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2019年04月11日

イベントヒストリーVol.1 「富士チャレンジ200」

今年は「平成」から「令和」へと元号が変わる節目の年。移り変わる時代の中でFUNRiDEイベントは常に「今のサイクリストにマッチしたイベントを」をコンセプトとし、少しずつその内容を変えています。今回は「距離への挑戦」をコンセプトとする「富士チャレンジ200」の歴史を振り返ってみましょう。

★空撮027 
第1回の開催は富士スピードウェイのリニューアルがきっかけだった

「距離への挑戦」をコンセプトとする「富士チャレンジ200」。まず、開催に至るまでの経緯を振り返ってみよう。
FUNRiDEは2001年(平成12年)まで静岡県袋井市のヤマハテストコースで「サイクルエンデューロ袋井」というエンデューロレースを開催していたが、事情により中止が決定。そこで、当時大幅なリニューアルを進めていた富士スピードウェイと「リニューアル記念イベント」の検討を進め、「サイクルエンデューロ袋井」の代替イベントとして、富士スピードウェイでの開催具体化を進めていた。

時間ではなく「距離」のコンセプト

検討を進める中、「せっかくの富士スピードウェイという晴れ舞台。これまでと同じエンデューロでいいのか」と企画会議では議論が白熱。そこで出たのが「距離への挑戦」という今も変わらないコンセプト。当時は「距離」を押し出すイベントは「ツール・ド・おきなわ」など少数しかなく、サイクルイベントといえば「エンデューロ(=規定時間内にチームで選手交代しながら周回を競う)」がほとんどだった。
その時代、「200km・ソロ・制限時間7時間」という富士チャレンジ200のコンセプトに対しても、内外から「無謀だ」「完走できない」「集客が難しい」という批判ばかりが寄せられていた。しかし、新しい富士スピードウェイというステージには「新しい挑戦」がふさわしいと最終判断。2002年(平成13年)1月に「富士チャレンジ200」の開催要項が決定した。

富士社告
当時の月刊ファンライドに掲載された募集告知「時間ではなく距離」とうたっている

第1回大会の完走率は43%

記念すべき第1回は2002年6月14~15日の2日間にわたって開催された。200kmソロの参加者は約200名。2~4人の「チームエンデューロ」は約500チームと、第1回大会はチームエンデューロ参加者が多数を占めた。集客懸念は払拭できなかったが、レースではソロ参加の奈良浩選手(チーム物見山)が優勝。戦前の予想は「チーム勢が上位を占め、ソロ参加は敵わないだろう」というものが大半だっただけに、奈良選手の快走は富士チャレンジ200のコンセプトを実証する結果となった。なお、7時間以内に200kmを完走した選手の割合は43%とその過酷さも同時に実証された。

富士チャレ2 富士チャレ01
優勝した奈良選手は現在もJプロツアーで活躍する    第1回大会はMTBの部も開催された

大会の成長と課題の顕在化

第2回大会は完走率も50%へアップ。回数を重ねるごとに100kmの部、キッズレースなど新種目を設定し、それに併せて参加者数も増加していった。2006年(平成18年)には総参加者数が3,000人を突破。わずか5年でワンディのサーキットイベントとしては日本最大規模の大会に成長したが、雨にたたられることの多い会場のため、開催時期を模索したり、規模拡大による安全性の確保など、成長の影で顕在化する課題対策も並行して進められた。

富士チャレ3
第3回大会のみ群馬CSCで開催(富士スピードウェイ工事のため)。今は亡き森幸春さんがペースメーカーを努めた

距離への挑戦・戦いのステージ

2009年(平成21年)春に「富士チャレンジX」と称したタイムトライアルとチームエンデューロ中心の新イベントを開催し、秋の「富士チャレンジ200」と併せて年2回開催を実現(2年で終了)。また、回数を重ねるごとに「ツール・ド・おきなわ市民200km」の前哨戦、という位置づけが明確になる。ソロ200kmにはその年の「強豪市民サイクリスト」が顔を並べ、ビギナーサイクリストにとっての「距離への挑戦のステージ」と強豪サイクリストにとっての「戦いのステージ」というイベントの性格が鮮明になっていく。

富士チャレ3
シマノ、ブリヂストンなど国内トップチームのほか新城幸也選手などプロ選手との「共走」もイベントの魅力

距離への挑戦・戦いのステージ

このイベントはさまざまなレベルのサイクリストが、それぞれの目標に向けて、「集団」となって向かっていく点が最大の特徴だ。そこに富士スピードウェイのコース設定がサイクリストに味方する。一度だけ、群馬CSCで開催したとき、200kmの制限時間(7時間)完走率はわずか10%に落ち込んだ。いかに富士スピードウェイが高速巡航に向いているかが証明されたわけだが、富士スピードウェイでは「200km(100km)」という目標に対し、すべてのサイクリストが一体となって突き進むことができるのだ。
走りきったあとの達成感は、このイベントを完走した人でしか味わえない独特のものだ。それは富士ヒルクライムで感じる達成感とも、競技は異なるがフルマラソンのそれとも違う。スピードの恐怖と戦い、疲労と痛みに耐え、集団から遅れ、それでも前へ進む。「勇気」を支えに走りきった結果得られる「富士チャレならではの達成感」をぜひ体感してほしい。
今年からはチームで戦う「チーム表彰」を設定するほか、「周回ポイント」、逃げやアタックを試みる選手への「敢闘賞」授与など、チャレンジャースピリットをさらに応援する富士チャレンジ200。
不変のコンセプト「距離への挑戦のステージ」が、あなたのチャレンジをお待ちしています。

◆大会ホームページ
http://www.fujichallenge.jp/

 

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