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2024年06月01日

篠さんの日本縦断ギネス世界記録挑戦記 準備編

どうも、篠です。

先日日本縦断ギネス世界記録に挑戦して、無事完走しました。

5月21日7:00に佐多岬から出発し、5月27日11:48に宗谷岬に到着。

記録は148時間48分(6日4時間48分)※睡眠休憩込みのグロス計測

総距離2536km、獲得標高は15641m

現在WUCAにギネス世界記録申請中で、無事認定されれば女子記録更新になります(2024年5月30日現在)。

起きている時間はすべて自転車に乗っていて、もはや自転車のことしか考えてなくて、身体的なダメージはあるものの、本当に楽しく走れました。

この非日常的な一週間は非常に貴重な経験で、これからもずっと私の宝物だと思います。

記憶が鮮明なうちに、備忘録を残したいと思います。

「日本縦断ギネス世界記録」の定義

本土最南端の岬である佐多岬を出発し、門司、下関、青森、函館を通過の後に、北海道本島最北端にある宗谷岬までの公道をロードバイクもしくは徒歩のみで走行した、スタートからゴールまでの合計時間を計るものです。

指定場所の通過は必須ですが、ルートのアレンジは可能。

全行程おおよそ2600kmになります。

カテゴリーは男女に分かれ、今回は女子の記録に挑戦しました。

2021年より、ギネス世界記録の長距離チャレンジはWorld Ultra Cycling Associationの認定になった為、日本縦断の認定申請をするためには、過去のチャレンジとは違うレギュレーションとなりました。

かなり細かくルールが決められ、レギュレーションに沿ったチャレンジを行うには、相応資金と人員を要することになり、過去に比べてハードルが高くなりました。

レギュレーションに沿ったサポート体制を整うのに、チャレンジに必要な経費はおおよそ200万円です。
※WUCA登録費用、認定申請費用の他、車両費、燃料費、サポートメンバーの交通費、謝礼も含みます。 今回は事前にスポンサー募集を行い、企業様や個人の方々に支えられてチャレンジが実行できました。

現行ルールに則った日本縦断ギネスチャレンジは2023年8月頃に元 男子記録保持者の高岡亮寛さん(6日13時間28分)が初めて。

現 男子記録保持者の落合祐介さん(5日16時間30分)の記録に再挑戦し、4日目にリタイアに終わりました。今回のチャレンジが認定されれば、現行ルールでの初めての達成者になります。

今回の記事はその辺も含めて、チャレンジまでの準備期間を振り返ります。

日本縦断ギネス世界記録チャレンジまでの流れ

まずはWorld Ultra Cycling Association(以下WUCAと略します)に「日本縦断女子カテゴリー」の記録に挑戦したいとメールで問い合わせすることから始まります。

やり取りはすべて英語で行います。
サイトでオフィシャル会員に申し込み(有料)、今回の挑戦の概要、日程を決め、専用ファイルを作成してもらいます。

申し込んだ時点でチャレンジの日程が確定します(スタート時間はその日のうちなら何時でもいい)。

実行にあたって一番の難関はサポートメンバー(認定員、ドライバー)の確保でした。

新ルールではチャレンジに同行するサポートメンバーは全員のWUCAオフィシャル登録(有料)が必要で、さらに認定員を務めるサポートメンバーはオンライン認定試験を経て資格を獲得する必要があります。

1人の認定員の勤務時間は1日18時間までの制限付き。ドライバーは勤務時間制限なしですが、記録員業務と同時に兼任できません。
したがって2人のサポートメンバーが記録員資格を保持していれば、サポートカーの運転を交代することでルールをクリアできます。

サポートカーは車輌後方に低速車マーク&「自転車が前を走っています」の表記を掲示しないといけない決まりがあり、基本的にサポートカーはライダーの後方を追従しないといけないので丸一日低速運転になります。

※サポートは周りの交通に最大限に配慮した上で行います。道路が混雑している際は先回りしてライダーに合流するリープフロッグ形式を採用。

さらに、日没後はダイレクトフォローが必要で、車輌のライトでライダーの前方を照らし続ける必要があるので、サポートカーを運転するドライバーはとても大変です。

サポートメンバーはライダーが走っている間はずっと起きていないといけない上に、ライダーが寝ている間や起きてくるまでの準備も済まさないといけないのであまりにも過酷。

以上を踏まえて、ライダーが1日18時間以上活動する場合は少なくとも記録員2人(交代した際にドライバー兼任)、ドライバー1人の3人体制が望ましい。

同じサポートメンバーが全行程同行するのは全員が消耗すると考えて、今回のチャレンジは九州区間、本州区間パート①②③、北海道区間で分けてサポートメンバーを探すところから始めました。

皆さんお仕事ある方なので前後の移動含め少なくとも3日は休むことになります。

知り合いつてに知り合いの知り合いに当たり続け、サポートメンバーがすべて確定したのは2月末、3月にチャレンジ発表する直前のことでした。
皆さんが来てくださったおかげで、やっとスタートラインに立てました。

