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2025年04月25日

第2回 頑張ろう北陸 復興応援ライド「祭りは人を惹きつける」

2025年4月20日、富山県射水市の海王丸パークを起点に富山湾岸サイクリング2025が開催された。

これは日本国内に令和7年現在で6ルート指定されているナショナルサイクルルートのひとつ、富山湾岸サイクリングコースを利用して行われているライドイベントだ。
ちなみにナショナルサイクルルートとしての富山湾岸サイクリングコースは、西は石川県境近くの氷見市から、東は新潟県境近くの朝日町までの102kmとして設定されている。

このイベントと併催という形で、「頑張ろう能登 復興応援ライド」が行われた。これはサイクルツーリズム研究会(代表・野嶋剛大東文化大学教授)が主催するボランティア的なイベントで、射水市から氷見市を越えて石川県に入り、七尾市で昼食を兼ねた意見交換会のあと、さらに中能登町、羽咋(はくい)市を経由して熊無峠を越え、富山県に戻るコースを60人ほどが走ることになった。

富山湾岸サイクリングをスタートする新田八朗富山県知事と馳浩石川県知事。写真:大前仁

2024年1月1日に起きた令和6年能登半島地震は能登半島の北端、石川県珠洲市を震源とし、最大震度7という恐ろしいものだった。北陸を走るイベントといえばいの一番に「ツールドのと400」の名前が挙がるが、1989年に第1回が開催された同イベントはこの地震の影響を大きく受け、24年にはコースを大きく短縮して1日のみのイベントとして開催された。

富山湾岸サイクリング80kmコースのスタートには、新田八朗富山県知事と馳浩石川県知事がハンドルを並べた。馳知事は「被災地の方が特に気にしていることは何だと思いますか? 皆さんの関心がなくなることです。自転車イベントは、震災が忘れられてしまわないために、非常に意味があることなんです」とコメントし、スタートしていった。

沿道は復旧が進み、特に富山県内の路面には問題になるところはない。しかし地元の人によればかなりの場所で舗装をやり直したり、多くの人の手が入った結果であるそうで、そう言われてみれば駐車場もフェンスも塀も、まだまだ直りきってはいないようだ。馳知事によれば「例えば、まだ数万の墓石が倒れたままです」という状態で、1000億円ともいわれる国からの特別交付税も、まずは生活インフラなどを優先して使われてきた。

富山県内の国道160号線、路面はスムーズ。写真:大前仁

石川県に入ると富山湾岸サイクリングコースの標識はなくなり、代わっていしかわ里山里海サイクリングルートの標識が現れた。七尾市の道の駅・いおりではクルマでワープしてきた馳知事が自転車にまたがり、先頭で国道160号線の峠へと突入していく。下りきったところのセブンイレブンで自転車を持って待ち構えていたのは、後で聞けば七尾市長の茶谷義隆さんだった。

石川県七尾市の道の駅・いおりで集合する応援ライド参加者。写真:大前仁

昼食会場となった七尾市の道の駅・能登食祭市場では、馳知事と茶谷七尾市長、そして宮下為幸中能登町長が席に着き、野嶋代表とともに意見交換会に臨んだ。能登地方は、毎週どこかでお祭りがあるほど祭りが盛んな地域で、能登出身の人は盆や正月ではなく、祭りで帰ってくるほどだという。茶谷市長は「家が復旧しても、地域が復興するためには人の心がすさんでいてはダメ。そのためには祭りがとても重要だ。こんなときに祭りをしていいのかと意見は半々に分かれたが、元気をつけるためにやることにした。祭りは人を惹きつける」とコメント。自転車で能登の地を巡ってもらうことに期待を寄せた。

七尾市の道の駅・食祭市場での意見交換会。写真:大前仁
意見交換会に臨む左から野嶋剛サイクルツーリズム研究会代表、馳浩石川県知事、宮下為幸中能登町長、茶谷義隆七尾市長。写真:大前仁
石川県の戦略広報監、中塚健也さん。Tシャツに注目。写真:大前仁

サイクリストへの期待という点では、参加者でもある石川県の職員の方が「#能登のために 走って応援、ありがとう」とプリントされたTシャツを着て、馳知事より紹介された。ハートの赤は漆器の赤、石川県の金色は金箔をイメージしているという。このマークは石川県のウェブサイトにデータで提供されており、「走って応援中!」なども選ぶことができる。
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/saigai/202401jishin-ouen.html#ouen

七尾市から再スタートする応援ライド参加者。雨支度は必須となった。写真:大前仁
富山県に戻り、お休み処くまなしで雨宿りする参加者たち。カツリーズサイクルのベンツがサポートしてくれた。写真:大前仁
富山湾岸サイクリングはナショナルサイクルルートのペイントが目印となる。写真:大前仁

従来、3日間で開催されていたツールドのと400については、今年はまだフルスケールでの開催はできないという。馳知事は「解体作業などで数万人が入っており、宿泊所が足りずコンテナハウスや体育館で寝泊まりしている状態です。10月までに3万9000棟を解体し、その廃棄が来年3月までの予定。今年は不可能です、来年以降に対応したいと思います」と明言した。

意見交換会を終えて参加者は七尾市から中能登町へ。途中、「一青」(ひとと)という信号でたまたま止まった。そういえばこのライドの団長は一青妙さんで、中能登町の観光大使でもある。一青さんはさきほどの会の最後で「富山と石川と福井、北陸3県がつながってのツールド北陸がいつか実現できたら」と大きな夢を話してくれた。地元ゆかりの一青さんが言うと、実現しそうな気がするから不思議だ。

射水市の海王丸パークで氷見ベジのスープを持つ一青妙さん。写真:大前仁

ライドはJR七尾線を金丸駅でまたぎ、羽咋川を邑知潟(おうちがた)大橋で渡って富山県境の熊無峠へと向かった。午前中からぽつぽつ来ていた雨がこの頃から本降りになり、七尾から和倉温泉方面へと向かった、氷見高校自転車競技部の若者らロングコースの参加者が峠のお休み処で追いついてきた。最後は下り基調で海王丸パークへ。湾岸サイクリングの参加者はもうほとんどいなかったが、氷見ベジによる洋風豚汁と珠洲の塩むすびが用意されていて、冷え切った身体をあたためてくれた。復興支援っていろんな形があるんだな、と印象的なライドイベントだった。

写真と文:大前仁

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