2017年10月04日
【自転車雑誌サイクルスポーツ】名物企画、全日本最速店長選手権2017 主催者インタビュー
今年で7回目を数える全日本店長選手権。いまや押しも押されもせぬサイクルスポーツ誌の名物企画である。雑誌媒体の一コンテンツながら、ここまで強い影響力を感じさせるとついつい取材をしたくなるもの。筆者はいわゆる競合誌で編集執筆を行なっていたが、このレースは年々ブラッシュアップを重ねていって、ひときわ輝いて見えていた。しかし、その情報を公開できるのはサイクルスポーツ誌面、およびサイクルスポーツ.JPのみ。競合となるもなると、その会場に足を踏み入れることすらできない(なにしろサイクルスポーツ誌のコンテンツですから)。
とはいうものの近年SNSの普及もあり完全クローズドとはいかなくなってきていたようだ。昨年からは観戦客によるSNSでの情報開示ができるようになり、リアルタイムでそのレースの状況を知ることができるようになった。知人らも脚を運び、参加店長の一挙手一投足に刮目したものだ。これには純粋に観戦として楽しめた。
このSNSでの情報解禁。これはWEB媒体ならば、親和性があるのでは? 取材は可能なのではないか?という淡い期待を込めて、大会当日まで悩みに悩んで取材の依頼を行なった。
戸惑いながらも快諾をしていただきました迫田氏、そして第1回目からオーガナイズを務めるナカジこと中島丈博氏、江郷編集長、この場を借りてお礼申しあげます。
全日本最速店長選手権というコンテンツはどのようにして生まれたか。ということで主催者の中島氏をはじめ、関係筋にお話を伺いました。
オーガナイザー中島氏インタビュー
ーーーこのレースへのこだわりは?
レースである以上「勝者は一人でいい」という点には開催当初からこだわってきました。いろいろな意見がありまして、いくつかカテゴリーを作ってくれというのは多いです。でも日本の最速最強の店長を決めるレースなので、カテゴリーは今のところ増やしません。あとは厳密なルールは決めていません。UCIルールに則りレースを運営するというのを基本にしていますが、最低重量制限6.8kgは採用していませんし、まだUCIのワールドツアーがディスクブレーキロードのトライアル年としていた2015年には早速ディスクブレーキロードを解禁するなど、雑誌の企画ならではの自由さも大切にしています。そして安全で面白いレースになることにもこだわっていますね。
ーーー7回目を迎えて企画としてますます充実していますね。外からの評価も肌で感じられると思いますけれど。
もう7回もやっているのでマンネリになりたくないというのはつねに思っています。
このレース、最初はポイントレースだったんです。なぜポイントレースにしたかというと、お見合いになって消極的なレース展開になってしまうのではないかという予想をしていたからです。最後だけスプリントで勝利……ではなく、つねに活気のある、バンバン戦い続けなければないようなレースにしたかったんですね。しかし、蓋を開けてみると、そんなことにはなりませんでした。以降、議論を交わしこの店長たちなら、消極的にならないだろうということになり、一発ロードレースでやってみようということになりました。
ロードレースになっても、やっぱりみんなガンガンアタックする。よくレースは前へ前へ行かないとダメだというじゃないですか。それを地でいくと(笑)
他のメディアがどう伝えるんだろうというのは関心はありますね。これを他の媒体に取材してもらえるというのは新しいかもしれない。
ーーー今後もこの企画を続けていくと思いますが、今後の展開はなにか秘策がありますか?
いやいや、なんどもやめようと思いました。大変です。これ。
ーーーどのようなことが大変でしたか?
