洞実験結果とCFDの値は誤差3%以下まで抑えられました。最大のパフォーマンスを発揮するバイクを作るためにはこの誤差を小さくする努力をしなければいけません。
このCFDツール自体はどこのメーカーも購入し、使用することが可能です。しかし、ただ単に使えても返ってくる答えが風洞実験と全然違うことがあります。トレックの誤差は3%。これが10%、20%に広がってしまうとと使う意味はなくなってしまいます。使いこなせないと持っている意味がないツールといえます。
私の最初の仕事はプロジェクトの初期に乱流のイメージを作って、どこの部分に注目すれば、バイクパフォーマンスが上がるかを考えています。そして、どういう方向で開発を進めて行くべきかをチームに伝えます。望ましくない乱流をなくすのがデザインの元となります。しかし乱流だけを見るだけでなく、空気がどうやって効率良く流れていくかも見ます。空気が効率よく流れると、空気抵抗を抑えているということになるからです。
今回の新型マドンではブレーキやハンドルなどのコンポーネントも同時に開発しました。ブレーキ本体をフォークの外側の曲線に合わせることで、空気抵抗は低減します。フォークとブレーキのサイドの曲線マッチさせることで空気を効率よく流せました。ハンドルバーとステムのコンビネーションはケーブルを内装することで、約3wのパワーセーブにつながりました。
乗り心地やボトルの装着。ライダーのことを考えたバイク設計
新マドンはただ速いのではなく、乗り心地やハンドリングも重視したいというのが目的です。分析グループのなかには構造解析の専門家もいます。彼らと一緒にフレームのかたちを分析します。CFDと構造解析を同時並行ですることで、最高の環境でバイクの開発を進めることができました。
乗り心地の実験というのは業界でまだ確立されていませんが、トレックは独自の方法を3年前から開発しています。ライダーが乗ったバイクにセンサーをつけて、走行によるひずみが出るかを測っています。ただ測るだけでなく、コンピュータでシミュレーション(再現)もできます。
みなさん長く走るときにはウォーターボトルを付けると思います。今回の開発ではボトルが空気抵抗にどう影響を及ぼすのかについてもリサーチをしました。ボトルを付けることで、空気の流れを乱し空気抵抗になる。ウォーターボトルをどう配置すればいいのか、最適化するソフトウェアを使って開発を進めました。
この最適化ソフトウェアは面白く、組み合わせから結果を出してくれます。今回は140回の組み合わせを試して、5.5%の空気抵抗を低減する位置を導き出しました。TTバイク用の細いボトルの方が空力は優れていますが、特別なケージが必要になるのは嫌だったので、丸いボトルを前提に開発しました。この最新のソフトウェアは自転車業界はもとより、オートバイ業界でも使っていることはまれです。プロトタイプを作ったらサンディエゴの風洞実験場に持ち込みます。
バイクだけの空気抵抗だけでなく、マネキンを作って実験をしています。開発期間中、2013年から5回ぐらい風洞実験を行っています。そして何回もプロトタイプを作っていきます。プロトタイプはすべてカーボンではなく、鉄のチューブを骨子にして3Dプリンタで作ったプラスチックで成型します。そうすることで部分ごとにパーツを変えられるので、いろいろな形を試すことができます。選手に乗ってほしいときだけ、カーボンのプロトタイプを作ります。こういったプロセスを自社内で開発できるのがトレックのいいところですね。
———空力の知識があってこそのデザインですが、一番インスピレーションを受けたものは?
未央さん:それが、参考にしたものは無いのです。アイデアといえばTTバイクであるスピードコンセプトをどのようにしてロードモデルにしていくか、ということもありましたけど、ロードの場合まったく違ったバイクになります。スピードコンセプトの場合はエアロ重視ですが、ロードの場合は乗り心地を重視する必要があったからです。ですからマドンは最初から新しいものを作ろうと思って設計しました。
———自転車の設計を行なうとき、車や航空機との開発との違いは?
未央さん:1つの違いは進んでいるスピードです。どのようなスピードで設計するかというのが違います。ソフトウェアで行なう場合は、車や航空機とはまったく違った設定となります。自転車のスピードは航空機等に比べるとかなり遅いので、スピードにあわせた数学を使わないとちゃんとしたデータが出ないのです。それを誰もが追求しているかというと、結構そうでもないのです。ほかのメーカーのことはそんなに言えませんが、まったく別のある論文を見たとき、この数値はちゃんとセットアップをしていないな、と思わせるものがあったりします。
———ソフトウエアは市販されているものですか?
未央さん:はい。市販されているものです。star-ccm+というソフトウェアを使っています。これはトレック以外のメジャーブランドも同じものを多く使っています。そこで面白いのが、何が違うかというと、どうやってパラメーターを調整したり、数学を使っているかで違いが出ます。
———狙いが違うということ?
