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2025年09月19日

第37回目のツール・ド・のと。能登半島の今を伝える2日間のロードトリップ

37回目を迎えた「JAグループ石川・ひゃくまん穀プレゼンツ第37回ツール・ド・のと400」が2025年9月14日に開催された。本大会は昨年と同様にワンデイイベントとして実施され、2日目には特別企画「奥能登復興サイクル100」を開催。奥能登地域では震災後初となる大型イベントとなった。

全国から500名のサイクリストが集結

ミュージシャンのうじきつよしさん、エッセイストの一青妙さん、フォトグラファーの砂田弓弦さん、元プロサイクリストの大石一夫さん、門田祐輔さん、 唐見実世子さん、そして筧五郎さんとゲスト陣が大会を盛り上げました

ツール・ド・のと400は本来、3日間かけて金沢から奥能登を巡り、再び金沢へ戻る長距離サイクリングイベントだ。しかし2024年の震災後は期間と距離を短縮して開催しており、この形での実施は今回で2回目となる。

全国から500名のサイクリストが集結し、同じ目標に向かって仲間と協力しながら力走した。筆者は前回大会にも参加しており、地域が着実に復興へ向けて歩み出している様子を肌で感じることができた。

エイドステーションでは ひゃくまん穀 おにぎりをはじめ、地域の特産物などが提供された。
写真は第一エイドで提供された内灘町の内灘餅(ピーナッツ餅)

悪天候もむしろ快適なライドに?

天候は大気が不安定で、大会前夜は強い風雨と雷鳴に見舞われた。翌朝もぐずついた天気が続き時折強い雨が降ったが、猛暑で疲れた身体には心地よいシャワーのように感じられた。濡れた路面でパンクなどの軽微なトラブルは増加したものの、大きな事故もなく初日を終了することができた。

特別企画「奥能登復興サイクル100」

輪島の中心地にある、輪島キリコ会館がスタート会場となった、およそ100名の参加者が集まり、サポートライダーの安全管理のもと、10組のグループライド形式で走行した。

2日目(9月15日(月・祝))は参加者を100名に限定した特別企画「奥能登復興サイクル100」をグループライド形式で実施。コース設定は直前まで慎重に検討され、最終的に輪島キリコ会館をスタートし、珠洲市の道の駅すず塩田村を往復する48kmのルートとなった。

復興ライドのメインルートは国道249号の「奥能登絶景海道」。自然隆起による地形や波の浸食で形成された奇岩など、絶景を楽しめるコースだったが、震災後はまだ全面開通はしておらず、緊急車両と地域住民のみが通行可能な状況である。この海道を今回は特別に走行させていただいたのだ。

衝撃を受けたのはこの風景。かつてはテトラポットの位置まで透明度の高い海水が満たされていたが、地震による地殻の変動で陸地となっている。

自転車だからこそ見えた現実

ゲスト参加した元プロサイクリストの門田祐輔さんは前回大会にも参加し、それを契機に今年2月には災害ボランティアとして輪島を訪れたという。「前回はバスでの移動でしたが、自転車で走って初めて分かったことがたくさんありました」と語る。

門田祐輔さん(先頭を走行)

実際に走ってみると、路面状況の厳しさが如実に伝わってきた。至る所にひび割れや穴が目立ち、こうした厳しい現実に気づかされるのも自転車ならではといえる。

能登の里山里海」の千枚田

世界遺産にも認定された日本を代表する棚田のひとつ、「能登の里山里海」の千枚田。400年続いた棚田があの大震災で大きなダメージを受けた。 震災後初めて見た棚田の姿は、半数は耕作をしていないものの一部では稲穂を揺らす姿が見え、その伝統が紡がれていることがうかがえた。また棚田一面に黄金の風景が広がるのはそう遠い未来ではないと感じさせた。

走行禁止区間の先には、崩落したトンネルや地滑りで寸断された道路が続いている。文字どおり山が崩れみたことがないほど山肌が露出し、想像を絶するようなことが起きたのだと知ることができる。素人目にも復旧の困難さが伝わってくる状況で、完全な復興には相当な年月を要することが予想される。

来たる開通の日を想像して

国道249号の緊急復興道路

迂回路として設置された緊急復旧道路は、堤防外側の隆起した大地に建設されており、震災の爪痕と復旧への取り組みを同時に物語る印象的な光景だった。
「こんなところに道を作れるのか」。驚きとともに走行した迂回路は滑らかで走りやすい。震災がなければ見られなかっただろう海に面した巨大な奇岩には息をのむ。この高い土木技術を垣間見て、来たる開通の日にむけて大きな期待感を抱くことができた。能登復興事務所では令和11年に本復旧を目指している。


この大会は単なるサイクリングイベントを超え、復興支援と現状認識の貴重な機会となった。参加者一人ひとりが奥能登の「今」を体感し、継続的な支援の重要性を再認識する意義深いイベントとなった。

成田加津利さん。競輪選手引退後は内灘町でサイクルショップ「 カツリーズサイクル&デザイン 」を営み、デザイナーとしても活動

ツール・ド・のと400運営の中核を担う成田加津利(なりた かつり)さんはこう言う。
「このタイミングでお祭り騒ぎのようなことをするのがYESかNOなのか。それぞれの思いがあると思う。僕の場合はそろそろ能登へ観光客を呼んでもいいと思った。僕はサイクリストなのでサイクリストたちがたくさん戻ってきてくれるような発信を。それが今回のイベントであれば」。

これからについては、「今日行われた復興ライドの距離を、次は本格的なサイクリングイベントとして成立する距離まで伸ばしたい。今回は100キロを走る予定でしたけど、8月の大雨の影響でコースを短縮しなければいけなくなってしまいました。これは“もうちょっと待てよ”ってことだったんだと思います。まだまだツール・ド・のとを3日間に戻すためには課題があります。例えば宿が足りないなどの状況下ですので、このようにワンデイイベントでいくつか開催できればな、と」

と、 災害復興と観光再生のバランスを取りながら、段階的にイベントを発展させていこうという現実的なアプローチを進めている。今回のイベントは国を動かし、多くのメディアから報道がなされ能登の今を伝えることができた。

「参加してくれることそのものが支援だと思っていただき、積極的に能登へ足を運んでくれたらと思います」と成田さんは締めくくる。

大会後“能登ロスだ”、と成田さんはSNSでつぶやいた。
すかさず「ロスから帰国しました」。
次回にむけて準備は始まっている。

関連URL:大会公式サイト http://tour-de-noto.com/

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