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2018年06月05日

元ジロ王者の引退。ダミアーノ・クネゴの描くセカンドキャリアとは

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1981年9月19日生まれ、現在36歳。
プロとして17年目のシーズンを迎えたダミアーノ・クネゴが、ついに引退を決意した。「2020年の東京五輪まで続けるという選択肢はあったけど、選手としての限界を感じているし、ファンをがっかりさせる前にやめたかった」と、現役最後のレースが迫るなかでその心境を語った。

”イル・ピッコロ・プリンシペ(小さな王子様)”の愛称とともにイタリアをはじめ全世界で愛されるクネゴ。2004年、新星のごとく現れ、チーム内のエースを抜き去り、22歳の若さにしてジロ・デ・イタリアを制したことで、一躍トップスターへの道を歩むこととなった。

その後も多くのトップレースで勝利を重ねてきたが、2015年より第二ディビジョンであるプロコンチネンタルチーム「NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニ(2018年チーム名)」に移籍。イタリアと日本の共同チームという独自の運営方針をもつチームにキャプテンとして迎え入れられ、2016年のジロ・デ・イタリアでは山岳賞ジャージを着用し、2004年の総合優勝時以来となるジロの表彰台に立ち、2017年には、標高4120m、世界最高地点にフィニッシュするツアー・オブ・チンハイレイクの山岳ステージを制するなど活躍した。

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日本での最後の公式戦を走ったクネゴ。来日回数は数え切れないほどで、今後もイベント等で来日予定

そんなクネゴの描いた理想の引退シナリオは、「もっとも思い出深いレース」と話すジロ・デ・イタリアをラストレースとすることだった。しかし、チームは主催者招待枠を獲得できず、クネゴの願いは叶わなかった。選手引退後はトレーナーに転向するという目標をもち、数年前から大学に通うなどして準備を重ねてきたクネゴにとって、7月に北イタリアの高地・リヴィーニョで実施されるチームのトレーニングキャンプからトレーナーとして参加することは絶対であり、必然的に引退レースは6月中旬のツール・ド・スイス(UCIワールドツアー)、そして6月末のイタリア選手権と決まった。さらに、多くのファンをもち、大好きな国に数えられる日本で5月に開催されるツアー・オブ・ジャパンへの出場を「最後にもう一度、日本のレースを走りたい」と、シーズン序盤から熱望した。

来日前に鼻の持病が悪化し、一時はドクターストップにより来日見送りかとも思われたが、最終的にはなんとかドクターの許可も得て、開幕直前に念願叶って来日。無事に8日間のレースを走り終え、翌日の5月28日に東京・青山にある美しいガラス張りが目を引く「秀光ONE・青山ショールーム」にて、メディアやファンを招いてクネゴのトークショーが開催され、これまでの輝かしいキャリアを振り返り、今後のヴィジョンが紹介された。

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いかにクネゴが偉大で魅力的な選手であるか、力説するジョルジョ・スタラーチェ駐日イタリア大使

家具製造販売、オフィスなどの内装工事を主に手がける秀光は、2010年よりイタリアのカラー鋼板の大手ランプレ社との業務提携を開始。2011年には日本での独占契約を結んだ。その縁があり、2011年にジャパンカップで当時クネゴが所属していたランプレ・ISDが来日した際、チームをアテンドする機会を得た。

 

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秀光ONE・青山ショールームにてNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニの全選手が紹介された

当時の様子やスポンサードすることになった経緯を秀光の佐久間悠太取締役はこう語る。
「2011年は震災のあった年で、多くのチームが来日を渋るなか、真っ先にランプレが来日することになった。当時はまったく自転車についての知識もなかったが、クネゴのまじめで日本のファンを大切にする姿勢や、日本のスポーツにはないスポンサーに対する敬意を感じ、付き合っていて、とても気持ちのいい選手だった。スポーツ選手とはこうあるべきだと思ったし、若いイタリア人選手に対しても、彼が見本になり、アドバイスもしていた。それからランプレが来たときは、スポンサーをするようになった」

一方のクネゴも初来日は2002年となるが、「最初は日本についてアニメしか知らなかった。来日して多くのことに驚き、なかでも東京の大きさに驚いた。電車は時間通り動き、多くの人が行き交っている風景が印象的だった。秀光はランプレチームのスポットスポンサーだったけど、佐久間社長はいつも自宅に自分たちを招き、素晴らしい食事でもてなしてくれた。そのなかで友情が生まれたんだ」と振り返る。

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ランプレのカラー鉄板を紹介する秀光の佐久間修介代表取締役

ランプレは2016年をもって自転車競技のスポンサーから撤退することとなったが、その後も秀光は、「当社はイタリアのデザインを取り入れて、日本で製作を行っている。そういう点で、現在のNIPPOとの活動方針とも合致している」と、クネゴの現所属チームであるNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニのサポートを続け、今回のツアー・オブ・ジャパンでもスポットスポンサーを務めたが、その背後にはクネゴと佐久間取締役の厚い信頼関係が垣間見える。

「彼みたいな選手がチームを率いて来日することによって、日本の自転車競技人気は上がり、いい関係が広がっている。彼らと日本のファンをつなぐ関係でありたい」と佐久間取締役。

これからトレーナーとして日本人選手の育成にも携わりたいと考えているクネゴの脳裏には、すでに自分の成績だけでなく、日本の自転車競技界や日本人選手の強化がある。その証拠に、厳しい富士山ステージを終えて、真っ先にクネゴはチームメートである中根英登の成績を気にしていた。結果的に中根は総合成績9位、アジア人選手最高位でレースを終えたが、「中根の成績はどうなんだ? この成績は日本の世界選手権やオリンピックの出場枠獲得に貢献できるのか?」と興味深そうに質問した。

日本での素晴らしい思い出や、たくさんの友情、そして強い縁により、クネゴと日本は年々、強く結ばれている。今後、クネゴは20年にもおよぶ長い選手生活で得た経験を生かして、トレーナーとしてのセカンドキャリアを歩むことになるが、彼の存在により、秀光と自転車競技が結ばれ、多くの人の輪が生まれたように、今後さらに日本やイタリアで多くの人たちが繋がっていくことだろう。トレーナーとなったクネゴが生み出す人々の結びつき、その相乗効果により、日本の自転車競技界がより一層発展していくことを願いたい。

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会場でダンスを披露する子どもたちを笑顔で見守るクネゴ。自身も2人の子どもをもつお父さん

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「日本のファンは特別!」といつも話すクネゴ。時間の許すかぎりファンサービスを行う

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日本の文化が大好きな親日家。スタート地点に現れた忍者に大喜び

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思い出深いレースの一つ、1999年に地元であるイタリア・ヴェローナで開催された世界選手権。ジュニアカテゴリーで優勝した

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モダンなショールーム内には歴代のクネゴの実車が飾られている 

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「クネゴが来ると聞いて、行かないわけにはいかない!」と、熱心な自転車ファンであるジョルジョ・スタラーチェ駐日イタリア大使がサプライズで訪問

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ジロ・デ・イタリア出場経験をもつ今中大介氏もゲスト参加し、イタリア大使とも交流した

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「ワインを飲むならファルネーゼ!」スポンサーのワインを手に笑顔をみせるクネゴ

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秀光の佐久間悠太取締役とジョルジョ・スタラーチェ駐日イタリア大使とクネゴが乾杯!

 

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握手を交わす佐久間取締役とクネゴ。「これからもクネゴと日本の橋渡しを行いたい」と佐久間社長

写真と文:タナカソノコ

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