事前に行われたプレゼンテーションの模様。たくさんの人に支えられてチャレンジが実行できた。


正直走ることよりこの調整の方が一番大変だったように思えます。

次にサポート車両の確保ですが、今回は2台体制で挑みました。
メインサポートカーは通常のハイエースをレンタル。

認定員とドライバーが使用する車輌で、機材、道中に使用するアイテムを積載。
サブサポートカーはキャンピングハイエースを採用。
カメラマンが自由に動けるように使う車輌、ライダー夜間休憩用でもあります。

またライダーの走行中はメインサポートカーで交代したメンバーの休憩にも使えます。
急遽休憩したい時にどこでも寝れるのは心強いです。

チャレンジに向けての準備

①ライダー編

体作りとしては、2月前半はローラー月61時間L2のみ。

2月29日から実走開始、強度はL1~L2上限9割、L3↑1割の割合で3月2000km/83時間、4月2600km/100時間を行いました。

ベース作りと有酸素能力を高めるのが狙いでしたが、3月後半から体に変化が起きました。
走行距離に対して補給が最小限に抑えられた状態でパフォーマンス維持できるようになり、いわゆる燃費がよくなったと言った方が分かりやすいでしょう。

脂質をエネルギーに変える能力が引き上げられたようです。
この変化が今回の日本縦断ギネス世界記録チャレンジに一番役に立ったと思います。

今回のチャレンジの消費カロリーとtssデータをざっくり以下の通り

1日目6850kcal、570tss

2日目4800kcal、333tss

3日目4760kcal、287tss

4日目4620kcal、267tss

5日目4829kcal、294tss

6日目7413kcal、453tss

走行しながら毎日これだけのカロリーを、普段のように炭水化物メインで摂取するのは不可能に近いです。
走行データは9割L2以下で、心拍は初日を除き毎日平均100bpm前後。
こんなデータ取れたの初めてなので新鮮でした。
低強度は糖質より脂質の方を代謝する為、脂質をエネルギー源にした方が合理的です。

自分自身が持っている脂肪だけでも膨大なエネルギーになりますが、本番は中盤から脂質摂取量を増やしたら明らかに体が動きやすくなりました。

上記を踏まえて、脂質を最終日まで摂取できるように胃腸を整えていく食トレを意識して3ヶ月以上暮らしました。

元々胃腸が弱い方で普段の食事でも補給でも脂っこいものを避ける傾向がありましたが、このままでは疲れきったチャレンジの終盤は食事が喉を通らなくなって衰弱していくだろうと危機感を抱いていました。

なら、普段から油物を食べ慣れていれば本番も大丈夫になるのでは? と自己流の食トレを思い付きました。

荒業ですが、パワトレ的にハイリスクな状態がずっと続く中、ジャンクフードは週2、3回取り入れて、食事以外にお菓子もいつも以上に食べるようにして、疲れた状態でも何でも食べられるように体を慣らしていきました。
そして3ヶ月の間、日常の水分補給はすべて白湯に切りかえて、内臓を冷やさないように気をつけました。

白湯は内臓が温められ、老廃物の排出が良くなり、消化力がアップし、便通が良くなるなど、腸内環境が改善する効果があるように感じました。
上手くハマった結果なのか、最終日までハンバーガーやカツパンが美味しく食べられるようになって、しっかり変化が感じられて本当に嬉しかったです。

ほかには体幹の強化とペダリングの修正を主に行いました。
本番は踏み込む場面はほとんどない上に、毎日6万回以上ペダルを回すので低強度でも膝の軌道がブレないように工夫しました。

風邪を引かないように体調管理に徹底して当日を迎えられたのも大きいと思います。

②ルートの作成&精査

今回は自分で引いたルートと高岡さんが昨年チャレンジした際に使用した最終ルートと照らし合わせて決めました。

最終的に距離と信号の数を抑えた、分かりやすさを重視したルートに仕上がりました(ハムスタースピンの福田さんご協力ありがとうございます)。

Googleストリートビューを見ながらルート検証も時間がかかりました。
分かりにくい国道二号線のバイパス区間の確認もですが、車が入れない道は認定員が徒歩や自転車でライダーについていかないといけない決まりなので、例えば岡山霞橋では側道から旧霞橋を渡り、その際は認定員についてきてもらうことになっていました。

この辺の動きも本番ではロスのないようにあらかじめ決めておきました。

③ 走行スケジュール作成、サポートメンバーのシフト作成&会議

総勢15人のサポートメンバーと本番の1週間前までオンライン会議を3回重ね、実行に必要な準備を整えていきました。
本番までにやったことは、自分の過去の経験からペースを予測して分単位の走行スケジュールを作成。

それを元に本番のペース管理。
サポートメンバーは各区間で入れ替えがあるので、引き継ぎ方法や合流離脱方法なども細かく決めて、みんなの勤務時間が均等になるように、交代した際にまとまった仮眠時間が取れるようにシフト表も考えました。

…と、いろいろ書き出したら切りがないですが、一旦この辺で区切ります。

次回、機材編に続きます。


写真:Nobuhiro Toya 文:篠

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