2024年12月27日
TOMOYAの「どすこい」サイクリング Vol.2 今シーズンまでの振り返り、そしてこれから
皆様こんにちは、小山智也です。
「どすこい」サイクリングと題して前回スタートさせて頂いた連載ですが、お読み頂いた皆様ありがとうございます。
2回目の今回は、自転車を始めてから今シーズンまでを振り返っていこうと思います。
三浦恭資氏との出会い/2015年
私の自転車競技を語る上で欠かせない人物は、自転車を始めてほどなくして出会った三浦恭資氏です。
ヨーロッパで自ら道を切り開いてこられた三浦氏のお話を聞く中で、「ヨーロッパでプロになる」ことを志しました。
とはいうものの高校生でしたので、三浦氏が運営されていた実業団チームでレース活動を開始しました。
タイ合宿とフランス遠征/2016年
高校卒業直前の年末年始、新城幸也選手が毎年タイで行っている通称「タイ合宿」に参加させていただけることに。
現地では右も左もわからない状態で、当然ながら木っ端微塵になりつつも、タイ合宿で出会った先輩のツテでフランスへ行けることになりました。
タイ合宿から帰国し、高校卒業を待たずして(卒業が確定していたので)フランスへ。
初めてのヨーロッパということで戸惑いながらも、個人的には良いイメージを持って帰国。
J Pro Tour参戦と上京
3ヶ月間フランスに滞在。帰国後は、JBCF(全日本実業団自転車競技連盟)の最上級カテゴリーであるJ Pro Tourを走ってみようと、イナーメ信濃山形の門を叩きました。
フランスへ行く前に、JBCFのレースを数戦走ってE2(実業団Eカテゴリー3つのうちの真ん中)まで昇格していたものの、J Pro Tour参戦資格(当時はE1で3位以内入賞)がなかったため、帰国後の2ヶ月ほどで参戦資格を取得し、後半戦J Pro Tourに参戦できることになりました。
タイ合宿では新城幸也選手の他にも、土井雪広さん(当時は現役選手)や横塚選手と出会い、タイから帰国後も練習環境を求めて上京することを決意しました。
当時土井さんはじめ、多くの選手が参加していた練習会に参加すべく、立川のネットカフェを宿がわりに滞在していました。そして毎週参加することに。
その練習会とは東京の自転車ショップ、なるしまフレンドのスタッフが定休日に行っていた「なるしま水曜練」。この練習会のボス、なるしまフレンドの小畑選手は、特に誇れるようなリザルトもなかった私に
「本気でやるならやってみれば」
と、背中を押してくれるような言葉をかけてくれました。それを鵜呑みに……。
タイ合宿(2回目)と新人賞ジャージ/2018年
2017年はJ Pro Tourの後半戦に数戦出場し、その年の年末年始もタイ合宿に参加することに。
タイ合宿で身体を仕上げて迎えた2018年のJ Pro Tour開幕戦では、スプリントで一桁の順位に入り、U23カテゴリーではトップだったため新人賞ジャージを獲得。
社会人レーサーチームだったイナーメ信濃山形で、監督の中畑夫妻をはじめ、多くの大人の皆様の中でのびのびと走らせていただきました。
小畑さん宅に居候?
