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2016年03月03日

東洋フレーム 竹之内悠インタビュー(後編)“辞めるときは死ぬとき”

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 竹之内悠・インタビュー後編。単身ベルギーで戦う竹之内悠を支えるのは石垣鉄也その人だ。石垣さんと竹之内さんはどんな間柄なのだろう?

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編:いつ頃から二人三脚で取り組んでいるのですか?

竹之内:いつやろ? ちゃんとクロスに乗るようになってからだから2007年? 2009年? 

石垣:全日本を獲る1年間だから2009年だな。そのときアンダー23でイケイケだったとき。このオッサンうっとおしいわあ、と思っていたはず(笑)。

竹之内:日本の世界しか知らないとき。満足してちやほやされていたとき、なに調子乗ってんねんと。“オマエ、レース走ったら所詮ビリやんけ”って。筋通ってること言うオッサンやわあ。僕がハイって折れたというか。

石垣:はっきり言ったほうがいいと思うので言いますが、そのころ悠のお父さんが亡くなっていて。ジュニアの頃はずっとお父さんとレースを回っていて、僕は辻浦とずっとレースを回っていたから、悠が辻浦を目標にして関西クロスに出ているのは知っていた。お父さんは辻浦だけは一生懸命やっている選手っていうのを悠に植え付けてくれていたんだよね。

竹之内:親父が生きているころ、所属しているチームを辞めるとき、“あの 人(石垣さん)についていったら大丈夫や”、と言っていて。石垣さんの言うことが、ようわからんことでも“そうか……何かにつながっているんやな”、って思って言うことを聞いていると数ヶ月先に、ああこういうことだったんだって理由がわかったりして。また親父が亡くなった年から橋川健さんの元でヨーロッパのレースを走ることができて、これも1つの転機だったと思います。

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編:……なるほど。すごく深い話でした。そこにシクロクロスを続ける理由があるという気もするのですが、続ける理由は?

竹之内:シクロクロスを続ける理由ですか? 僕しかいないじゃないですか(笑)。今辞めるともったいないし。でも、なんだかんだ好きということもあるんですよ、負け ず嫌いという僕の性格もありますね。もし辞めたとして、いまのままだと後悔もするし。周りの色々な人に支えられているし、今は辞める理由は見当たらないですよね。毎年どんな形であれチャレンジして。結果の善し悪しはありますけど、いままでやってきているものを糧にどんどん上に上っていきたいなあと。

辞めるときは死ぬときかな(笑)。やっぱりこれだけ怪我して、ヨーロッパの家にたった1人でいると“ヤバいな〜”って感じになりますけど、そういうときに日本で支えてくれる人たちがいるので、助けられています。

編:東洋フレームのサポート体制はずっと継続していく?

石垣:彼が僕でいいなら、ずっと続けていきたいですよね。運がいいことに彼が現役を続けられる間に東京オリンピックがあるわけですから。そこをどういう形で参加できるかっていうのも人生のなかでターニングポイントになると思う。競技者としても。それに我々が一緒に共感できれば素晴らしいことになると思う。

編:東京オリンピックに出るというと種目は?

石垣:ロードもあるしMTBも、でしょう。こんなことを言ったら問題があるかもしれませんが、海外を走っている選手を含めても、クロスをやっているから、MTBを やっているから、ロードをやっているから、という次元ではないじゃないですか。ほかの海外の強い選手を連れてきたらどれをやらせても強いと思うんですよ。 もっと自転車の中でのサバイバル能力を高めないと。海外に行っても食べ物や文化や言葉の違いのなかで生活をするのは大変ですけど、それを乗り越える器量を彼はもっているので。あとはやるしかなくて。それを行なうための準備をこれから1年かけて実施するんです。

編:シクロクロス、MTB、ロードと隔てるよりも自転車競技そのものをつづけるというイメージのほうがしっくりときますね。

竹之内:かもしれないですね。……僕も人間としての力が弱っているんです(笑)。それを充電してもう一回、ベルギーでシーズンを通して戦いたいので。

編:充電するというのは?

竹之内:充電=パワーアップしたいですね。

石垣:なにをパワーアップするかだよね。去年の全日本の後でも“琵琶イチ(琵琶湖一周)行ってこい。1週間で何周できるか?”ってね。“3周しかできませんでした”っていうから“まだまだやな”って(笑)。そういうことなんですよ。悠は全日本獲った後にはヨーロッパがあるわけだから。それ行くまでに琵琶イチどれだけできんねんと。

竹之内:どれだけ追い込めるか……目指すところまで。満足してしまうと身体は素直で、脳がそう思うとすぐそこで止まる。上に上に行くように。充電という言葉は僕としては攻めてるつもりです。

無理してでも、もうちょっとベルギーに残ったならコンチネンタルチームのベランクラシック・ドルチーニに所属できたと思うし、この時期からヨーロッパに渡ってスペイン合宿に行っていたはずです。でも今の自分には意味がないので、今の自分を見た結果、東洋フレームで走ることを選んだので。

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決断

石垣:どうして日本に帰って来たかよくわからないでしょ? 

