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2023年02月21日

あの日の夢~これからの夢  EF エデュケーション-NIPPO デヴェロップメントチーム監督 大門 宏さん(後編)「これからも目指すのは」

その一方で、チームの成績は絶好調で清野慶太さんが全日本ロードレース連覇(1995~96年)、柿木孝之さんが全日本タイムトライアル優勝(1995年)、またアンドレア・グィドッティ、後に世界チャンピオンになるオスカー・カメンツィンらスイス人選手も在籍し、チームの快進撃に大いに貢献した。

提供:大門 宏さん

日本も世界の舞台で渡りあって行けるんじゃないか

1995年には、大門さんはJOC(日本オリンピック委員会)のスポーツ指導者海外研修員として渡欧し、イタリアナショナルチームと共に活動した。

当時の日本を代表するメンバーで構成された。提供:大門宏さん

「同時進行でJCFのナショナルチームのコーチもやらせて頂いてました。
当時の日本のロードレースを代表する飯島誠、柿木孝之、清野慶太、真鍋和幸、阿部良之といったメンバーで、2月から海外でずっと遠征していました。
浅田監督と提携したNIPPO 梅丹本舗のシーズンもそうでしたが、今でも、ああいう強い願望、意識を持った強力なメンバーが集まれば日本も世界の舞台で渡りあって行けるんじゃないかって思います。
僕自身はイタリアのナショナルチームと情報を交換しながら雑務に徹して居ましたが、活動を通して多くのことを学びました」

自転車強豪国のイタリアから、ノウハウを学ぶべく「JOCスポーツ指導者海外研修員についてJCFから推薦して頂きましたが、渡航までの手続きはビザを取得するため、色々な条件を満たす必要もあり色々と大変でした」。

「その資格を得るには先ず明確な研修先を見つけないといけないということで、知人のイタリア人のベテランメカニックに相談したら、アルド・サッシに相談してみろってアドバイスを貰ったんです」 

故アルド・サッシ氏はイタリアの名トレーナースポーツ医学研究のエキスパートで、フランチェスコ・モゼールのアワーレコードをサポートし、後にイヴァン・バッソ、カデル・エヴァンスなどグランツール王者を育て上げてるだけではなく、イタリアのスポーツ全体のナショナルチームの活動に大きな影響力を持っていたことで知られていた大物だった。

「日本のスポーツ界の地位に置き換えるとJASSのトップクラスに該当する現場型トレーナーです。
案の定電話してもいつも秘書の応対で本人と全然話せない。僕も今だったら最初から諦めて素直に引き下がって別の人を探しますけど、あのころは僕も情熱が漲ってて若かった(苦笑)。
しつこく粘って何度も電話したら、なんとご本人が僕が滞在していた田舎にわざわざ会いに来てくれたんです。
僕の辿々しい未熟なイタリア語と英語で身振り手振りで主旨を説明しながら世界のトップのイタリアの自転車競技界からどうしても学びたいと一生懸命頼み込みました。
僕は基本的にかなり記憶力が良くないんですが、今でも当時の彼とのやり取りは覚えています」

“今でも彼とのエピソードは僕にとって一生の財産です”。とサッシさんとのやりとりを大門さんは懐かしそうに話した。

「しかし彼から“自分は忙しいから直接は関われない”と言われ、紹介してくれたのが当時彼の研究所の一番弟子だったロベルト・ダミアーニさん(現コフィディス監督)でした。
それから正式にアルド・サッシ氏が所長を務めるマペイスポーツ科学センターの彼の元での研修がスタートしました」

そこでダミアーニさんから学んだのが、サッシさんが自ら研究し考案した最新のトレーニング理論。メディオ、ソリアといった運動強度をもとにしたメニュー作りや、重いギアを低回転で回すトレーニングのSFRなどだった。

「当時も最先端でしたが、元々『メニュー』という言い方は彼らが最初に使い出した言葉です。
回復力の曲線の重要性など含めて、いまだにどのトレーナーも同じことをやっているようなものですよね。僕も勉強になったし、柿木(現JCF強化コーチ)にとってもコーチとして指導の基礎になったと思います」

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