ネットカフェ生活から、一時国立市にアパートを借りて一人暮らしを試みたものの、毎週小畑選手たちと遠征を重ねる日々の中で、ご厚意で居候させて頂くことに。
結果的に一年の大半をヨーロッパで過ごすようになった最近まで、5年ほど居候させて頂いていました。
初めてのコンチネンタルチームInterPro Cycling Academyへ 2019年
1年間新人賞ジャージを争って、結果的に敗北したシーズンを終えて、翌年は自身初めてのコンチネンタルチーム「InterPro Cycling Academy」に所属することに。
日本籍のチームでしたが、多国籍な選手で構成されており「ヨーロッパでプロになる」という夢に向かってワクワクしていたのを覚えています。
初めてのUCIレースとなった「Tour de 栃木」で、うまくアシストできてチームメイトが優勝したり、「Tour of Japan」に出場したり、楽しいシーズンを送ることができました。
しかし、この年はヨーロッパでUCIレースを走ることは叶いませんでした。
アメリカ籍のHincapie LEOMO p/b BMCへ移籍 2020年
InterPro Cycling Academyが吸収合併される形で、アメリカ籍のコンチネンタルチームHincapie LEOMO p/b BMCに移籍
コロナ禍だったこともあり、国内外問わずレースができない状況で、この年もヨーロッパで走ることは叶いませんでした。
Team UKYOへ移籍 2021年
コロナ禍で経済的な影響を受けてチームが解散になり、海外籍のチームが見つからず、国内のTeam UKYOに、ギリギリのタイミングで契約をしていただきました。
ここまで所属していたチームの中では、群を抜いて環境が整っていて感動したのを覚えています。
自転車はもちろん、ウエアや補給食まで、すべてが十分すぎるほどのサポート体制でした。
しかし、引き続きコロナ禍だったので、ヨーロッパでレースをすることは叶わない一年となりました。
JAVA Kiwi Atlanticoへ移籍 2022年
InterPro Cycling Academy時代から毎年チームメイトだった石原選手(現シマノレーシング)と知り合いのツテで見つけてきた、JAVA Kiwi Atlanticoというヨーロッパをベースとするチームに移籍。
この年初めてヨーロッパのUCIレースを走ることができました。
しかし、あまりのレベル差(出場したレースがチャレンジマヨルカだったこともありますが)に、まったく何もできず、おまけにチームが春先で空中分解して後半戦は無所属に。
そんな中、新城幸也選手が気にかけてくださり、自身も活動拠点を移されていた「アンドラ公国」でのトレーニングに同行させていただけることに。
当時日本チャンピオンだった新城幸也選手に引き摺り回して頂く日々の中で「やっぱりヨーロッパでプロになりたい!」とモチベーションを維持することができました。
さらに、帰国時は以前からお世話になっていた水野恭兵さんが作った若手育成チームでJ Pro Tourを走らせていただき、レースに出るという意味でもモチベーションを保つことができました。
Global 6 Cyclingへ移籍 2023年
散々な一年の中でも、「来年もやりたい!」という一心からチームを探し続け、Global6 Cyclingへ移籍。
海外チームとしてTour of Japanに出場したり、世界トップクラスのTour of Britainに出場したり、かなり活動の幅が広がったシーズンでした。
この年も夏場はアンドラ公国に滞在し、標高が高いところへ移ったこともあって新城幸也選手とトレーニングさせて頂く機会は減りましたが、Victor De La Parte選手(現Euskaltel-Euskadi)やNairo Quintana選手(現Movistar)と交流が深まり、彼らのグループで毎日トレーニングをさせて頂けることに。
ヨーロッパでの生活、トレーニング、レースに慣れてきたっこともあってか、後半に行われたTour of IstanbulにてヨーロッパのUCIレースで初めてTop10を獲得。
Team Vorarlbergに移籍するもシーズン半ばで別チームに移籍 2024年
迎えた今年、2024年。前年にTop10に入れたことと、Victor De La Parte選手の口利きで、オーストリアの名門チームTeam Vorarlbergに移籍しました。
Team UKYOに匹敵する好環境でしたが、完全にドイツ語チームであったことでうまく監督陣とコミュニケーションがとれず、レースに出ることができない日々が続きました。
そこで意を決してオーストリアを脱出、アンドラに戻りシーズン半ばでチームを変えることに。
昨年末に同じく話をしていたルーマニア籍のVini Monzon – Savini Due – OMZに移籍し、ルーマニアやブルガリアで多くのステージレースを完走。
順位的には15位が最高成績でしたが、完走率が低かった昨年と比べて、余裕を持って完走することができ、チームのために仕事ができることを示せたシーズンとなりました。
と、こんな感じでこれまでのチーム歴を書いてみました。
2025年は……
2025年シーズンはスペイン籍のUCI Pro Team『Burgos BH』で走ります。
小山にとって初めてのUCIチームであったInter Pro Cycling Academyの監督が、その後にBurgos BHの監督になっており、過去3年間コンタクトを取り続けていたことがキッカケで契約する事が出来ました。
自転車を始めた当初の「ヨーロッパでプロになる」という目標自体はこれで達成する事ができた反面、ここからが本当のスタートだと言う気持ちが強いので、未来へ繋げていけるように精進していきます。
写真と文:小山智也
小山智也さん SNS
X:https://x.com/tomoyakoyama1
Instagram:https://www.instagram.com/tomoya.story
YouTube:https://youtube.com/@tomoyacycle
著者プロフィール
小山智也こやま ともや
スペイン籍のUCI Pro Team「Burgos Burpellet BH」所属、プロロードレーサー ダイエットで自転車を始めてすぐ出会った方々のおかげでヨーロッパを志し、今もヨーロッパでレース活動を続ける。