編:そう、わからないです。ですが2つあると思っていました。1つはベルギーのチームに所属できなかった。もう1つは先を見た決断だったんだろうと。私は後者だと思っていましたが。

石垣:コルパだってベランでだって走れたはずだし、橋川さんのユーラシアもある。大門さんとのつながりもある。ロードレース1本でやるとなればNIPPOで走ることもできたと思う。でも彼が目指すのはそこではなかった。代表に選ばれても、ここ一番で結果を残せないと“なにしとんねん”と言われてしまう。いろいろな原因があったとしても結果を残せないと言われてしまう。上に行ければ世界は変わります。

編:ロードレースなどのナショナルチームを見て歯がゆい思いというのは、我々よりも選手サイドに近いし、もっとあるのだと思います。年齢的には20代後半に差し掛かってきますが、若い選手の将来のことを考えたりしますか?

竹之内:めっちゃ考えます。みんな可哀想で。日本は日本でしかないので。先日の世界選手権のときに言いましたが、予想どおりすぎる結果で、その後のコメントも毎年同じことを言っている。日本に帰ると日本で満足してしまう。そこに僕としては納得がいかない。次の若い選手たちと一緒にやりたいという気持ちもありますし、僕 がやることと、彼らがこれからできることはまた違うと思いますが、僕としては僕がやっていることを行動で示しているはずなんですけど、やっぱりその辺がまだかっこ悪いのかな。魅力がないのかなって。

編:失礼な言い方をすると、上手く伝わっていない?

竹之内:僕の責任かもしれませんけど。シクロクロス界にしても、選手にしても付いて来てくれないっていうのは、なにかしらあるのかなって。無理に呼んだとしても違う話になるんで、結果として。自発的に動いてくれるかどうか。それが結果に響くと。まあそれも仕方がないかなと今は思います。正直、人のことを心配している場合でもないので(笑)。でも一緒にやりたいという若者がいるなら一緒にやりたいですね。強かれ弱かれ、気持ちを持った子が少ないですね。

ある意味(伝えることを)諦めているというと聞こえは悪いですが、僕は目指すことをやっていく。それに共感してくれる人がどれだけいるのか、それに賭けます。なにかを伝えるというのはもっともっと萎れはじめてからでも遅くはないかなって。僕はもっとキャリアを積みたいです。

感じた文化、日本でのシクロクロス

竹之内:エラそうかもしれませんけど、普通の日本人とは違うスタイルでやってきましたが、結果を含めて、ベルギーに滞在する意味が今の僕はあまりなかったんです。強くなるためとして。僕自身が強くなりたいんだったらその選択で良いのか、と問うたときに、それはないと。我慢ですね。もう一度世界で戦うためにどうすればいいか、と考えたときの選択ですね。

今年の冬は去年よりも良い走りをしたいので、そうするためにはどうすれば良いかってことを考えています。……6ヶ月〜7ヶ月はあっという間ですから。じたばたしています。

編:ベルギーと日本におけるシクロクロスの違いは?

竹之内:文化を輸入するのは難しいですよね。取込んでいくしかない。ネイスの話を聞きましたけど、彼が出るレースは1万人も観客が増える。彼が来るだけで観客が増えるので主催者も多額の謝礼を払ってでも招待したい。

編:まるでアイドルみたいですね。

竹之内:ヨーロッパはレースを見るのに入場料がかかりますからね。今回の世界選手権は50ユーロでした。ここに6〜7万人の観客が訪れるわけですから。それで採算がとれているかはわかりませんが、それだけ出しても観たい人が集まる。そういう世界を見て、日本に戻って来ているから、ギャップもありますね。

編:文化のギャップに関してどう考えていますか。

竹之内:しょうがないと思います。むしろ日本の色をもっと出していっても良いと思っています。人種も違うし、楽しみ方、考え方も捉え方も違うので。日本独自のスタイル があるべき。そこに至るまでに世界ではどういうことが行なわれているかということを知った上で、発展をしていってくれたらうれしいですよ ね。

編:最後に改めて今季の総括、2017年の活動目標を教えてください。

竹之内:今シーズンに、ベルギーのキー局でテレビの放送があって。僕のドキュメンタリー番組を放送してもらって。そういうことがあったので、色々な人に僕の名前を覚えてもらいました。今年はそういうバックボーンがあったので絶対頑張りたい年だった。11月まではよかったけど、体調を崩してしまい、悔しい思いをたくさんしました。

そして今季の世界選手権はベルギーだった。自分のなかでこだわってベルギーで続けてきたので、結果を出したかった。そんなスタートコールのとき、“Yu Takenouchi Japan!”と僕の名前が呼ばれたときに観客が沸いたんです。僕みたいにランキングが下のほうだとほとんど湧かないのに。新聞やテレビなどのメディアで取り上げられたことで、それだけ名前が売れたんやと思って。自分がやってきたことが形に見えるようになって嬉しかったですね。やっぱり来年もやっていきま す。上を目指して。

今季の目標は調子に乗りすぎず、全日本選手権はもちろん、世界選手権で20位以内に。プロと同等の走りができるぐらいまでに快復していけたら良いな……じゃなくてしていきたいと思います。していかないと先がないから。

編:ありがとうございました!

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(写真/小野口健太)

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