未央さん:狙いというか、やはりどうやって風洞から得られる値に近づけたり、ちゃんと空気の流れをつかむにはどうするのか、各社でまったくセットアップが異なるのです。この設定が違うとまったく別の形になります。この設定方法がメーカーにとってトップシークレットなので、どういう設定なのかはお話できません。
———他社間でホワイトペーパーの値が大きく異なる場合がありますが?
未央さん:設定の違いだと思いますが、例えばヨー方向からの抵抗などは似ているけれど少し違うというのはありますね。これはCFDの設定で大きく変わることもあります。それを知っているからこそ、私たちは風洞実験のデータを重んじています。私は業界に携わっているので、その違いは理解しているのですが、一般のサイクリストから見たらわかりにくいですよね、誰が本当のことを言っているだろうかとか。どうやってお客様が納得するか、いつも考えています。
———今回の新型マドンはハイエンドのみです。ホビーレーサー用としてリーズナブルなモデルは開発されますか?
未央さん:その決定は私の部門ではないのでわかりません。プロダクトマネージャーが決めることなので。でもそれがポジティブなことだと考えるなら、可能性はあると思います。
———このバイクは速ければ速いほど効果が高いと思いますが。あまり速く走れない人のことは考慮していますか?
未央さん:風洞実験ではプロのプロトンの速さである30マイル(時速48km)で行なっています。ですがホビーサイクリストの15〜20マイル(時速24〜32km)でも空気抵抗はかなり大きいことがわかっています。たしかにスピードが速ければ速いほどパワーセービングの値は大きくなりますが、十分にパワーセーブを感じられると思います。
———トレックファクトリーレーシングのジュリアン・アレドンドもマドンを
使っていますね。
未央さん:彼は小柄で、より小さなフォームをとれるのでエアロ効果が高いです。イェンス・フォイクトのように大柄な選手は縮こまることが難しいので、大柄な選手と比較して、ジュリアンのほうがエアロバイクとの相性が良いとも言えます。
———開発はどのフレームサイズを基準しましたか?
未央さん:56〜58サイズが基準です。他のサイズはCFDを使いました。サイズが小さくなると空気に接する面積が少なくなるので、おのずと空気抵抗は減ります。H1に乗れるならそれがいいですが、自分のサイズに合った方がいいです。H2もけっして劣るわけではないです。エアロも大事ですが最適なポジションを優先すべきです。パワーが出なかったら意味がないので。
———一般のライダーが簡単にエアロ効果を高めるテクニックはありますか?
未央さん:脇を締めて二の腕をできるだけ身体に近づけること。脇のあたりって乱流が起きやすいので効果が大きいですね。これはサイクリストの友人にもよく教えています!
———マドンの開発、とくに形状で困ったことは
未央さん:製作中はUCIに確認を取りながら行ないました。そこでショックだったのが「シートチューブは外径25mm以上に収めること」というルールだと思ってデザインを起こしたんですが、内径が25mm以上じゃないとダメだったんです。それで慌ててデザインを換えなければいけなかったことですね。大変苦労しました。3年間も開発を続けていれば、いろいろなことがありました。
———3年という開発期間ですが、これが今考えられる最高のデザインですか? あるいは将来さらに発展したデザインを考えている?
未央さん:次のデザインアイデアはあります。やっぱりリミットを設けて開発していますから。ときどきデザインプロセスの終わり頃に新しいテクノロジーが出てくることもあり、どうしても組み入れることができないので。そしたら次のバイクに使おうね、ということになります。
———ありがとうございました!
鈴木未央(すずきみお)●東京出身。13歳で渡米し、カリフォルニア大学で化学
工学と核工学を専攻。その後、空気力学を学ぶ。ウィスコンシン大学院へ進学し
液体力学の修士号を取得。卒業後、自身もサイクリストであり、職業を選ぶ過程
で住まいの近くに拠点を構えるトレックの見学ツアーを利用して訪問。環境や専
門分野が活かせることからコンタクトをとり、インターンとして従事する。設計
に携わったのは、アイオロスホイール、スピードコンセプト、イェンス・フォイ
クト氏のアワーレコードモデル。そして新型マドン、バリスタ。
著者プロフィール
山本 健一やまもと けんいち
FUNRiDEスタッフ兼サイクルジャーナリスト。学生時代から自転車にどっぷりとハマり、2016年まで実業団のトップカテゴリーで走った。自身の経験に裏付けされたインプレッション系記事を得意とする。日本体育協会公認自転車競技コーチ資格保有。2022年 全日本マスターズ自転車競技選手権トラック 個人追い抜き 全日本タイトル獲得