この企画の細かいことまで、いろいろな意見を皆さまからいただいています。それでも参加した店長たちは、「今年悔しいから、来年もやってくれよ」といって帰っていくので。そういわれるとやらざるをえない。引くに引けない(笑)
ただ今回の場合、裏番組といってはなんですが、世界選手権をやっている。でもこっち(最速店長選手権)のほうがサイスポでの扱いがでかい。「アルカンシェルを競っているほうより、最速店長のほうが扱いがえらいのか?って言われたり。もちろんおっしゃる通りです。
あとはレースが終わった後で「ヤツの走りがよくなかった」から順位をどうにかしろ、と言われたりしたこともありましたけど、計測も動画で記録も録っているので、お断りしたり。
ーーー身近なヒーローの走りにはグッときますけれどね。
クリス・フルームを応援したい人もいるでしょうけど、知っている人、すぐ会いに行ける人が強いっていうのが、お客さんとしても楽しいのかなって。それは意図していなかったんですが。
業界の人たちも見に来てくれるし。このレースをわざわざ観戦しにきているコアな人たちが、各々の視点で振り返っていくださるのを振り返るのも面白いですよね。そう考えると今どきのレースですよね。
ーーーそもそもはじめたきっかけとは?
完全にノリですね。
最強と最速はどっちが速いんだとか、編集会議で論争になって。ならレースをやってみたらいいんじゃないかって。
じゃあ、やろうと。
今回も、いろいろな意見がありましたが、カテゴリーを設けず最強最速を決めたい。最速店長は1人でいいですよね。
ーーー第1回目はどんな感じだったんですか?
最初の出場者は14人です。距離は75kmなのですが、ポイントレースでした。
ーーー75kmのポイントレースはなかなか過酷ですね! 店長もセレクションされていましたよね。
ツワモノ揃いでしたね。いまでこそ選手を引退して店長になった方が多くなりましたが、当時は、阿部さんや大石さんといった往年の名選手からの店長という方ばかり。今のようなイキの良い選手上がりの店長は多くはいませんでしたね。
7年も経つとだいぶ店長の雰囲気が変わりましたよね。でも、面白いのはJPTカテゴリーで走る店長も出ていますが、このレースはEカテゴリーが下克上するんですよ。
JPTの選手が勝てないという。去年はエイジサイクルの岩島さんがE1でしたけど勝ちましたよね。一昨年はスクアドラ2号店の涌本さんが勝ちましたが、マトリックス上がりで呼ぶ前から安原監督が、今年は涌が勝つぞ、と言っていたとかいないとか(笑)。
ーーー歴代勝者を振り返ってみると……。
第1回目はブレアサイクリングの山崎店長でした。あれは超予想外(失礼!)でしたね。
第2回目はシクロオオイシラヴニール大石さん。
第3回目は大雨が降った年で、サイクルフリーダムの岩佐さん。
第4回目は大石さんが2勝目を獲得して、引退宣言……。
最初の1回目は手探りでしたね。名が知れている店長という店長にかたっぱしから打診しました。速攻で断られたりもしましたが。
スタート前は、「まあまあ雑誌の企画だし、お遊びだろ?」っていう評判だったんですが、第1回目からMCや計測のマトリックスを呼んでいたし、仕様だけは本物のレースと同じにしようと。
そして、いざスタートしたらめちゃめちゃ本気で走ってくれて。「誰も口三味線弾かないから、めちゃめちゃキツイ」と(笑)。その評判が評判をよんで、規模も大きくなっていって。
ーーー店長も走れてこそ、という流れを作りましたよね。
そういう意味ではなるしまフレンド神宮店の藤野智一さんが印象的です。こういっては失礼ですが、毎年強くなっていくんですよね。初参加の年は完走できなかった。でも翌年は完走した。そして次はレースを動かした。昨年は最後まで残って、さらに最終ラップでペースを上げたのは藤野さんですから。まさか逃げに乗るとは。やっぱりすごい。超興奮ですよね。
藤野智一さん(前方)は全日本選手権を2度制し、バルセロナオリンピックを21位(日本人最高位)で完走している
ーーーこの企画の影響で忙しくても乗るきっかけに、習慣になってくれたのでしょうか。
それは言われますね。年に一度の目標って。
ーーー呼ばれれば誇らしいし、練習をせざるを得ないと。
どのレースよりもモチベーションになってくれている方が多いようで。やっぱりレースの相手が同業他社で看板背負っている同士だからっていうのはあるようですね。
だから事業主選手権にしてくれと(笑)。それくらいエキシビジョンではなくガチで考えてくれている。
ーーーさきほど試走前に店長たちが集まるグループに顔を出したら、ちょうど過去のレースを振り返っていて、第2回目のときに着に入って入るね〜とか、あの方は今回来てないね。など世代交代も感じているみたいでした。
そう……、第1回目は東日本の震災の年の7月でした。日本全体が自粛ムードでレースも減りましたよね。関東圏だったらお店の壁にもヒビが入った、などのお話を聞きました。
そんな折、いろいろ大変だけどレースはないし面白そうだから出てみるか、と。
私もそのころはJCRCなどのレースを走っていたので、なんとなく速い店長には目星がついていて。速いショップチームが参加しているじゃないですか。じゃあ店長も速いんだろうな、と。そういう経験から最初はセレクションをしていましたね。
ーーー7年もたつと歴史を感じますね。
オーベストの西谷さん、Devotion Bikes(旧スペースゼロポイント)の佐藤さん、大石さんはずっとお呼びしていましたけど、サイクルワークス Fin’sの遠藤さんは「速い店長がいるから」と、なるしまフレンドの小西さんからご紹介いただいたり、だんだん1人、また1人と増えていきましたね。
ーーー振り返ってみて一番印象深い大会は?
