2020年04月07日
【NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンス 中根英登選手インタビュー】前編
地道なステップアップ。再びフランスへ
ーーープロとしての活動は何年からですか?
中根:正式に選手登録したのは2013年ですね。
2011~2012年はまだ大学生で、学生(学連で走りながら)をしながらNIPPOで選手登録をしてもらえて、春休みとかにヨーロッパのプロのレースを走らせてもらえるっていう感じでした。
そういう機会をいただいていた。
(C)Team NIPPO
(C)Team NIPPO
ーーースポットでその期間は走っていた?
中根:今でいうトレーニー制度です。年間の登録になっていたと思いますが、学生の長期休みを利用して走るという感じでした。
ーーー現在までのキャリアをお伺いします。
中根:学生でNIPPOに登録してもらっており、2011年はツール・ド・沖縄の時にダンジェロ&アンテヌッチ・NIPPOに登録しています。シーズン終盤に当時在籍してた佐野淳哉選手、内間選手とともにレースを走らせてもらい、12年にはじめてイタリアのレースを走らせてもらった。13年に大学を卒業し、そのままNIPPOで活動です。
大学の卒業式も出られず、イタリアへ行きました。しかしTOJとツール・ド・熊野は出たので、その時は帰国していました。
14〜16年の3年間は愛三工業レーシングでした。この時はアジアツアーをメインに走りました。そして17年からカテゴリーが一つあがったプロコンチネンタルのNIPPOヴィーニファンティーニへ移籍し3年間。そして現在のNIPPO・デルコ・ワンプロバンスに。
ーーー改めて伺うと、地道にステップアップしているようにもみえますね。もっとも飛躍したな、と感じた時は?
(C)Team NIPPO
中根:17年からのヴィーニファンティーニへ移籍してからですね。
最初のコンチネンタルのNIPPO時代は僕自身走れてなくて、正直ヨーロッパはもう無理だ、という感覚にまでなっていました。愛三工業レーシングには自分の父親も関係していたことがあって、一度そこでも走ってみたいというのと、ヨーロッパは無理かもしれない、という…挫折ですかね。ちょっと苦しかったこともあって。
移籍して、そこも僕にとってはターニングポイントで、アジアツアーを年間通して回るというのはこれまでにない経験。山岳ステージで表彰台争いができるまで走れるように戻してくれたのは愛三だったんです。
そこで自信をつけて、やっぱりもう一度さらに上の世界でチャレンジしたい、という気持ちが出ました。
(C)Team NIPPO
ーーーアジアツアーでの活動が下積みになった?
中根:学生の時はアジアツアーなどを回ることなくいきなりヨーロッパのレース。ステージレースの経験がないままヨーロッパのレースを走った。精神的な面でもそうですし、実力的にも全然追いついてなかったというところがありました。12年は春休みの期間だけしか行ってないですし、年間通してヨーロッパで生活する、というのは13年が実質最初だった。
スポットで1ヶ月チームユーラシアとかで、ヨーロッパのアマチュアレースを経験させてもらったりはしていましたけれど、年間通してっていうのはやっぱりぜんぜんちがっていました。
一旦リセットじゃないですけど、愛三でアジアをしっかり走らせてもらえたのはよかった。
ーーー脚質の分析をみてみると、スプリンター〜ステージレーサーになっていますね。
中根:ランカウイで勝ったステージの影響でしょうか。
ーーーご自身の強みはどんなスタイル?
中根:上りが得意としていて、その中でも長い上りも自分の強いところだと思っているんだけれど、集団が絞られた中でのスプリントは得意な方だと思っています。パンチャー寄りのクライマーっていうんですかね。クライマーの中ではスプリントできる方だと思っています。
ーーーアジアツアーのステージレースの上位確率が高いですよね。
中根:大体アジアのレースはトップ10には入りますね。
ーーーアジア競技大会(2018)の時は別府選手のアシストとして出場していましたね。最後の牽引。あれを見ててものすごい選手がいるな、と。チーム内で逆の立場だったら…。
(C)Team NIPPO
中根:あれは、そもそもピンチヒッターで参加したんです。アジア大会まで1週間を切ったときに、「いけるか?」と言われフミさん(別府選手)がエース、僕がアシストっていうナショナルチームの作戦でした。ゴールが上り基調だというので、自分にもチャンスがあるなと思ってはいました。しかしチームのオーダーを全うするために走りました。
どうすればフミさんをゴールに連れていけるかな、と考えてたとき、ゴール前のスプリントでいけば、フミさんの方が圧倒的に強い。その作戦に異論はなかったです。
最後は差されてしまったので銀メダルでしたが、あのレースはチームとしてうまく機能できました。
(C)Team NIPPO
フミさんと一緒に走ったのは最初だったんです。お互いの息がぴったりで、いきなり初めて走る選手同士であそこまでよくできるっていうのはそれまであまりなかった。すごくいい感触でした。
もし僕が逆に立場だったらどうなんだろう。わからないですね。
やってみないとわからないですけど。同じような結果だったかもしれないし、あの時の最善の策を尽くした結果だと思っています。
(C)Team NIPPO
写真:(C)Team NIPPO
UCIプロチーム NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンス公式サイト:http://teamnippo.jp/
著者プロフィール
山本 健一やまもと けんいち
FUNRiDEスタッフ兼サイクルジャーナリスト。学生時代から自転車にどっぷりとハマり、2016年まで実業団のトップカテゴリーで走った。自身の経験に裏付けされたインプレッション系記事を得意とする。日本体育協会公認自転車競技コーチ資格保有。2022年 全日本マスターズ自転車競技選手権トラック 個人追い抜き 全日本タイトル獲得