2020年05月26日
【Mt.富士ヒルクライムを振り返る】 “日本一の山で日本一のレースを” 2004年 第1回大会
2020年6月7日に開催予定だった第17回Mt.富士ヒルクライムは、中止となり延期開催を模索しています。本来であれば、およそ2週間後に控えた本大会にむけて運営作業も佳境の活気あふれる時期。寝不足の日々、日差しあふれる富士北麓公園の会場が懐かしく感じます。
そこで、今後にむけて前向きに進むために一度原点を振り返ってみるのも良い機会。第一回Mt.富士ヒルクライムがどんな大会だったのか、そしてどう成長していったのか、タイムスリップしてみましょう。
引用:月刊ファンライド2004.11 【速報!Mt.富士ヒルクライム】より
※記事中の人物の所属や肩書き、製品・サービス・企業の名称は記事掲載当時のものです。
DATE/2004年9月26日(日)
COURSE/富士スバルライン(山梨県富士吉田市、富士河口湖町、鳴沢村)
DISTANCE/全長25km・高低差1,270m
富士のふもとをサイクリストの帯が往く
“富士スバルラインを全面交通規制して五合目をゴールとするヒルクライムレース”という企画が立ち上がった1年ほど前、その実現は夢のような話に思えた。
しかし、山梨県、山梨県議会など地元が一丸となって開催への努力を惜しまなかったことで、次第に現実味を帯びはじめ、ついに今春、大枠の方向性が山梨県警察本部と実行委員会の間で合意される。
「日本一の山で日本一のロードレースを開催したい」
それからの半年間、実行委員会はさまざまな問題に直面しながら、富士山と格闘してきた。
迎えた当日。スタートの富士北麓公園は雲の上にあった。前日は青空が広がっていたというのに…。濃い霧の中を総勢約2500名のサイクリストが長い、長い列をなしてスタートを待つ。その後方に「2週間前に初めてMTBを買いました」という女性がいた。そのいでたちはコットンシャツに短パン「その格好じゃあ、下りは凍えちゃうよ」と隣のベテランサイクリストがアドバイスすると、彼女はあわてて駐車場へ引き返しウインドブレーカーを参加賞のバッグに入れて戻ってきた。いろんな人がいろんな思いを胸にスタートを待っている。すると「五合目は薄日が差しています!」というアナウンス。あちこちで拍手と歓声が沸き上がる。さあ、上ろう。雲の上へ出よう。もう待ちきれないんだ。
「日本一」は「日本初」
カテゴリーごとにスタートした選手のかたまりはスバルラインの料金所を過ぎると長い帯となる。勾配はさほどきつくないだけに、トップ選手はロードレースばりの先頭交代を繰り返しているが、後方のサイクリストはひたすらペダルを踏みしめるのみ。10.6kmの第一関門を通過できなかった人はわずか10名。コットンシャツの彼女も通過したようだ。
「スバルライン最高!」とカメラマンに手を振る人がいる。デジカメで記念撮影をしている人もいる。だが、ゴール手前約5kmから1kmほど続く最大斜度約8%区間でほとんどの選手が顔をゆがめてしまう。ここは、標高を上げるにつれ、晴れた霧の合間からときおり見える富士の山肌をめざして忍の一字だ。
やがて、坂は平坦なストレートとなり、スピードも30km/hを超えるが、このままゴール!と思ったら再び斜度8%近くの坂が最後に襲いかかる。
「だまされた」ともがく選手へゴール両側を埋めた家族や仲間が声援を送っている。やがて普段観光バスが並ぶ五合目はサイクリストで埋め尽くされていった。
この日、リタイアしたのはわずか17名、完走率は99.1%。実行委員会が基本コンセプトとしたトップからビギナーまでが同じスタートラインに立ち、ともにゴールを目指すという思いは、参加者が驚異的な完走率という形で応えてくれた。
「日本一の大会」は「日本初の大会」をめざすことでもあった。それは、スポーツバイクさえあれば(たとえそれが初めてのレースであっても)誰でも日本一の山、富士山を上ることができるレースの実現だった。
レースは限られた人のものではない。
「来年もまた富士山で」
アドバイザーの今中大介さんは「有料道路を自転車が思いっきり走れる環境を作った功績は大きいですね。自転車競技の底辺を広げる、素晴らしい大会だったと思います。とにかく参加された方が喜んでくれたのがうれしいかったですね」とコメントした。
筧選手(日本アイランドあづみの)は、名古屋市の喫茶店「コーヒーハウス・カコ」でパン職人として働きながら、実業団登録する強豪。「ゴール手前の坂で、村山(利男)さんがインナー・ローにギアチェンジした瞬間に勝負に出ました。最高にうれしいです」記念すべき初代王者に輝いた。
Mt.Fuji Hill Climb Inside Story
【レース前夜、招待選手が話し合ったこと】
今大会の招待選手はファンライドが声を掛けさせていただいた。
当初、招待選手へ示した条件は「レースは引っ張ってほしいがゴールは一般参加者に譲ってほしい」というもの。招待選手は表彰対象外のため、レースの盛り上げに一役買ってほしいと願い出たのだ。しかし、それは身勝手な話だったと思い知る。
いったんは引き受けてもらったこの条件だが、前夜のミーティングで覆る。「やはりプロの走りを見せることがわれわれの責任ではないか」という意見が招待選手たちの中から出てきたのだ。そこで、橋川、真鍋、福島兄らを中心にプランは再考された。「トップは本気で行こう。けれど遅い人たちにも僕らの走りを見てほしい。晋一とぼくは最後尾から行きます」橋川はそう結論づけた。
スタートセレモニーで別府は「本気で走ります。かかってきてください」と宣言した通りの圧倒的な力で、誰よりも速くゴールを駆け抜けた。そして、最後尾から橋川、福島兄が参加者へ声を掛けながら走った。「今日はずっと参加者とコミュニケーションできましたよ」と橋川はゴール後笑ってくれた。
「来年も呼んでくださいね」と言葉を残して会場を後にした招待選手たちには感謝の言葉もない。
関連URL:「富士の国やまなし」Mt.富士ヒルクライム公式ページ https://www.fujihc.jp/
写真:高橋秀明 伊藤均 FUNRiDE編集部
Zwiftとのコラボ企画
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最新情報はこちらから。
https://funride.jp/events/fujjixzwift-virtual-race2020/
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著者プロフィール
ファンライド編集部ふぁんらいど へんしゅうぶ
FUNRiDEでの情報発信、WEEKLY FUNRiDE(メールマガジン)の配信、Mt.富士ヒルクライムをはじめとしたファンライドイベントへの企画協力など幅広く活動中。もちろん編集部員は全員根っからのサイクリスト。