2013年、3回目の岩佐さんが勝った年は、大変だったというか、気持ちが落ち込んだというか。
大雨の中の45kmポイントレースだったんですが、大きな落車があって。この年が初めて起きた派手な落車。自分が主催した大会で人が怪我をしてしまったというのは、めちゃくちゃヘコむというか。イベントを主催するというのはすごく重責があるんだなと。それから脚力などをにはとても気にするようになりましたね。
ーーー不可抗力とはいえ……。
レースは水ものなので仕方がないところはありますが……。
そう、この年はグローブテクニックの故・森幸春さんの最後のレースでもありますね。
森さんをずっと呼び続けていたんです。しかし「僕はいいよ」と断られていましたが、出場してくれた年は「久しぶりにみんなと走りたいから出てみようかな」と言ってくれて。でもその時はすでに病魔に冒されていたはずなので……。亡くなる半年前の出来事です。でもしっかりと完走されていましたね。
大石さんはそのとき森さんと一緒に撮った写真を、事あるごとにブログで使ってくださったり。そういうささやかなきっかけを作れたのは良かったと思います。
その翌年はキング(三浦 恭資さん)を呼びました。ライターの小林徹夫さんからも根回しをしていただきまして。この年は大石さんが勝ちました。「今日は絶対に勝ちたい。森さんに勝利を捧げたい」と。熱い……。今とはまったく違い、飛行機の手配すら大変な環境でヨーロッパに行っていた方々ですから。
レースは三浦さんが上りでバンバンアタックをしてペースを上げるんですよ。三浦さんから遅れたら何を言われるかわからないような人たちが、しょうがないから付いていくという地獄のようなシーンが続いて……。
ーーーレース界隈の上下関係が浮き彫りになりましたね……。
そうですね(笑)。佐藤さんやスプリントの新保さんが、三浦さんが行っているのに、行かないわけにいかないと。超辛かったと。なんていうドラマがありましたね。毎年なにかしらのエピソードが生まれます。
店長たちに「レースにしてもらった」というか。胸を借りているところも多分にありますね。
ーーー役者揃いですからね!
自転車のキャリア、人生経験において、今の店長たちの方が自分よりも経験豊かな方々をお呼びしているので、そういう意味では助けられたところは多いと思います。
やっぱりもうみんな自転車好きなんだなあ、と。スタート前の試走からだんだん皆さんの顔が変わっていくのが楽しいんですよ。スイッチ入ってきたな、と。
レース前のコンセントレーション。サイクルフリーダム店長の岩佐さん
ーーーさっきまで談笑していたのに。試走で何周回ってるんだと。
最初は当日の朝に集まってもらっていましたが、翌年からは前泊組が現れて、コースを試走したり。また近くのホテルに一緒に宿泊したりとか、工夫を凝らしていますね。
ーーー最後に、この企画は中島さんにとってどういう存在ですか?
自分にとってというか、自転車界というと広すぎるんですが、日本の自転車ショップ界を盛り上げられる企画であり続けたいですね。
今はみなさんの好意で成り立っている大会。続けていくためにはしっかりとマネタイズをしていかないといけないな、ということもあります。でも広告を1回も入れていないショップもバンバン呼ぶんですよ。なにか速そうとか、レースを動かしてくれそうとかそういう期待を込めてお呼びしています。でもその結果、面白いんだと思うんです。
エントリーリストに名前が入るだけで、お客様から反応がある。うちの店長が走るって喜んでもらえるっていうのは、なによりだと思います。このレースを走る事でファンが増えてこの人から物を買いたいと、そう思ってもらえるような強いコンテンツになってきたなと。自転車ショップ界にとってそういう存在であり続けたいと思います。(おわり)
成田国際空港に近いことから、空を見上げるとジェット機が幾重にも重なり飛行する
観戦に訪れた方は予想を上回るほど多かった。
店長たちの愛機は特徴的なものばかり。それを見ているのも楽しい
スタート前に記念撮影。自らを鼓舞するように
下総フレンドリーパークは1周1.5kmのスピードコース。走るにも観戦するにも楽しいコースだ
レースをよく動かした安藤光平さん(左/サイクルショップBiciclettaSHIDO)
逃げる、また逃げる。優勝した筧五郎さん(56サイクル)の強さが際立っていた
写真と文:山本健一
第1回大会から見守り続けたお二人にショートインタビュー
マトリックスの中川さんは、レースの計測を行うマトリックスにお勤めの元強豪実業団レーサー。久しぶりにジャージ姿をお見かけしましたが、この選手権に出場するとのこと。ショートインタビューを敢行しました。
ーーー中川さん、こんにちは。いつもイベントではお世話になっております。さて、この全日本最速店長選手権はいつから関わっているのですか?
第1回目から来ています。皆勤賞ですね。自社イベントで大会をやっていて、自転車で社会を盛り上げたいというところもあり、これは協力しないわけにはいかないということで、意見が一致しまして。それが7年前の出来事です。
ーーー今回は走ることになりましたね!
いつもこのレースを走っている店長を見ていて、走っているのが楽しそうだなっていうのがあって(笑)。そろそろ出させていただけませんか? とお願いをしたら、今年やっと許可が下りまして。選手の頃のように練習だけというわけではなく、できる限りですが。その成果を今日試します。
ーーーこう発揮できる場があるというのはやはりいいですね。
なにかきっかけがないと練習をしないですから。昔は毎週のようにレースがありましたから。選手をやめて11年経ちましたが、こうしたよい機会を与えていただいて光栄です。短い期間でしたが(笑)。
須藤むつみさんは、シクロクロスレースの運営やレースイベントのMCをこなし、さらに現役選手としてシクロクロスを走り、さらにレディゴージャパンシクロクロスチームの主幹を担うというスーパーウーマンです。
ーーーお疲れ様です。今回はコミッセールの立場ですね?
今回の業務は周回打鐘ですね。ウーシーアイ(※1)から派遣されました(笑)
ーーー(笑) いままでどんなことがありましたか?
第1回目からレースに携わっていますが、数々のレース線をくぐり抜けて来た名選手たちが揃うので、下手なレースよりも、記憶に残るような素晴らしい名勝負があって。思い出深いところでは亡くなられた森さんが出場されたりと、そういうドラマがたくさんあるレース。
審判としては、そういう視点で見てはいけないのですが、レースが盛り上がるように、運営したいと思っています。※1 UCI(国際自転車競技連合)をもじったダジャレです
写真と文:山本健一
著者プロフィール
山本 健一やまもと けんいち
FUNRiDEスタッフ兼サイクルジャーナリスト。学生時代から自転車にどっぷりとハマり、2016年まで実業団のトップカテゴリーで走った。自身の経験に裏付けされたインプレッション系記事を得意とする。日本体育協会公認自転車競技コーチ資格保有。2022年 全日本マスターズ自転車競技選手権トラック 個人追い抜き 全日本タイトル獲得